そうきょうは、よい時 です。

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2021年05月01日

出発52 いわんときんか

【曲名】 出発52 いわんときんか
    創曲、今 出発・正(やなぎ)  2021/04/30
    造詞、今 から ・正      2021/04/30
    監修、今 正出         2021/04/30

【歌詞】正里

【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
【おわら風】
2021/04/30
おわら
 2021/04/30

 富山おわら
篠山おわら
岐阜金華山おわら
名古屋春日井おわらりな
名古屋おわり
京都ながぜるおわら
【兵庫県篠山】
『おわる』の篠山連という、この篠山の
おわらさっかく、という、尤離楼という、
この楼の古い名である。これが、
『おわられら』という、篠山数空のいいさみゆら、
という。おわらの出の、篠ゆま浜ゆり、という。
これが篠山の高山という、高山という、篠山が
おのを高やし、という、これを高山という。
高山連空という、この日、京都が、自分を、
篠ゆま、という。京の篠山をいう。この京都の
言いとぞす。
【京都峰】
 『れおてせんくら』という、言いやしのとり
ふり、という。これが、京都峰の交野の言いで
ある。この日、片山を、こうしび、という。
かたせる川ゆら、という。これを、交野連句と
いう。交野の言いの京都のいいそり、という。
交野の言葉を使う、篠ふりゆき、という。
これを、『おわられ』という、岐阜の言いの
金華山という、金華山の言いに、京都の言葉が
ある、これが、交野という、かりせらの言葉と
いう。これを、岐阜のきんという、きんさる-
るいすい、という。これを、みんそま、という。
れそんの、ゆいおってす、という。れそんとれっく、
【大阪箕面】
という。これが、箕の言いである。この『箕』、
大阪の箕面という、今の、大阪の梅田新道の一番
端である。この箕面、おいしかのふみやら、という。
ここの言いという。かんせられんくう、という、
かってすという、かてらの言いという。
 これが、おわらの風が吹く航路である、進路と
いう。おわら風の言いという。
【おわら風の進路】
 隼人おわら、という、九州大分のおわれら、と
いう。後、山口のおわせ、という、おわせの磯弓
という。東へ行って広島の『おわっとせ』という。
岡山へ行き、『おねおり』という、おわらの言い
である。この後、兵庫篠山へ行く、『ねねそり』と
いう。この時、赤穂から西脇へよる、風が出る、
この出た風を、『おわらわら』という、西脇赤穂の
言いという。
 この時、西脇から、兵庫の氷上という、この
行きになる風が出る、この風を、兵庫のたぜれま、
という。これを、多田の兵庫という。兵庫の豊能の
ところである。この豊能、今の川西池田になる前の
『みのそき』という、これが、別れ風の進路という。
 箕面で、風が合わさるのである。そして再び、能勢
へいって篠山へ行く、この風のことの言いという、
。『ひろしられえ』という。ひろしらの風という。
 これが、『ふく』という字のつく場所の言いである。
福知山、福山、福崎、福住(亀岡)・・という。福田の
言いという。福井のことともいう。

 この『ひろしられえ』が、篠山を、ゆうた、という。
ふくの字の付く所の、篠山を指す言いという、ゆうた、
という。これが、『おわりゅう』という、おわりゅうの
言いの言葉の、言いやすい変化という、これで、風を
『りゅう』という、主に大風をいう。
【鳥取】
 このまま篠山から鳥取へ抜ける風がある、『いわん
とき風』という、『いわんときんか』という、鳥取の
言いの風という。

 鳥取から倉吉へ行き、再び、広瀬山に行く。この時の
風の強さを、『いわん』という、『いわんさき』という、
これが、島根の境の言いという、『いわんさめ』という。
この場が、広瀬の場である。この広瀬が、今の広島の
瀬戸内安芸津という、ここを広瀬という、いわんときんかの
言いという。安芸津闇という、言葉である。

  これが、尾張の言いである。この全部を、尾張という。
  尾張の話という。

 『Let's roll、レッツ、ロール、まいて行こう』という、
rolling stone ローリング・ストーンという、石を巻き
上げる風である。stone circle wind ストーン・サークル
・ウインドという、この巻き上げる突風を、スットン拍子と
いう、ひょっとこという、ひょっとこ風という、石巻風という。
後程。

2021/05/01 付け
おわら、おわられて、と言う。
おわり、おわりられ、
おわる、おわるそる、
おわれ、おわっそる、
おわろ、ろっくすれる、という。
これが、おわらのれむそれ楽という。
らむんて・れっそくのお言いという。
このいいの、めば、という。これを、ろいふき、という。
めゆろっとくの屋の言いという。ろむすっくくの屋の
ぺゆべそ、という。この『べそ』が、べそかくのべそ、
である。むうゆるりみっとの言いという。
これが、またゆた、の言いである。めめそ、ともいう。
台風の吹く風の進路を、ぺぞ、るみ、まべ、ふぬゆれ、
という。これを、御所みくの言葉という。
台風を、るりょんろ、という、大風である。

これが、京都壬生の賀陽御所の言いである、今の
京都御所に受け継がれる。るりょんぱっくすの
ごみとみ、という。御所の賀陽冠白という、
かっせるれえるの、おうりよんてっく、という。
おりするお風という。これを、みよよん、という。
【皇居の御所】
東京のいしもせみ、という、今の東京の皇居御所の
言葉である。この言いの、ながし、という言いの、
とみふき、という。これが、言葉を風にたとえる言いの
使いという。口論という語源である。口論が東京皇居の
おいはりるるの間でつかわれる言葉である。これを、
るぎせる、という、口論という言葉である。口論語という。
この口論語を使う、そっこく、という、そこくの間の
言いとぞそ。
 はゆっせてっかす、という、東京の御所の言葉である。
この日に、風を明風という。明風皇居という、この風を、
明らかに治むという、治め風という、これを、つむぜき、
という、これが、明治のたいとき闇という言いである。
 この時、京都を明路という、京都への道を明路という。
みれが、宮城野の皇居という、はるかす、はるかる、はる
かぜ、という。宮城野の言いが、はるかぜやきふり、という。
これが、しもらきの言いである。
【宮城野】
 宮城野が旧仙台をいう、仙台のはつめか、という、
はつゆつの言いである。『ゆつ』という仙台ひまゆり、
という、意が『つゆ、梅雨』である。仙台ひまそのお言い
という、これを、仙台平という、言葉の話である。
ささごぜんともる、という、古い仙台城の言いである。
梅雨を『もす』という、仙台城主冠話という。
宮城野の木の下露という、『木の下露は雨にまされり』
という万葉集の言葉である。すぐるあまゆき、という。

 東京の皇居から仙台へ行く、宮城野ろろふき、という、
台風の通った道を行く、ろろふりすみやり、という。
これが、日光木杉の街道である。日照る浜百合という、
百合街道という、百合山のいとゆと、という。
きようれむまんと、のお言いという、きょうそめ、とも
いう。

 明風皇居という、俺の言いである。俺がやる維新という、
維新風を吹かすという、俺のことである。きしるらんかく、
という。岸和田の城を出でた日の言葉である。和歌山の
岸和田とぞそ。

 『天皇、下がっとれぇ』という、岸和田のまやふき、という。
そこの祭という、祭の合図である、そう言うて祭を始めるので
ある。おりゆっきし、という。きしらすのお言葉という。
『天皇、下がれ』である。古く、京都府宇治の、だんてむ、と
いう、岸和田のだんじりという、浪花ゆっこしの言いとぞそ。
『わっしょい、わっしょい、天皇下がれ』という、掛け声で
ある。各地にある、さがりょらの言いである。
これを、俺興しという、『俺がやる』という、維新である。

『あの間無理だわさ』、桓武の言いという、後、前、
仁徳の言いである。境の庭という、前方後円墳のことで
ある。存日冠白という、これを、ぞんび、という。
『おりゃぁ、墓に寝て暮らすわさ』という、寝の俺と
いう、初め寝の屋という、あの墓である、俺の寝家(
ねか)である。生きているうちに寝る所を墓というのが
俺である。

 京の桃山も、あれ、俺の寝床である。
『布団着て、寝たる姿や、大岩ふまれ』という。
京の桃山という、桃の木の植わった所である。
『あの間、無理だわさ』と点を入れて切る、
冠無潔白の俺という、東京八王子のあの岩屋で
ある、あれ、冠無潔白屋という。『あのカン、
ムリだわさ』という所である。あの間無理の
里という、存日の山染めという。ゾンビ山という、
あの間無理の冠無潔白屋である。墓に寝て外へ
出てきた人をゾンビという。墓寝の人である。

 維新は存日の賜物である。下賜の太陽と
いう、お手玉のゾンビという。手を前へ出して
歩く格好という、お手玉ゆらし、という歩き方で
ある。

 桓武の頃の、おじゃみ、である。お手玉という。
『おじゃみ』がゾンビ語てある。ゾンビあべそみ、
という、おじゃみのことである。『おじゃみ、
じゃみじゃみ』という、そわれんゆっかくの言葉で
ある。
 泥棒山お書きという。

『おじゃみで、はっしょる、つらっしょる』と
いう維新発という意である、維新出である。
『おじゃみ、もってしょ』という、しょしょ山の
お言いという。後、御書道という、書き初めの話
という。
 『おじゃそめ』という、仙台宮城野の、書き
初めの言葉である。仙台冠せま、という冠話で
ある。木の下露の書法である。木の下露という、
墨書のことという。大阪浪華の城を『おじゃれ』
という、浪花発の、出初め寝、デゾメネー、という。
イオントーブの『はっさく』という、これが、仙台
の城冠語である。浪花のゴットンという、これごっ
つい、という。亀岡管制の頃の言葉である。亀岡の
崖の中を飛行機で飛ぶ、ゴッツイネーという、
のち、飛行船で飛ぶ青森連絡という、ブルー・
ランド・コネクトという、ランドリック・ルーテの
お言いという、イオントーブの仙台城の言いである。

 亀岡管制は、京都府亀岡市の飛行場のこと。今は、
飛行場も崖もない、平地である、現状という。

後程。

そうきょうよいお書き。M25。
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』

2021年05月02日

出発50 亀岡管制発

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音楽
【曲名】 出発50 亀岡管制発



    創曲、今 出発・正(やなぎ)  2021/05/01
    造詞、今 から ・正      2021/05/01
    監修、今 正出         2021/05/01
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】
【場所】
【作成ソフト】
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
【歌詞】正里
今から昔知った町へ向かい知り合い
訪ねる気ははやり鞄を片手に
降りては駅の傍 田舎の匂いよい
昔から変わらずの単線の小さな駅
  駅まで迎えの御叔父上来られ挨拶
  おっしゃり よく来たの 笑顔の満面
  昔の崖そばの景色は一変し
  工事した ともに打った大杭の
  御叔父御上


【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
【】
2021/05/01
 管制という、飛行機を主とした場所の言い。
飛行機の使いの頃の言いである。亀岡の大町と
いう場所である。また、行く大町、御叔父御上
おられ御叔母御うえござる、伊能篠という、亀岡の
崖の頃の住まいという。ここの見である、後、単線
の軌道敷の町である。
【亀岡の大町】
 古い日の出発である。大町駅という、機関車の
出発の場の光景である。ここから出る、軌道ジー
ゼルという、そこの大御叔父の歌である。

 篠山環頭という、ぎっしょけけくり、という。亀岡
大町という場の歌という。後、京都の駅の中で住
まう、今の京都駅西の梅小路という、そこの住まい
のことともいう。ここから出発する汽動車という、
周りは、線路だらけの家という。ここで、その時の
時刻表を作ったことという。今も、その一部が使わ
れていることという。日本の線路に使われている、
私の仕事という、この日、国鉄と言うた頃である。
 亀岡から西の山陰線という、この頃の作である。
若い人お発お書き。

 五条管制の私の家からまっすぐ西へ向かう
じょうろうき路という、この出発という、でんすめの
お書きという。私の家の周りが、線路だらけである。
国鉄のお書きという。後、省線という、すぐ、国鉄と
いう、この省線の頃とも。
 またゆた花のおときき、という、めゆてゆのお歌と
いう。また行く大町、懐かしの町という、崖の町で
ある。亀岡省線という、線路の敷設である。
お召し列車にお乗せ下さった御叔父御上という。
大お爺さんのお召し列車という、今もある、JRと
いう。省線弱録という、本記という。

 一等筆頭官という役職である。若い人という。
私の通いという、家から電車に乗って通うたことと
いう。和国世という頃の私の国という、後、日邦と
いう国である。後、咸の国という、後、漢という国と
いう。この頃の日本である。明治世お書きこれとる遣り
という、思う国のことという。思惟落国という、
日本のことである。天照という名前であることと
いう。若い人の名である。日本を起こすという話と
いう。山来荘という、若い人の住む家である。
【新潟】
 明日は、新潟へ行く、今の新潟である。省線を
使い行く、まっすぐの頃の線路である。おわら風
追う線とぞそ。親知る子知るという頃の越山越え
である。揺られて行く人である。家を出で、ほめゆみ、
という所の行きとぞそ。今の新潟である。後、おお
ちゆ、この時の行きという。後、おおおち、という。
新潟の八郎潟のない頃である。

 そこ、おおかたのれ、という。のれとる山ゆり、
という。山が揺れていた頃である。地が鳴っている
頃である。

 着いた所に、ばすをよる、はるれるのお行きと
いう。ここが、新潟ばすという場所である。今の
新潟の大道辺りである。後、はっぺよ、という。
後、そこはば、という。それを置く地名である。
『はば』が、今の英語のハーバーである。
後、港ができる話という。長尾ゆきやき、という。
長尾の遣りという、越山のことである。
【京都、長尾城、よいよ】
 京都向長世(むこうながよ)の長尾城という、
昇扇峡の城である。この城から出る、わとそみ、
という、蝋燭の機関という、これの電車である。
お召し列という、お召し列車のことという。
ここから出た人のことを、よいよ、という。
長尾城の常用の言葉である、城住まいの人の
ことである。徹する話という。日本の古い話で
ある。
 
 アメリカ・ニュークロスという、今の、ニュー
ヨークのことである。ここへ行く、長尾城の
よいよの人という。若い人である。そこのお書き
である。よいよお書きという。

 私の好きな、ショーセンという、ショックスと
いう、昇扇長尾城という、省線の向日町という。
そこの向日町にいた人である。

 向日町の、よんそめ管制という、言葉が、オロ
ロン語である、今の、ちょっこす、という。ベル
ギー語である。この頃のヨーロッパ、フランク王
国という、ベルギー語の管制である。長尾城管制
ともいう。ベルギー・ブラという、ベルギーの
ブラセラである。ここを、おとよ、という、
おとよとよ、という。豊茂原という昇扇峡の
周りである。大型飛行機が常駐していた管制で
ある。

 亀岡大町へ行く飛行機という、ベルギー語を
使う、ろめそめゆらふり、という、飛行機で
ある。今のコンコルドの丸型である。羽根が
縦に付いている飛行機である。

 ここから、B29に乗って飛んでいく人である。
若い人という、よいよの人である。長岡京市、
向日市の場所である。崖があった頃である。
【長岡京市】
 出発のことを、がりかま、という。長尾城の
言葉である。細川ガラシャという、ガラは崖で
あることという。細い川が流れている話という、
今の長岡京一文字橋という、その川である。
この川添い、崖である。
【土御門陵】
 出発の、いでそめ墓という、向日町の墓という、
長岡奥の土御門墓という、カンテラゆらしの家
という。ここを、古く靑盛という、灰色の石の家
である。原始人の住まいという。雪の灰色という、
灰色の雪が降る所である。土御門周辺という。
ここを、かなはね、という。埴輪の製造所である。
茶色の埴輪という、土御門製という。長岡の埴輪で
ある。この埴輪を、はいるり、という。長岡の
言葉である。古い長岡である。
【埴輪】
 この『はいるり』が、新潟の言葉でもある、主と
して、長岡で使う、隣の村上市という、ここでも、
はいるり、という。長岡の掛かりの村上である。

 後、村上城を建てる人である。奥組芝のおゆふ、
という、村上城のことである。その隣にも一つ、
城がある、この城の言葉という、はいりる、という、
埴輪のことである、この『はいりる』が、亀岡大町の
言葉でもある。灰色の埴輪とぞそ。

 はいるりを茶色という、徘徊の言葉という。長尾
城の埴輪造りともいう。灰色と茶色と、それらの色
である。書く巣話という、灰色の巣という。家の
ことである。
【ずこずけ】
 駄作者の少知識という、若い人のことをずけずけ
書く。駄作の山という。八郎潟の、ずけ、という。
埴輪の海という、大きな埴輪を立てた場所という、
秋田ぺっ釜という、言葉とぞ、『ずけ』である、
埴輪のことである。村上ずこの埴輪という、
ずこという村上である、埴輪である。
ずけずけのずこずこ、という、新潟の人形の
ことという。古い頃という。

 秀衡が里の、ずこずけもある。家のことである、
巣のことである。ずけずこ、とも。あの写真、
ずこずけである、巣である家である。東大教授の
頃である。皇居より通うた東大のことである。
ずこずけという埴輪の話という。大和朝廷の
おがさりである。イオントーブの言葉という。
ズックスという、ズックという、埴輪の意とも。
履く靴のこととも。

 ズックスクールというイオントーブの言葉
である。
後程。

そうきょうよいお書き。M01。
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』
 

2021年05月03日

出発70 花金目

腹を横に書く。
駄作曲の聴き方:曲名または、楽譜をクリック 
You would click music piece.
音楽
【曲名】 出発70 花金目



    創曲、今 出発・正(やなぎ)  2021/05/02
    造詞、今 から ・正      2021/05/02
    監修、今 正出         2021/05/02
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】
【場所】
【作成ソフト】
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
【歌詞】正里
土帝稜向かい飛べば山奥地 飛行機を
斜めにとめた地はなだらかな丘 稜の上へ止めた
竹を植える金ヶ原 永尾の城から行く音露の国

 音国の古花丘槍 北条の丘越え乙の海を
 越えて竹を植え花津窪地は陵の地 岩組の屋
 そこから下向かい竹を植えた西陣の里

金ヶ由良文 竹立ち発つ長岡の地 西山連峰の
花夢奥床地 今日にその山の よくほ 鷹 岩住み
飛ぶ羽を広げて金白滝 先生の里


【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
【歌詞解説】
2021/05/02
【長岡京市土御門陵】
 京都府長岡京市土御門陵の周りの言葉、
竹を先生という。先生の清蕗という、竹をたと
ゆめ、という。たたうめの読みという、土御門の
読み、とそ。御所の土塀の門のことという。
ここを、つみふみ、という、積みの地という。

 『ふみ』が地に掛かる『踏み』の『文』という、地の
ことを文という、土御門の言いである。ここか古い
、ふみなゆべる、という、御所の建つ前のことという。
御所は後で建てられた話という。

またゆみやまのおかづ(又弓山の丘津)という、
古長岡の、いもきゆき、という地とぞそ。長岡の
古い、ちとう、という、じもうともいう、花目由良の
言いという。この『由良』、乙の世という、乙の海と
いう。北条の周りの水辺とぞそ。ここの北条が
今の北条である。
【長岡京市金ヶ原】
 また来る長岡の地、必ず来る、これが、金ヶ原
陵の決めである。墓地で決める、わがくゆ、という。
メノンソメーという。この『メノンソメー』が、イオン・
トーブの言葉である。この期を和国という。ちゅう
みらの言いという。メゾンオックスの意という。
メルラン・ファーという、ルールルーのお言いという。
後、ランファールーで、ファッセラの言いのかゆげ、
という。勘解由(かげゆ)を、かゆげ、という、長岡の
地の言いという。メーリルーランファックスという。
まゆってのお書きという。まゆての丘という、
長岡の古々々言いという。メンメーの言いという。
この場のお歌とぞそ。
【長岡京北条】
 長岡の『みゆよって』という言いの北条の言いと
いう。『よって』という言葉を使う北条地の言いと
いう。又行く、北条、長岡ごぶゆれ、という。
ごぶしくれとん、という。ゆめよんてその北条語と
いう、長岡の北条である。
【新潟北条】
 同じく、新潟の北条ともいう。同じである。竹も
同じである。アールランテーファックスの言葉ゆり、
という、ろろんそのおいてけ、という。『てけ』という、
みよの言葉である。鷹のはゆみ、という。鷹の
出す音を『てけ』という。土御門の言葉である。

 古い古い長岡の世、また行く里である。若い人
の行きという。訪ねる北条の地、御叔父ゆ、ありそ
わられ、ありすかっけのゆいとそ、とぞづ。

 また、あくりや、よみふみのおいとす、という。読み
文の地とぞそ。学校、学問の読み文という。崖が
あった頃の長岡地とぞ。
【細川ガラシャ】
 細ゆ川ありて、そうそれ、れとんの山のお絵という。
細ゆ川、後、細川ガラシャとぞそ。今もある、細川の
崖という、カレーランファックという。細川ガラありてそ、
なっぱくの糸のかゆこれ、という。古い長岡京の造船
所という、大型の船を造る、細川ゆりくし、という。
ここの細川造船屋である、長岡京という、ここの北
にも長岡京の造船所がある、その北、長岡の更地
である。今の川傍である。

 また行く長岡、おいとすという言葉の場所という。
どちらの長岡もこれをいう、新潟長岡という。新潟
山お絵ともいう。長岡の友弓という、今の友ヶ丘で
ある。友岡ほっちき、という、友岡の地の住まいとぞそ。
今、少し高い所になっている、ここが反逆の地である、
今の学校のある場である。長岡反逆、出の場所で
ある。
【出発】
 若い人という、長岡の出である、新潟の長岡とも。
駄作家の『輪をとめて』という、これが出だしである。
出発という、デパーソレーという、デパーチャーの語源
である。

 反逆という坂道のある場所である。崖とも。
あるゆる山のお絵という、この『絵』が『江』の意で
ある。ゆうゆるゆっくすのお書きという。反逆の場所
の言いでもある。長岡北条、反逆の地である。
古く、鉄砲水が出た場所である。
【水琴窟】
 明るい日差しの穏やかな日、心地よい音が響く
軽い音である。リンリンリンという。鉄砲水の音であ
る。岡の水琴という。アメリカ・ニューヨークの岡も、
水琴窟である、良い音のねの聞こえる岡という。

 ロンパックスのハワードという、水金のお書きという。
金のような音である。金ヶ原という、水琴窟である、
土御門陵のことである。古い日の、山ゆり、という。
山ゆりの音とという。水琴窟の音である。そこに住
んでいた人という。

 『わっかく、ひくひく』という、歩きの形容をする
金ヶ原の歩きである。原始人という、原始人の
音楽である、自動演奏という、水琴窟の住まい
である。心を癒やす原始人である。岩屋に響く音
という。
【師の地】
 長岡の地、先生の地という、師の地である。
恩師ありてあられる、教え山お書き、たっとうこと
である。おしえのたっとさ、という、恩師の御姿とぞそ。
永尾先生の教えという、まさきく竹、生えて生えるる、
やっぱゆっぱの御竹という、先生のことという。
竹のことを先生という、長尾城の竹という、長尾先生
という、長岡の言いである。

 北条竹を、すいるみ、という。すいすい国の竹で
ある。千島列島の竹という、ここの竹と一緒である。
長岡の永岡ともいう、どちらもある、岡という。

 長尾城、永尾城という、長尾先生という、永尾
先生という、どちらも御在話という。長岡の地を歩けば
長尾先生はいたる所におられるのである。友岡先生
という、友岡竹のことという。古北条の言いともいう。

 若い人の先生 という、若竹のことという。まっすぐ
伸びる丈のことをいう、まさきく竹という。これを、丈
という、古い北条という、方丈という。きたたけ闇と
いう、今の長岡北条のことである。闇の竹という、
おとみたけ、という。音の掛かりの竹である。
鹿老いのししおどしの話という。おとみたけ、という。
水琴窟のことという。

 駄作家のおとみ、である。長岡を、おとみの国と
いう。この『おと』が、音である、乙である。落ともいう、
落楽の里という、友の里という、古い尤離楽という、
土御門の楽という、尤離ごゆふぜ、という。北条の
楽である。水琴窟の音をいう。大きな水琴窟で
ある、人が住む水琴窟とぞそ、土御門陵である。

 北条の戦いという、竹植え、水琴窟造りである、
すみかを造った話という。上の文である。
【金科玉条】
 土御門帝という、水琴窟の金靴人である。
金科玉条という、金靴の玉道という、反逆の人で
ある。かなしな山の岡という、金科玉条の地である。
水琴窟のある周りの道という。音庭の道という。
鉄砲水の知らせとも、大切なものである。
反逆の人のお言葉である。原始人である。
音を聞く原始人である。

そうきょうよいお書き。M25。
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』
h 
 

2021年05月04日

出発72 長岡

今、書いてますお書き。
腹を横に書く。
駄作曲の聴き方:曲名または、楽譜をクリック 
You would click music piece.
音楽
【曲名】 出発72 長岡




    創曲、今 出発・正(やなぎ)  2021/05/04
    造詞、今 から ・正      2021/05/04
    監修、今 正出         2021/05/04
【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
【歌詞解説】
2021/05/04
  奈良三輪の豊田山という、ここの、レブン
ハックスという、れぶんの組行きという。ロールレー
という、めよよってすという冠語の部類になる言葉と
いう。この冠語を『るぅりよってす』という言葉になる。
『俺っつぁ、るぅりよっさ、組いっきゃさ』という、ロール
ローレルという言葉の使いとぞそ。
【京都府長岡】
 この『よってさ』に、京都府長岡北条の『よって
す』がなる。『よってす』を、『よって』という、長岡
北条の周りの言葉である。『よっていく』という、
組ゆれが出る。
( (注、『出る』という、『なる』『ある』・・という意。
   『出す』という、『作る』ことの意。互譲フックス
   という言葉使い。
   今は、こういう使いをせず、『ある』ことは、
   『ある』という、『作る』ことは『作る』という、
    合理性に富んだ現代語を使う、世界の
   ことである。 ))

 京都府長岡のくりという、くるせるのおんゆし、と
いう。これを、めよって、という。めの・すめゆき・の、
言葉という。『よってさ』という言いという。

 京都府長岡北条周りに、この言葉がある。
大阪くみすめ、という、大阪の『よって』である。
『そやよって』という言いをする、大阪組すめ、という。
『そうだから』という意である。
【リーンカーネーション】
 これが、奈良三輪市豊田山にある、この豊田山を、
『こんはく』という、『こんペ』ともいう。これを、冠語が
オールロンという。ロンカックスの冠語という。
このカックスが、『リーン』という、『リーンカネーション』
ということをいう。この英語が、ふかれる英語という。
今の英語の中葉頃の英語である。
 リボルバーという、ローテーションゆっき、という、
組行の『組』の一意である。『よっさ』という意味に、
これが、かすかにある。
 ローテーションのロールという、ロールに『巻く』という
、『蒔く』という意味がなる。この『なる』が、上の注の
『なる』である、『ある』ことをいう。
【れろほ】
 これが、ローテーション・モッコスという、モールレ・
ファールルーのおっぴよんて、という。れろほ、という。
これを具現という、『れろほ』という、岩屋組である。
組岩屋のある場所の言いという。

 これが、谷をよる言いという、れろほのこと。京都
長岡北条奥にれろほがあることの、いいよま、とい
う。この『れろほ』がよる場に『よって』が使われる
言葉という。
 
 奈良三輪組という、れむほれろほの組である。『組よらさぁ』
という、組よりの言葉である。谷のある場に、これが
いわれる場合という。谷以外でも使う。

 岩屋の組であるひぃの、組という。岩屋の建て
である。組立という。この岩屋がよっている組と
いう、どちらも組である。これが、『るりよってさ』と
いう、言葉の意という。

 たくさん集まった同様の建てへ行く、また、ひとつ
だけの建てへ行くことの、集合の意を含む言葉と
いう。『るぅりよってす』という。『るりよって行く』こと
をいう。これが浪花のゴリョン・ハックスという、
ゴリョン・ローレルという。ゴリヨン、ゴリオンとも。
【大阪天保山】
 これが、浪花の天保に出る、天保山よんびく、
という、天保山の言葉である。この天保が『より』
という、『そやよって』に『そやより』という言いをする、
めっくらはっく、という。これを、めくら言いという。
『めくら』という、岩屋組をいう、天保のめくら、と
いう。天保の岩よまれ、という、れろほのことである。
大きな自然石を使う岩屋建てという。

 今の石舞台という、天保の石舞台がある、めくら
という言葉にこれがある、一部含まれることという。

 『やおら』という、やみすのことの言いの、めくら、と
いう。古く 京都の千丸という場所の言いという。
蔵を、めくら、という、後、闇組(あんくみ)という。
これが、めくらの話である。
【滋賀県土山、滋賀里】
 古く、滋賀県の土山という、今も崖のような所が
ある、急坂である所という。ここの屋の言いの、
めよん、という、めくらの意である。メヨン・クックスと
いう。この土山という、滋賀揺れの場所という、
滋賀県が揺れた話という。滋賀世羅論という。
滋賀県の大地震をいう話である。土山にあること
という。私の好きな急坂がある場所という。これを、
滋賀里という、今の滋賀県の作り出の場である。
滋賀県出発の地である、滋賀県が出発した場所
である、滋賀県がなり出た場所である。古い滋賀
の話という。アッテラ・サッキ・フッキという、当時の冠
語である。土をアッテラという、さますよの言葉とい
う。これが、アテラという、地を踏む自分という、
アテ、あて、という、『私』の意である、自分という
意である。

 この『アテ』の掛かりという、琵琶湖対岸の、滋賀
里という現在の地名の場という、ここが掛かる場で
ある。言葉に、『そうですっとのう』という、両の方言
である。これが、アテの言いである。『そうで、のう』と
いう日本全国の、一般にいう、田舎の方言である。
『そうですっとのう』、これが滋賀里の『すっと』が出る
でめそめのおこと、という。この『でめそめ』が、ゆわら
れんるる、という。ゆおせ、という、ゆわて、という、
言葉の種類である。主に方言である。
方言を、ゆわて、という話である。これが、『そうで、
すっと、のう』という、『すっと』を言葉に使う、レゾン
花という。レゾン・モッケスという、これが、岩手の
言葉になる、岩手の、よもて、という言葉という。
この岩手、一般名詞の岩手である、全国の至る
所の、岩の場である意とぞ。後、代表という、
岩手県という。この岩手県の作りが、滋賀の作り
をいう。秋田連花の言葉という、秋田県の『すっと
』という言葉の一意とぞそ、岩手県、岩場、滋賀県
の意がかすかに含むという、意を含む話である。
【秋田、岩手】
『意が含む』という表しをする、秋田花という、岩手
よんとき、という、大阪ゴリオンという、ひょうてる・
らっくす、という、言葉の言いという。これを、めくら
言い、めくら花、めくらっく、めくそめ、という、単に、
めくら、という。

 岩手のめくら組という。めくらの札組という。
平たい岩の札という。この岩屋組である。
へぶれ、という、へぶらう、へぶらい、という。
【札】
 へぶらい語の皇居という、斜めの地という。
札皇居というう。これを、札皇という、札皇所
という。これが、リーンカーナルという、かんぺす、
という。古いリンカーン御所という。この日、ア
メリカのダラスをいう、このダラスが、リンコという、
後、りそふそ、という、りじょう、という、ダラスを
理状国という、和国の言いである。
このダラスを、リトミラという、『ミラ』か、鏡である。
鏡を、きみすら、という和国冠白である。
これが、鏡の国の大鏡国という、ここの古い言い
に、ロール・カムという、鏡行き、という、人を
ローサムという、古ダラスの言いである。大鏡国
という頃のダラスの古い言葉である。頃が、イギリス
のアリスの国という頃の言葉という、この頃、イギリス
は、アリスの国、鏡の国という、アメリカ・ダラスを、
ミラーレスという言いという、大鏡のことという。
レーブレれんて、という、れむっその言葉という。
【アメリカペンシルバニア】
 これが、アメリカ・ペンシルバニアにある、レン
ブラントという言葉という、キリスト教の役職で
ある現在で、ペンシルバニアが自分をレンブラ
ントという、古いレンブラント州というアメリカの
古い言葉である。
【ゴンドワナ区】
 今のパキスタン、アフガニスタン 、イラン辺りの
ゴンドワナという、これが、古いペンシルバニアの
言いである。レンブラントという言葉使いのこと
という。古いペンシルバニアの言葉使いである。
この時前後のタコマの掛かりという、今のアメリ
カ・タコマである。ここと、カリフォルニアの、ティ
ファナ辺りである、カリフォルニア半島とも、この
場の崖が、レンブラントという、崖をレンブラトと
いう、この地域である。
【熊本御所、隈本とも】
 崖下を、暗合所という、これを、薨去という、
薨去の古い言葉である、上の叙述のアメリカの地
が、『寝る』ことをレンブラントという、スリーピングで
ある。古い日本の言いに、寝ることを薨去という。
『おら、よって、してさ』という、一つ屋によって寝る
言葉という。これが、御所の熊本御所である。
祐の井前の長屋の隈本屋である。前の井を熊の
井という。だらっされ、という、井戸のことである。
『だらっされ、れーて』というだらっされの場をいう。
これが、『よってさ』という、井戸寄りのことでもある。
熊の井を、さ井戸という、佐井戸。この『佐』、右を
表す意もある。古い意である。左佐という、左右
である意という。ささ、さざ、佐左。
【サイド】
 これが、サイドという、英語の意味である。ささ、
という。この『ささ』を篠という、ささ、さざ、しの。
しのつゆ、という、井戸汲みの水である。だらっされ
やな、という、やなみなの言葉という。これで、井戸
周りに、やなの木を植える、柳の木である。やなぎ
井戸という。前の長屋を、やなみます、という。
やなせらの言いという。やなみぎます、という、
やなぎます、という、これが、だらっされ・ういるき、と
いう言葉使いである。見る、食べる、飲むことを、
やなぎまめ、という。これを、るりまら、という。
るりやなみ、という。長屋をるり屋という。古い
薨去の意である、後、皇居という。長屋のことで
ある。京都の古人という、るり屋という、御所内の
言いという、るりやしきという、長屋である。平建て
の長造り一般民家に見る長屋である、祐の井前の
長屋である。

 この長屋の奥、北の方になる、外交という場所で
ある。ここによく遊びにいっていたことを、外遊という。
御所がいう、外遊である。ここを、豊田山という。

 この豊田の掛けが、深いをいう、深いことの言い
という、深い場を、ふくだら、という。これが、『ふかい
』を『ふくい』という、全国各地の言いという。
ふくい谷という、ふかい谷という。御所の外遊の言い
である。御所の豊田山に行くことである。ここを、
るりより山という、るりよ、という、深い谷を意味する、
ふくやれら、という言葉の種という。

直接、深い谷をいう、
ふくや、ふかや、るりよる、るりや、るりよ、という。
川を、らいぶれ、らいはく、らいしら、らいすよ、すよらま、
    すよすよ、という。
町を、れんはる、れんそむ、れんす、れんて、れんてら、
窓を、うい、ういんす、ういんど、うっく、うっくす、
家を、め、めくら、めのそ、ゆよよ、めるれ、めるれら、
道を、むめ、むる、もる、めそ、るれ、るち、
大きい建てを、もみ、もそ、ろく、べか、べる、それ、べるぞれ
『私が行く』という、『るりおってす』という
『私がいます』を、『るりみ』
『私が見ます』を、『るりゆら』 『るりゆら、めってさ』
『私が寝ます』を、『るりさる』
『私が食べます』を、『るりさま』
『私が連れます』という『るりりる』のお言いという。
これを、御所の外遊語という。名詞で、動詞でもある、
名動語、名動詞という、今は、動名詞という英語の文法
である。
この外遊の『遊』の意が、上文10~20行ほどである。
レンブラントを遊師、遊士という、これを遊子という、
光を追う姿という。キリスト教のレンブラントが、光明師
という役という、光明を追うことを、与えられたという、
髪のお影をいう、額のことという、光る額という、太陽を
思わせる言いという。光を与えるレンブラントという役と
いう、キリスト教の役である。キリスト教の光明という、
レンブラントのことである。
後程

そうきょうよいお書き。M04。
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』

2021年05月05日

出発74 レブラント

腹を横に書く。
【曲名】 出発74 レブランド
    創曲、今 出発・正(やなぎ)  2021/05/05
    造詞、今 から ・正      2021/05/05
    監修、今 正出         2021/05/05
【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
【レブランド】
2021/05/05
 レブランドという、レンブランドの認めをレブランドと
いう。初期のレンブランドのはんこをいう、この判子を
レブランドという、認め印という。ブランド系の言葉と
いう。レンブランドが役を解く解の意味である。
 これを解義という、後、認めを解く、これを邂逅と
いう、れめそれのせよおんてむ、という。レブランドの
邂逅という。この意の、ロンメレという。レブランドの
解式という、キリスト教のレンブラントを、ブランドと
いう、ブランドのレブランドという。メンリル・オッケスと
いう。めろよんの言葉という。

 キリスト教をメロヨン教という。レンブラントという、
影の絵をとる、れんぽのいみ浜、という。はよれる
おりん、という。れれすのろいほい、という。後、ろろ
んす、という。ろっけるっきのれろ、という。るみ様
言いという。

 『るみふってす』という、ふるふるのるみらみ、という。
『るみ』が、とよふ(豊府)の言葉である。ここが、
キリストのはぶへる、という、はぶ所という。はぶっせる
のこと弓という。『るみ』という、れろんの言いという。
後、『るま』という、ぶっきょの中にある、キリストという。

 このキリストのレンブランドをいう、レブラントルークー
という、レオン・ルークという。れっせらのおいとい、と
いう。めるーれるらっきすという。れれてのおいそい、
という。かんせらのゆみふ、という。寺のことを、ゆみ、
という。キリストの言いの、日本の寺をいう、キリスト
のことを、寺という。キリストの地という。ヘブライ語
を使う寺という。レブランドを、レンブラントという。
【奈良三輪豊田】
 奈良三輪の豊田山のことを、れんす、れんそめ、という。
後、奈良三輪を、きっこれ、という。てむそめのいろす。
これを、奈良三輪のキリストという。寺掛かりのキリストと
いう。奈良三輪を寺という言いのなりゆり、という。成り
行きのことである。奈良三輪へ行くことを、寺行きという。

 奈良三輪という寺があった頃という。奈良三輪寺という。
この頃を天保という、天保教という、奈良三輪寺の
ことをいう。この頃の奈良三輪という、今の奈良県の
奈良三輪という。豊田山のおちすち、という。『おち』が
山のずり落ちである。これが、山影をいう、山の
映る影という、谷の場合もある。山影地の豊田山
という。この頃の奈良三輪市という、周りに木が植わっ
ていたことという、この木を梁木という、一般に木の
ことを、やなぎ、という。

 今の宗教団体の場である。ここの住まいという、
豊田の住まいという。家の前に大きな梁木があり、
この木に、縄を掛け、やなせゆ、という、縄掛けの
ことである。神社の木に掛ける〆縄という、やなせゆ
という、奈良三輪豊田の岩宿の言葉である。今の宗
教団体にこの岩がある、磯山らま、という。岩組
のことである。この頃の岩組という、火山岩の岩の
組という。火山岩の家という、この一部がある。
【ふろき字(あざ)】
 家の隣の火山岩の組家である。大きな火山
岩の塊という。この頃の家の前、風呂の屋という。
風呂があったという、風呂を建てたことという。
これが、奈良三輪の豊田を、ふろき字(あざ)という。
【一口(いもあらい、赤池)】
 ふろゆらのおたてゆ、という。ここを、きしそき、
という。時の、奈良御所の呼びである。奈良御
所が京都の奈良という場所という。上奈良、
下奈良という、ここの近くの一口(いもあらい)と
いう。ここを奈良御所という、京都烏是かくす、
という。かくすれる、という、ほのやら冠話という。
少し離れた赤池という、今の一号線の赤池で
ある、ここの住まいという、若い人が住んでいた
赤由良(手手)文、--あかゆらゆみふみ--
[(手手)は一字で、『ゆみ』と読む。『文』が、
場所である。]

 赤由良弓文の、いびしば、という。ここの、ごめ
かり、という。京都烏是をいう、今の烏丸の御所
のことという、ここをごりかりという赤由良の呼び
である。このいびしばを、奈良御所が、いとせば、
という、同時に赤由良をいとせばという、奈良御
所の言いである。これが、今の府道の作りに橇
をいう、橇を使った道作りという、赤由良を作道
所という、後の府庁である、一時期のことである。
若い人が住まっている府庁の建つ以前の、今の
府庁の場所である。奈良御所を、作道はんぱす、
という。この[はんぱす]が、レンブラントの掛かりで
ある。府庁のような建物という、この時、府庁を
建てたのである。大お爺さん、おかゆふ、と仰る
しっぽり山という、しっぽり山の火吹上(ひふき
あげ)という、この山の麓の建物である、府庁で
ある。後、短期間、御所という、吹上御所と
いう。

 これが、奈良という、京都の奈良の話である。
【奈良三輪市豊田山】
 奈良三輪豊田山の火山という。豊田を、つるふき、
という。つる火山という、豊田山のことである。
ここの火山岩という、今の鬼押し出しという、
ここの火山岩と同じような石である。ふきあげ
ゆみ、という。

 この頃の豊田の家の前の風呂という、おんそめ
、という。暖かい湯という、これが出ていたことという。
宗教教団の話にある風呂の話という、若い人の
住んでいた家の風呂である。宗教教団がなかった
頃である。そこの風呂屋、若い人が、のれんと言うた
場所である。今も風呂屋にのれんはつきものである。
こののれんである、れっとん、という。これが、リーンカ
ネーションの巻きという。のれんを巻くことである。
レットン・リーンという。アフ座箕の花の木を芯に巻く
のれんである。カーネーションという、アザミの木と
いう。この頃の奈良三輪の我が家である、若い人の家
である。ジャット屋という呼びの家である。
【イタチ】
 このジャットが土目という、動物という、その動物と
ともにいた家である。今の『ラ』という動物である。
ジャットという。京都の吹上が、これを、かめせ、
という呼びをする、ジャットのことである。ラーテルと
いう種類である。イタチの種類という。これが京都に
いたイタチという。立って歩くこともする動物である。
一緒に住んでいる若い人という。

 この日の奈良三輪の話である。レブランドの話という。
リーンカネーションの深い谷という、豊田山の話で
ある。この頃、京都に奈良三輪寺があったことという、
奈良三輪寺という、レブランドをいう寺である。五条
管制のもひとつ古い五条管制である。この古い
五条管制の言葉である、レブランドという、飛
行管制である。寺管制という。タツノオトシゴ機
の飛来という頃のことである。縦型の飛行機で
ある。後、奈良三輪寺を奈良三輪教という。

 この頃の奈良三輪の西という、そこに住まいがあっ
たことという。今の宗教団体の建物が建っている
所という。沼の中の我が家という、若い人である。
その沼にイカがいた話という。いかすみます池とい
う、沼である。字(あざ)いかろづ、という。
【藤堂藩】
 今の丹波市駅、奈良三輪駅の南の方である。
ここの晴寺という、藤堂のことである。藤堂藩
というのが、これである。江戸幕府の役人が
いた話である。大学頭(だいがくのとう)という、
『丹波市いかっしょ』という言葉という。豊田の家か
らそこへ行く。武屋(ぶや)という、丹波市の古い
頃である。御叔父ゆ御叔母ゆ、おらるれられ、
はるくすやそ、という。やそ屋という、レブランドの
キリストがかりの呼びである。江戸幕府という、
飛騨高山にあった江戸幕府である。

 古い丹波市という、やなはりきぶ浜という、そこの
浜夢である。後、東大寺の夢をいう。この丹波市の
夢屋という、堂のことを夢という、これが、奈良ゆれ
浜語という。遠く宮城の浜御殿という、宮城県の
宮城である。この宮城から、ロボット馬に曳かれて
やってきた、ふろき字の、やれゆられ、という。
ロボットが火山岩の上を走って行く、立ち上がった
ロボット馬という、飛脚というのがこれである。
丹波市の飛脚という。飛騨高山の山振れ機と
いう。ロボット馬である。
【字作り】
 丹波市(たんばいち)は、奈良三輪市丹波市である、
今の奈良三輪市である。宗教団体の建物、その建物
全部住んでいた若い人である。立ち上がりを見て
いた現場監督である。いかすみ建てという、その
建物の並びである。奈良三輪の道の並びにある建て方
という、字(あざ)作りの話である。あざなう建てと
いう、本敷(ほんじき)ゆきふき、という。あざないの
一方法である。字なう、字ないのことである。
『なう』ことという。縄ないの、『なう』、この言葉で
ある。あざないの建て方である。字建荘という、
宗教団体の建物並びである。

 檜を周りという、丸い柱という、鉄芯という。
鉄周りに木を巻く工法という。西の方にもある
話という。池沼のある辺りである。沼を囲んでの
建物という。高組いとれ、という、糸寄作りと
いう。これが、字(あざ)の意である。

御叔父ゆ御叔母ゆ、おられ花、字建荘武屋ふる、
とんとん文はみ、るるるるぅ。
花字建(はなあざだて)、奈良三輪市の作りである。
後程。

そうきょうよいお書き。M05。
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』
 

2021年05月05日

出発90 よい言葉

腹を横に書く。
駄作曲の聴き方:曲名または、楽譜をクリック 
You would click music piece.
音楽
【曲名】 出発90 良い言葉





    創曲、今 出発・正(やなぎ)  2021/05/04
    造詞、今 から ・正      2021/05/04
    監修、今 正出         2021/05/04
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】
【場所】
【作成ソフト】
  エクセル    マイクロソフト社 98%   
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
  Mixture Internet社
【歌詞】正里
朝早く起きて背を伸ばす 今日が始まる
何かよい事が起きそうな気がする 昨日の
あの人にいわれたこと 思い出してはしてみる
よい気持ちになった よい言葉

【今常】
 エクセルで、作りました。ドラムは、
MItureです。伴奏を一つずつ書いていたら
たいへんです。エクセルで作れば、ワン
タッチ、和音も簡単に記譜できます。
できものをコピーして、『テキスト音楽さくら』
にうつし、midファイルで保存して、楽譜のソフトで
読み込めば、名曲になります。ほとんど、
手を入れていません。
そうきょうよい時です。
【解説】
【歌詞解説】
2021/05/04
[よい]という言葉を使いましょう。
そうきょうよいお書き。M04。
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』
 

2021年05月06日

出発78 九州植村、虚構

腹を横に書く。
【曲名】 出発78 九州植村、虚構
    創曲、今 出発・正(やなぎ)  2021/05/05
    造詞、今 から ・正      2021/05/05
    監修、今 正出         2021/05/05
【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
2021/05/05
【歌詞解説】
【九州】
 九州に植村という所がある。奈良の磯という、
万丹という、丈を先哲という所である。竹取かなる
、という、かなるろろその言いとぞ。
『丈を、何と心得ておるか』という所である。
『おらは、西郷めら』という、『山崎ぁ、こすれる、
あなこんだれ、もれ、みゆよ』、やまざっきゃぁ、と
いう。ここの語尻の『よ』という。長竹こんだれ、
という、語尻の『よ』の言葉である。
 『この、ずんだれめが』という、長崎ずん、という。
【長崎】
 この長崎が、『ずっぽ』という、ずんしまの言いと
いう。この『ずんしま』を、『ずり』という、これを、竹
引語という。長崎の竹寄岩という、中崎鼻の竹の
場にある、大岩という。この大岩を長崎先眼とい
う。眼識目という、岩を見る目という。この言いを
『ずめ』という。この『ずめ』の『め』を、『めん』という
植村字という。植村の字という。ずめんかっけす、
ずめんほる、という言葉という。
【薩摩芋】
 ずうみるれんれぇ、という。これを長崎ずん、という。
長崎の言葉という。ろるれるれるす、という。五七
調の冠語という。冠語を五七調という言いをする、
植村ずんらる、という。ここが、薩摩の出の場所
である。この薩摩、大隅を入れた薩摩である。
これを薩摩芋という、大隅ランという、大隅ランの
根という、この根を『寝』という、薩摩寝という。

 薩摩根の根寝という。秀吉の九州という、九州
平定という、薩摩根寝という。京都の淀の城の
ことという。薩摩芋という。ねねを芋という。

 これが、天理奈良という、九州の天理奈良で
ある、植村の事である。ねねの植えという、薩摩
芋の植えという。薩摩芋の成りの話である。

 ここの薩摩芋を、ろっか、という、ろか、という。
ろくれるおそいみ、という。これで、おそいみ、という。
薩摩芋のことである。
【東大阪放出】
 若い人がおそいみという。半世紀ほど遅れた人
である。遅い話という。東大阪の放出(はなてん)と
いう。この放出を、はなずめ、という。東大阪に
『ずめ』という言葉を使う所という、東大阪市周辺
である。この東大阪を、ひでよる、という。東大阪
の呼ばれである。薩摩芋をひでよしという所である。
この放出のひでよしを、おくれ芋、という。放出産の
薩摩芋である。日本全国も遅れ芋という、さつま
芋のことである。これを、へならやみ、という五七調
である。
【栗】
 これが、冠話を、おくれ語という、放出の言いと
いう。冠語のことを、おくれ語という。これを、御所の
おくり、という。この『くり』が、栗である。栗を、はけ
きき、という。栗村の言いという、おくれ語である。
五七おくれの御所という、これを、ごしょうと伸ばす
言いという、福島の五老村という。この村の、
おくりという。栗村おくり、という。そえじまたねおみ、
という。おくりの人という。そえじまたねおみと、九州
の植村を呼ぶ。植村を、そえじまたねおみ、という。
これが、ねねの御所の言いである。

 そえの服という、中国服という。そえじまの、くさ
いっぺという、服のことである。ひこれが、九州を、
副島(そえじま)という、植村発の、九州という。
九州という言葉が、植村から出た言葉という。

 九州の植村の村である。ここを、ひでまわり、
という。大隅ランの咲き出の場という。かんしょ
芋という。全国の言いである。
【福島県】
 副島冠さめ(そえじまかんさめ)という。芽吹き
服という、中国服である。日本人が着る中国服
である。この服の言いという、ぅおーぃよーという。
薩摩語の方言という、中国語のような方言の
一部である。植村冠さら、という、方言の中の
植村の周りという、その方言の冠語の方言で
ある。これが、福島県にもある。

 この福島を、会津皿という、皿が地の意味
である。 『会津若松ゃ、ゆばんせら』という。
ゆばんせ、ゆばんせる、ゆばん、という。この
ゆばんを、天理豊田のゆばんという。
湯番というのが、北海道の小樽五稜郭である。
ここに薩摩芋が植わる地がある。この薩摩芋、
アイヌネという、これが、福島の会津に掛かる
言葉という。会いぬ寝、会いぬ根であるという、
アンナーポラという言いをする、会津若松の
アイヌ語という、アンナールレポルという。
芋をポールという、アイヌの英語という。芋の根
立ち枝(ねだちえ)という。これが、滋賀の金
勝(こんぜ)という場の薩摩芋の言いである。
【航路】
 この土地の順番が、薩摩芋という、甘藷の
伝わりという、この航路を、薩摩芋が行く、
飛行機の航路である。植村発の、おわま
航路という。しりへ航路という。尻屁。
屁皇紀という、後とぞ。へすべら機という。
薩摩芋型の飛行機という、屁の出の具現
という。これを、へつめら、という。へぶしら、
ともいう。へっとくの言いという。後、ヘブライに会う
言葉という、植村の村にヘブライ語が、一部ある
ことという。
【天理豊田奥、山澤】
 薩摩芋のおならという、天理奈良の奈良を指す
、この天理奈良、やな芋という薩摩芋である。
これが天理奈良の地である。豊田山の奥である。
山澤という地である。山澤の地の話である。
この話を山澤がする、天に日本各地があるという、
この地の話である、天理寺の話ともいう。澤話と
いう。お茶を飲んで薩摩芋を食べる茶話の一部
という。天理豊田山奥を山澤という、滝せらみ、と
いう。ここの干拓の頃の話である。
【薩摩芋の形】
 薩摩芋型の飛行機をシャープ・ロットンという。
地へ降りて自動車である。これの着物吊るしを
いう、薩摩芋という。この型の意という、この形の
総称である。薩摩芋型という。着物のハンガーで
ある。この形の墨という、いかすみを入れる墨で
ある、天理名産である。古くの天理丹波市の
藤堂の墨である。薩摩芋のおなら縁という。
福島五老を、天里ずれ、という。あまざと弓の
言葉という、あまざとの福島という。京都の栗村
御所の言葉である。栗村という村である。
ウエックリーという、はなぶす語という。福島の
五老町である、五老村の頃の話である。
アンナープラ発布という、福島発のものをいう。
アンナープラは、ウトロの隣の場である意という。
網走番外地のある所ともいう。アンナープラと
いう言葉の意という。
【篠山浅野原】
 アンナの土という、古く兵庫篠山の土語で
ある。篠山城の古篠城という、とりすみらま、と
いう。そこの城の言葉である。浅野原の城とい
う、篠山の古い頃である、ここの城下という、
浅野川という川筋の町である。
シャープ・フロントの航路という。
ここを、アンナポーレという、アンナーレラランゼー
という、篠山のアイヌ語という。篠山市の
日置辺りである。寝ることの具現と
いう日置村である。日置城のことである。
香薫城という、篠山城町という、城が有数
あった話という。高槻御前という話である。

イギリス・ニューヨークという、この浅野川の
沿いの村と似たような町相である。シャープ・
フロントの絵という。他の地方にもよく似た所が
ある、和国やっぱ、という頃である。和国夜半、
和国矢葉。福島五老村もそうである。若い人の
古い故郷である。消えゆくような古い思い出と
いう。かすかな記憶という、あざと思い出す村
である。福島発、あざである。村の小さい頃で
ある。この日、
(栗村語、後、樺太政庁の言葉)
京都を目という、
江戸を者(ト)という、
大阪を、ヌメ、という、
九州植村を、ソリ、という
北海道小樽を、ナムという
横浜をケリという、
広島を、アキという
岡山を、ノホという
和歌山を、ネレ
愛知名古屋を、おわらり、おわりょ、こし、という。
秋田雫石を、ほせはっぷ、
岩手釜石を、つれつい、という(大槌のこと)、みどりの(翠乃)
靑森恐を、きよはる、
島根を、とか、
鳥取を、だいらみ、
山口を、こはる(小春)、はぎめけ、
大分を、るおす、るお、
札松大隅を、くっぷ、
奄美大島を、しまそね、
琉球を、くずたり、
台湾を、ちよそ、ちよその、
アメリカを、ダッセラ、
アフリカを、ミョウ
中国の山東を、ぎがぐ
朝鮮半島を、チヂミ、

ロシア皿府という、樺太のロシアという。
ルーレル・ラッパーという。
ルースす、ルーレットの延伸である、
ルーレル・ラッパーが語源である。
ヨーロッパを、もはれめ、
オーストリアを、ダスト、ダストン、かいころ島、
【栗村語】
 福島の古い五老村の言いである。栗村語と
いう、クリルという、クリール・ランゲージという。
後、樺太政庁の鹿山語という、樺太の共通標
準語という。千島渡りの大泊の出である。共通
出発という。九州植村という、福島の栗が
植わっている所という。
【半世紀のずれ】
 古い昔の言葉という、今が昔である話という。
若い人の脳は昔の脳である、駄作者は現代の脳
である。半世紀遅れの頭という、若い人という。
コンピューターが半世紀前にあったという人である。
スマホもそうである。
 どちらも頭のよい人である、殊更の駄作者という。
【虚構】
 虚構に住む人である。
虚構の駄作家の故郷である、虚構村という。
九州植村という字である。若い人が好きな虚構
である。段という段論である、虚構という言葉の出で
ある、九州、字植村という。虚構の村という。

2021/05/05
そうきょうよいお書き。M05。
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』
 

出発20090904  緑夜

楽譜添付
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【曲名】 出発20090904 緑夜




    創曲、2009/08/21小林壱裕
    造詞、2009/09/04小林壱裕
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】秋残りと合唱団
    コンピューターによる
【場所】WWW
【作成ソフト】
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
  Music Creator     Cakewalk 社
Harmony Assistant  Myriad 社
【歌詞】正里
1.
春の緑夜
緑夜の  春雨上がり  君、駆け寄る
額輝き  増す光     清らな瞳
若い胸内  伝え    手は触れ合う
やさしさあふれる    心の香り
私たち  包む闇   深くなり
青い道  歩む    足音そろう
2
私は君の 夢を見た   君、現れた
胸奥に夢 いつも持ち  君を思った
夢を信じて いつの日か この世で
私は必ず  君とは出会う
夢かない そばの君 今、うつつ
胸はずみ 緑夜に  星流れ
3.
緑夜うつつ 輪を描き 星は流れる
紫紺の雲間 星話す  あの人のこと
夢をかなえた 夢の人、あの人
体に広がる  うれしさあまり
「天雲に   灰色の月 騒ぎ出で」
あの人に  銀色の 光の輪 投げた 

解説  「夢に出て来た未知の人に会った」という不思議なお話。

【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
【歌詞解説】
2021/05/05
そうきょうよいお書き。M25。
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』
 5/7休
 

2021年05月08日

出発110 霧狭由

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音楽
【曲名】 出発110 霧狭由






    創曲、今 出発・正(やなぎ)  2021/05/07
    造詞、今 から ・正      2021/05/07
    監修、今 正出         2021/05/07
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】
【場所】
【作成ソフト】
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
【歌詞】正里
夕暮れ時 紅時 ウラジオストック行きの船
停まる港 岡のけいから 三角岡 ピロゾの絵
旗あげてる岡の世は 昔訪ね 山の世々

 朱鷺くる来場 切り出し木々 古かいはるの豊南
 大鳥が羽を広げ飛ぶ三角岡 灌漑
 地は江戸似の日目のふり 服の振りに御叔父きび

とめふずはぎ こいしだれる ほうそみすらふ とぜやりく
ほのすめるひ はぜるはいしぶほる れんとす ほのゆらめ
こぜくみくず くずめずり ほのれずばる はなすよれ

 といみなろぶ こくらにる はなぬそらろろ ふふろろず
 すろの岡の くいず はかれる あよみのなで ふろさゆき
 狭霧消ゆる 港江の 船のほのや 狭霧よび

【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
【歌詞解説】
2021/05/07

●けいから:きんと言い。景色。
ひめのふり: 日目振。日目寄とも。江戸似日目。
きび:来られ、冠語の敬語。北寄冠話。きびだんご
の語源。延伸に、吉備 の談合という、桃太郎の話。
●とよみなみ:豊南。方難という、岡の方の北の南、
南斜面。後、北見という。北のこととも。この『北』、
来たの意とも。
●3番、歌語。そうきょうよい日という意味。スローの意
の山の江の意の歌。
ロシア語のスローで、漆法の技法の意。スロー塗り
という、ロシア蝋という。
狭霧消ゆる港江という霧狭由という古い名前で
ある。ここは、大住(おおずみ)という。レールワンタと
いう、ロックスのペルーという。ペルーラン・ファックの
場である。ペラフという、ベラ津という。べらづの山の
お末という。



『狭霧消ゆる』が、その技法である。その技法の
使われた港である。狭霧という大槌(おおつい)である。
杭ともいう。大杭の打ちという、杭を打つ技法である。
港のガンダムという、港の桟橋という、屯浜という、
その作りである。環頭の場のこと。
【土木】
 環頭狭霧という、狭霧消ゆるという杭打ちである。
杭が霧になる意という。きりぎりす工法という。港の
册朝の歌である。この册を裂くという、裂地の言いと
いう。興業の場である、裂く地興業という、册地
鉱業という。册裂興鉱という。**という名の地と
いう。そこの出の鉱業である。**という、
**という、各地にあることという。樺太のピロゾという。


大槌うちという、小さいマチ針という裁縫の針のうちという。
その造りである、マチ針工法という土木の法という。
その土木の打ちの対言である、ついつちの言いという。

滋賀県土山という、坂のある町の、なりを、町槌と
いう。その槌(つい)、山である。その山のぐぜがわ、
という、クネクネ曲がって流れていく、町の川という。
この川が、針の縫いである。やまぬ元の縫いという。
やまである、槌である所を、縫い流れ、という。

略。
【滋賀土山、京都五条とめ】
 **、私の好きな滋賀県土山
という。これの小さなものという、京都市西京区の
五条とめ、という、ここが、槌ができていた所である。
砂漠という。先尖った槌が盛り上がって針のように
何本もあったことという。
 外国のイスラエルの砂漠にたくさんある、大きな
槌が突き出た地とぞそ。鋭砂漠という。
これを、シャープ・サミという、されせるのお槌という。

 **
暗闇を、**  めくらがりという、くらがり
である。
 


亀岡の崖でよく使った工法である。大町縫いと
いう場所である。角巣という角図の図面という、
地図とも。


**册は『柵』です。

そうきょうよいお書き。M07.
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』
 

2021年05月09日

出発120 組織


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音楽
微力な協力。横巧みに協力します。横田めぐみさん、
有本恵子さん、他の人達、健康でおられることをねがいます。
あの日のあの日、横田組の井戸もあるでしょう。
関係者の方々、重ねて健康を願います。
  出発や!! 会いの出発。
 風化の井戸の傍、使える井戸もある、
水汲みでもしておられるかな。炊事洗濯には必需品。
『人をいじめたらアカン』と言うてるやろ。
人と人との出会い、大切なことです。
 横田滋さん御霊御魂、幽霊で頑張っておられる
ことと、存じます。
思いは、あることと。

1975年(昭和50年)7月 そうきょうよい時。
1976年(昭和51年)7月 そうきょうよい時。
1977年(昭和52年)7月 そうきょうよい時。
横田滋さんのそうきょうはよい。
横田めぐみさんのそうきょうはよい
有本恵子さんのそうきょうはよい、
他の方々のそうきょうはよいです。
柳そよ風、書す。
1960年(S36)5~8月 そうきょうよい時です。
1961年(S36)5~8月 そうきょうよい時です。
1962年(S37)5~8月 そうきょうよい時です。

【曲名】 出発120 組織


    創曲、今 出発・正(やなぎ)  2021/05/09
    造詞、今 から ・正      2021/05/09
    監修、今 正出         2021/05/09
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】
【場所】
【作成ソフト】
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
【歌詞】正里
横巧 朝の巧 山口の組もある
欧の下 組流し そうきょうの 組興し
山川に 添うる 出手に 上がる水の勢う様


【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
【解説】
【歌詞解説】
2021/05/09
 井戸の造りを組織という。横田組という組である。
井戸の組織という。井戸掘りの尊さをいう。井戸
作りの尊びという。
あああああいいいいいうううううえええええおおおおお
そうきょうよいお書き。M25。
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』
 

2021年05月10日

出発122 新潟省線

【曲名】 出発122 新潟省線
【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
【解説】
【新潟省線】
2021/05/09
 新潟省線に乗り、新潟へ行く人という。若い日
の槍という。村尾槍という駅の出でという。槍雄槍
とぞず。後、村尾槍とぞ。この村尾、長岡の村尾
でもある。今の新潟村上市のゆめふき、という駅の
し正という。村尾正槍という。村尾のゆみふき、と
いう。ゆめみむ槍という。槍やりのとい浜という。
 古い 、穂浦のといの浜という。これをペクセルと
いう。後、ペクゾという、ペクタレのおいしば、という。
浜芝のゆいおりという。ゆい芝という。

 芝をつめという。つめ芝のあっぱくという。圧迫。
あっそぐ栗すりの、茎しく、という。栗の実をする、
栗やり、という。栗しるのおい、という。これを、音
玉という、音玉のりりふきという。これをめてゆてと
いう。マルーレルロンブのお言いという。

 このマルーレル、まべすとっきという。まべすとっきの
あえさる、という。りりするゆっく、という。くくせるいや
すら、という。メットの言いという。これが、メットの出
である。ヘルメットのメットである。これをヘルブという。
これを、英語のヘルブという、ヘルプの語源である。

 メットをヘルという。ヘルタスのいそみる、という。
めべんすの言いという。これが、あまふみのいそゆそ、
という。マックレスという言葉の種類とぞ。
【新潟村上】
 省北という、村上の言いの、古い言いという。
村上の地を省北とぞ。この日の村上、村尾という。
村尾っぺ、という。村尾辺という。村すらのくまゆき
、という。めれての行きふき、という。こけを、めへる、
という。めとよとの言いとぞ。
【新潟風聞】
 村山言いという。村のことの言いという。古く、
さっぱす、という。冠語の言いという。かんせまらる
おりゆり、という。これを、めゆよんてす、という。
 古い穂浦のことの言いという。てむそめのおきく、
という。この『きく』が聞くという、おきき花いう。
菊のことという。村上の言いの、きくに、この意が
ある。村上のきく、という。これが、菊を飾る飾りの
ことという。外に置くひに、風に揺れる花という、
菊を、ゆられ花という。これが、風聞という、風聞花
という、菊のことである。風聞の語の元である。村上
出の言葉という。

 風聞ゆっきし、という、村上の方便のことである。
方言である。ここの村上を、京せる、という、村上を
京せる、とという、冠語である。

 この冠語、むゆせるのおいそい、という。後、村上
冠語という。これが、村上著という、著が初めの意
である、出のことである。

 村上を出る、村上著という。これが、村尾槍の
言いである。古く、新潟露堀という。井戸の露堀
という。この井戸のことを、てそよそ、という、井戸を
てという、てそという、てそよそという。井戸のて、と
いう。これを、てそるり、という。るりを井戸という。
るり井戸という。るりるりのお言いという。
【京都壬生】
 これが、京都の壬生村のるり井戸という。この
井戸のある日のこととぞ。京都壬生の省線途と
いう。これが、旅の途である、道である。今も使う
途の使いである。これが新潟村尾の出である。
これを村上由という、村上行きであり、村上からの
来り(くり)という。行きくり、という、行き来のことである。

 まいすりのお言いという。この『いきくり』が、京都
壬生の賀陽御所の言葉である。この賀陽御所、
四条縄れま、という城の言葉とぞ。四条城という。
四条坊城の城である。後、この辺り、池をいう。
池になった四条坊城とぞ、今の京都四条坊城
である。この辺を、むらんと、むらゆら、むらす、と
いう。四条の坊城近辺である、壬生寺辺りと
いう。
【歌詞解説】
 ここの省線から新潟へ行く人である、若い人と
いう。村尾槍に香炉峰をいう、香炉峰に似た村尾
槍という。香炉村尾という、新潟村尾槍である。
ここのお行きという。これを、村田そみすよ、という。
村尾を村田という、むらべらのお言いという。村田槍
という。これが、村田のいもそよ、という。いも言いと
いう、村田の言葉をいもという、いも語という。
たってらすっくという、そみそみの言いという。

 これで、村尾に後、てらという言いのものがあると
いう、この『ある』を『でる』という、ものがでる、という。
これが、普通に使われる、『井が出る』という、『井が
ある』という意味とぞ。村田のいも語である。
【村田芋】
 この日、村田芋があったことという、芋の田とぞ。
芋田の村田という。村田芋という、さつま芋のこと
とぞ。村田をめでることという。この村田、芋田の
意で、井戸を掘る、この堀を、芋づる井戸という、
掘ることを井戸という。これを、芋掘りという、井戸の
堀の一つである。

 この芋掘りが村田にある、この村田が村尾である。
村上の村尾という、今の村上市である。この日の
村上を省線村上という、使用船の村上駅という。
ここが、村ゆれ、という地である。後、城が建つ場
とぞ。この日の城、省線村尾城という。線の横に
建てた城である。五階建ての城である。これよの
建てという。村上省線城である。省線が和国邦
の線路である。
【新潟省線】
 新潟へ行く線路という、新潟省線という。後、
じぇっとり、という、じぇっと里の言いという。ジェット機
で行く新潟という。このジェット機、今のジェット機で
ある。これを、たのふれ機という、期とも。古い新潟の
村上を、たのふれ期、という。新潟の『期』が、
この意味という。今の期であり、時のことである。
【京都菊水通り藤井宮】
 たのふれ期の今崎という、京都北大路菊水通
りという、今の北大路橋の所である、今崎とぞ。
ここの出の言葉である。新潟村上にこれがある。
『おいっと』という、おいと言いという。『ある』ことを
『出る』という言葉使いとも。新潟の古い村上の
言葉である。『しつれんしました』という村上である。
城の言葉である。村上じょうこ、という、こ言い
の言葉という。古い村上の言いである。城を
建てて住んでいた若い人である。

 名を殿木という、とのゆらの名前という、とのき
ゆらの名前という、場所のことである、村上の
かみそれ語という、村上にいた頃の言葉である。
村上市字闇という場所である、省線村上の駅
である。
【京都亀岡むろふり】
 後、京都の亀岡の、むろふり、から行く、亀岡
大町の西隣の駅という。むろふり山勢(やませ)と
いう駅から行く 。この日、省国という、省線の
傍の場である、省国という、むろふり省国という。

 村上城を、省線城という、省線国城という。
省国城という。省線の場の城である。これが、
村上の記である。

 しだき文字で書かれた書類がある。しだらく字
という、古い村上の字である。この村上を、しだき
世、という。しだき夜ともいう。しだきの詩の言いを
いう。説楽字の世という、場所の事である。
【村上軍記】
 古い世のお書きという。シダキ文字を使っていた
若い人である。村上軍記がこの字で書かれている。
古い大美島という、わかゆまけん友が島の字とも
いう、和歌山の島へ渡る人というねこれを、村上
水軍という、瀬戸内海の海浜由という。将校の
渡りという、大美島の頃に住んでいた若い人とぞ。
友が島の砲台島は、この後である。坂本のゆけ、
という、これが、坂本の龍馬という、坂本龍馬の
掛かりという、土佐高知の坂本の地である。
【和歌山砲台島】
 大美島の矢を、坂本ゆけ、という。煙がたなびく
家である。砲台島の時にも煙がたなびいていた
ことという。火山であった話という、砲台島間の
ことである。そこの言いの『もも』という、蛇のこと
である。それほど蛇がたくさんいた島という。

 村上の『もも』にも、この蛇の意がある。網目錦
という蛇という。村上蛇という、大美島蛇という。
錦蛇である。おとなしい蛇である。

 全国至る所の蛇塚という、この蛇のいる所
である。若い人は恐いという。蛇を怖がる人で
ある。白蛇もたくさんいた頃である。
【村上錦蛇】
 村上錦蛇という、アカダイダイという、ダイダイ蛇
のことという。真っ赤な色の蛇という。黄色い蛇とい
う。色んな色の蛇がいた、村上城近辺である。
【新潟王】
 新潟欧という、蛇のことである。王ともいう。
蛇のきみ、という。蛇王という。紫の蛇がいる。
この蛇の言いという、紫蛇王という。京都壬生の
京都壬生の香炉峰の煙のたとえである。紫式部の
きみ、という、枕草紙のへびを、きみさま、という。
清少納言の言いという。この清少納言、虫でも
ある。小さな青い虫である、紫色ともいう。
これがたくさんいる、京都壬生の原という。
壬生野のお虫という、村上城るず、という。
『るず』が虫の意である。
【李宮】
 この言いが、李の宮の言いである、李宮則と
いう。この李宮、村上城の一階の部屋である。
若い人の住まう所である。滋賀の城の言いとも
いう。滋賀の信楽せまるり、という。信楽の砦城
という、そこの言いという。信楽のつゆ浜の城
である。彦根の城ともいう。長浜もこれをいう、
清少納言の到来という、この虫の来とぞそ。
この『来』を期という、箱根の言いである。
煙が上がる箱根という。静岡の箱根である。
【静岡箱根】
 後、ボーイングという、箱根ことである。
煙があがる中を行く、B29である。後日のことという。
箱根のお行きという、京都五条管制を出でたB29
とぞそ。

 出発の出で立ちという、『大町ゃゆっけ』という、
飛行機の使いの頃である言葉とぞそ。村上亀尾
由良という場所の管制という、村上管制の言葉と
いう、外国語の、アヨ語である、朝鮮の古い言葉の
アヨ語という、古朝鮮語である、今の朝鮮語である。
韓国の五という五帝泉の言葉という、今の京城の
言葉である。ヘギョン則という、古朝鮮の言葉の
所とぞ。ヘギョンの町のことである。
【ヘギョンの井戸】
 ここの横田井戸という、楕円形の井戸である。
ヘギョンの町の井戸である。かくさんの日本人が
いる町である。
【ウラジオストック】
 モスクワ・ウラジオストックという、ここの町の一部
という朝鮮語が話される町という、ロシア人が
朝鮮語を使う町である、一区という。若い人の
行ったウラジオストックである。樺太の言葉という、
ウラジオストックの管制語という、李宮冠話という。
李をリゼという、これの延伸とぞそ。ウラジオストックの
冠話でもある。
【ロマノフ】
 ロシアのモスクワ、渡したの故郷という、若い人で
ある。ロマノフという、若い人の急襲という、急ぎ行く
意とそ。ロマノフの急襲という。『行く人、涙のロマノ
フ』という、1917年の1917みだ、である。旧日本
帝国の人という、1を『ヒト』という、ひとふたみその
いいという。ヒトフタマルフタという、1202という数字の
読みとぞそ。12月2日のこととも、間宮海峡を渡った
ひとである、若い人である。樺太経由ウラジオストッ
クである。出発陸軍である、B27である。
後程。
そうきょうよいお書き。M09。
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』
 

2021年05月11日

出発132 ニューヨーク

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音楽
【曲名】 出発132 ニューヨーク

    創曲、今 出発・正(やなぎ)  2021/05/11
    造詞、今 から ・正      2021/05/11
    監修、今 正出         2021/05/11
【歌詞】正里

【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
【アメリカのオランダ・ニューヨークの話】
2021/05/11
 アメリカのニューヨークに、小さいニューヨークがある、
オランダ・ニューヨークという。そのニューヨークの言葉と
いう。にっそ語という。日本のロシア語という、この言
葉が町の言葉という。日本の出がある。オランダの
町とぞそ。

 江戸幕府という、エドリカという、町名のことという。
マヨンの闇という。めよめよのうるやる、という。花山の
えよはな、という。ここの、けき、という、ケーキのこと
である。オランダ商館という。商法の町という、ニュー
ヨーク・レンベスという。これを、ニューヨークという。
 オランダの言葉という、オランダ語の使いという。
日ソ語という、にとよとの言葉という。オランダが、
花を、フロスという、フロールという。これを、花背山
という、花の茎のことを、花背という。花山の丘と
いう。やや山のおよふり、という。うりがある話という。

 オランダのうり、という。これが、ニューヨークの商法
になる。また山の言いという、商法という言いである。
 オランダ商法の話という。ニューヨークの町の古い
商法である。これを、あきなき、という。商うという
ことの言いの、古い言いという、あきなく、という。

 この『あきなく』が、波の鳴きである。ニューヨークの
山の家の傍の聞きとぞそ。あきなく鳴く鳴きである。
これを、英語でいう、レブソンという、レブスーの町の
屋のいか、とぞそ。ここを、レブソンの町という。マヨン
の花という町という。

 これが、江戸朝という、江戸の言いのレブソンと
いう。これを、レフレルという、この言いのオランダ語
という。オランダ語がレブホキという、これが、日ソ語
である。ロシアのウラジオストクの言葉という。
ウラジオ闇という、この言葉の意とぞそ。

 日本語とロシア語の間のオランダ語という。この
オランダ、古いフランクという、フランク語のベルオゼ
という、ベルラルの言葉の元の言葉という。
【オランダ】
 オランダ語が、自分をベルギー語という、このベル
ギー、古いフランク王国という、フランクのことを、
ベルオという、ベルオリという、これが、江戸幕府の
呼びである。この江戸幕府、飛騨高山の江戸で
ある。高山の城の言いである。これが、高山城の
オランダ作りという、ヘルギーの町のことという。
 
 この町が、山々のある、ここのニューヨークを、
ベントル・レブソンという。これが、レブソンの町の
名である時という。私のいたこのニューヨークの話と
いう。オランダのニューヨークという。

 地震があったという、ニューヨークの町の古いこと
という。この地震、遠く、ふられるすみそ、という。
ミスミ・アンド・ウェットソンという銃の出という。
これが、古い火縄銃という、火縄の銃のことという。
これが、スミス経済学のピンでもある。オランダ火縄
という、オランダの火の火薬という、火薬の山のおい
かく、という。これが、ニューヨークの日本式城である。
建てが日本のような建てである。火縄のオランダ
銃という。古いアメリカの銃のことという。

 この時の作りという、種子島銃という、日本の
種子島のことという。このニューヨークを、種子島と
いう言いという。ニューヨークの離れ島ともいう。
ニューヨークの家のことという。沈んだ島である。
【ニューヨーク島香槍】
 ニューヨーク島という、大きな島である。島を、
えどみま、という言いの江戸香山の言いという。
この島の造りとぞ。香槍という山があったニュー
ヨークという島である。これが、四つのニューヨーク
である。

 今のアメリカ・ニューヨークという、この南の小さい
ニューヨーク、このもひとつ南の、もひとつ小さい
ニューヨークという、このニューヨークの対岸である。
この島が、どこのニューヨークからも見えたという、
これが、オランダ語の古い言葉のオランダ語にある。
オラン語の話にある、これの造りが、ニューヨークの
町の古い話にある。

 これが、遠いベルギーのことを、ぱっさめ、という、
パッサムの町という、この町の言いという。オランダの
ニューヨークという、オランダ語が通じていたニューヨ
ークの四つの町という。後、ニューヨークの公用語と
いう、ニュー楽という、ニューオーの言いという。これ
が、ニューオーリンズという、綸子の造りの四つの町
という。パラッセムという、パシブズのおるれる、という、
日本冠語である。
【寿司】
 ニューオーリンズの町という。これが銃の町である、
タルサという、タルサ町の古いことという。タルサという
、ニューオーリンズという、これがテキサスの町にある
タルサという、古い樽の町という、ここの話である。
【オクラホマ・タルサ】
 北のニュータルサという、オクラホマという、お蔵
の樽という、タルサ巻きという寿司がある町である。
タルサである、どちらのタルサとも。アメリカの米で
ある、その寿司である。タルサの拳銃祭に出る
食べ物という。シチズン八田という、シチズンの
鉢巻き寿司という。これが、鉄火という、寿司の
鉄火である。現、日本の寿司と々である。アメリカの
タルサの出である、寿司がタルサ発である。

 これがオランダ商館の、ニューヨークのオランダと
いう。島のニューヨークという、この対岸の小さい
ニューヨークのことという、タルサ巻きという寿司
という。

 このタルサの話の、ダラスという、ダラスの古いこと
という。ダラスが州を使う、ダラッセルという、これが
スミス・アンド・ウェットソンの銃という、古い火縄の
銃である。これが、水を使うニューという、ニューで
かかる水である。水辺の町にニューがつく話という。

 オランダの掛かりという、古いオランダ語のニュー
という、水の意という。この水が、古いベルギーランド
という、フランクのことという。古い大きな地を、ベ
ルギーという、フランクという、ベルギー公国という
頃のベルギーという、その中のオランダ国という、
この国の言葉という、ニューである。

 ニューフォーズという、英語の、フランク王国である。
この頃のアメリカの上の文の土地である。

 テキサスの水の話がある。二度目の地震である
日の、ナイアガラの滝の話という、大西洋の水が
やってきたという、ナイアガラの滝の出来という、
その滝に今もある、若い人の住んでいた家である、
テキサスの古い話という。家の名を、ウエットという。
ウエット・シーズンという、古い日の若い人の話で
ある。

 ニューオーリンズの話という。ルイジアナのニューオー
リンズという、水の掛かる場所である。ここの話が、
近くのタルサの話である。ニューオーリンズのラファィ
エットの南くらいである、タルサという町という。
どちらのタルサも水掛かりの町である。寿司もある
テキサスの言いの寿司である、日本語と同じである。
【イギリス・ロンドンの寿司】
 寿司というアメリカの文化である。テキサス発の
ニューシスという、このニューシスが、イギリスのロン
ドンである。イギリス巻きという、ニューシスのことと
いう、寿司である。ロンドン・モッコスという、別名
タルサ・ロンドン巻きという。ここが、髪型にある、
毛髪を高く巻き上げる、竜巻のような髪型という。
これが町の造りをとる、髪の町という。
タルサ、ロンドン、オランダ、古いスコットランドという、
ここにロシア語がある。これが日ソ語のロシア語で
ある。

 ロシアのベラルーシという、ベラルーシの言葉とぞ。
ここが、ニューヨークを京都という。古いベラルーシの
言いという、京都が水に浸かったことをいう、古い
モスクワという、京都をモスという、水に浸かった頃の
ベラルーシである。ベラルーシが後、水に浸かること
という。ベラルーシの『ルーシ』が、水である意という。
これが、日ソ語である。モスクワ公国という頃のベラ
ルーシである。後、ソ連が出る、その以前のベラシ
ルーシである。

 手にハンカチを巻く人という、日本の町を、ベルと
いう言いをする人達という、行進の安をいう、ベル
ギー安巻きという、ベラルーシのベルが掛かる言い
という。手のハンカチという。
【地震のロール波】
 手を素手という、素手をベラという、これのベルギー
という、ベルリの里のお言いとぞそ。ベル祖という、
古い国という、ベルギーという、フランク王国のベル
ギー国である。一部ベラルーシに掛かることという。
ソチの言いのベラルーシである。水がかかるソチという。
これが、ヨーロッパの、ニューヨーク島沈みの時の掛
かりの場である。遠く日本にまで及んだという、
地震波が、大西洋、ヨーロッパ、ウラジオストック、
日本という。

 ニューヨークから、バンクーバへ行き、バンクーバで
津波になる、アリューシャン列島の田尾島という、
島が沈み、後、樺太へ一部津波が上陸する、
樺太の大泊でいた人という、波の高さ1.5メーター
程である。明くる日、サハリンへ言って見た、地震の
津波の合わさりという。サハリンという、樺太の南の
涯の場という。

 対岸、宗谷で波がなくなった話という。両から波が
押し寄せてきたという、さざ波の波という。宗谷を、
さざ波鳴き、という。なくなった話という。

 ニューヨーク島の沈んだ時のことという、古いニュ
ーヨークが話す、マグニチュードである、M35と
いう、地震とぞそ。これが、ロール・ウェーブという
英語という。
【フランス・オーベルニュ】
 フランス語のニューオーリンズという、ラ・ヌーベ
ル・オルレアンという、オルの意味が水である。
新水のアンという、フランスのオールという町に
この、アン巻きがある、寿司の巻きという、
巻きにしない寿司である。海苔の上にご飯と
寿司の具を入れる、寿司である。オールドー
ニューという町の寿司である。名水で有名な
休火山の町である。オーベルニュの町である。
オールドーニューという。ニューの掛かりである。
オーベルニュの水という、火山が噴いていた
頃である。ニューヨークという、沈みの話がある、
オーベルニューの井戸の水汲みという。

 『若者がここへ来たら、冷たい水あげましょう』
という歌の町という。水の掛かりの頃である。
オーベルニューの地震という、ニューヨーク振れ
という、古いオーベルニュの町の言いという。
火山が黒い煙を上げたという、ニューヨーク島が
沈んだお弔いであるという言いをする、ヌーベル・
バーグという、ニューという新しいという意味である、
水掛かりとも。黒掛かりの言いである。

 黒いヨーロッパという、中世のヨーロッパの話という。
黒いチューリップの岸という、火山の周りが水であった
頃のオーベルニュという、黒いチューリップが植わっ
ていた、黒火山島という、オーベルニューの話と
いう。ニューヨークの古い話である。音楽小町と
いう町である。
http://akinokori.sblo.jp/article/185874136.html

【タルサ方言】
 タルサには、タルサ語がある。タルサの町の言葉と
いう、米語の方言である。私を『トー』という、
『トー、レッツ』という『私が行く、いる』意とぞ。
アメリカ英語の方言、通常語である。拳銃祭の
時に使う言葉である。タルサの各町の言葉である、
数ヶ所ある。イギリスの人の造りという。

 ボルトスの井戸、ボルビックという山である。
日本の、宝塚山という言いである。

そうきょうよいお書き。M25。
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』
 

出発130 会いの出 ?? ??? ??

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音楽
【曲名】 出発130 会いの出 ?? ??? ?? 



番送譜

    創曲、今 出発・正(やなぎ)  2021/05/10
    造詞、今 から ・正      2021/05/10
    監修、今 正出         2021/05/10
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】
【場所】
【作成ソフト】
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
【歌詞】正里
あの人に会う旅は楽し 長く会わずにいたが 会う日が
来た 昨日から 心楽し 柳と言えば よい人に会う
御母に教えられ 今 口にする時 今こそ会う

  手紙を書いてその日に行く 遠い故郷の景色が
  目に映る早 心は故郷 船に飛行機に長旅では
  あるけど 会うはこの世の人の幸せ 弾む心

会ってだきあう 互いの日は 過去を振り返り思う長い
年月 ともにいたあの頃 思い出蘇る そこにいる
私は世を乗り越えて行く ひとめでも会う必ず

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【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
【歌詞解説】
2021/05/10
そうきょうよいお書き。M10。
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』
 

2021年05月12日

出発134 朝鮮波山

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音楽
【曲名】 出発 朝鮮波山

    創曲、今 出発・正(やなぎ)  2021/05/11
    造詞、今 から ・正      2021/05/11
    監修、今 正出         2021/05/11
【拍子】4/4
【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
【歌詞解説】
2021/05/11
【朝鮮波山】
 朝鮮波山という所にうちの石碑がある。その石碑
の話という、かくそく、という言葉が書いてある。これ
が、横に、糸と書かれている。この書きの意とぞそ。
 朝鮮ヘギョンという、ヘギョン落という、ヘギョンへ
行く日の、はせゆさ、という。これが、上宮の書き
である。上宮を、たかみ、という。新発田の書き
という。新発田という新潟の新発田の宮の書き
である。この新発田、うちの名である日さぞそ。
 これが、新潟の宮の言いという。うえみやと
いう、上の宮の言いという。この上に、下の宮
という。しものみや、という。これが、新発の宮とぞ。
新発田の宮である。これが、大阪の阪大のこと
の書きを入れた書きの碑である。

 朝鮮のヘギョンという、ヘギョン則のお書き碑とぞ。
チョッポンという、ヘギョンの言いの、パッカンという。
パッカンが、バギャモンという、バッキャモンの言いと
いう。遊戯のバギャモンである。これが、朝鮮双六
という。朝鮮の遊戯である。これの碑が波山の碑
である。朝鮮サーミルという、後の、日本の言いと
いう。

 バッギャモンをサーマーという日本の言いという。
これの碑である。朝鮮の波の意という。波が地震
の波である。この波、南の韓国という、朝鮮の呼び
の南朝鮮という、北を北朝鮮という。この碑の朝鮮
半島という。任那がたくさんある朝鮮である。
日本府という。

 日本の唐国という、とうこく、という、からくにという。
これが日本にある、唐の意という。唐が朝鮮を指す
ひである。これの意味の朝国という、朝鮮を朝国と
いうことの意ともぞ。

 これを、和国の言いという。この碑の朝鮮平壌と
いう。日本の小崎という小崎御所の在りという。
小崎御所があるヘギョンという。この小崎御所、
日本にもあることという。福井、九州名護屋、
愛媛宇和島、香川おおより、歩危御所という。

 これが、当時の御所のふりである。このひの御所
紫宸殿の御間という。御間の言いの御所める、と
いう、御所言葉である。
【大阪市大】
 大阪一という、大阪の阪大のことの言いという。
この阪大、古く、まとめ、という呼びである、のこ
呼びが賀陽御所の呼びである。壬生賀陽である。
のち、御所の賀陽御所も、まとめ、と呼ぶ、
阪大のことという。この阪大の話という、交野の通所
という。大阪交野から行く阪大という。この飛行機と
いう。斜めに翼を付ける、胴体と平行の翼である。
これが、斜めに付けられたひという。大阪市大へ、
阪大から行ったことという。若い人の私という言いの
市大言いという。大阪市大の言葉である。
【鷹のイオン】
 大阪市大の言葉の出という。これが鷹を飼う
二条城という、大阪のイオントーブのひかる、という。
鷹をひかるという、イオントーブの言葉である。
朝鮮語でヘッツキという。へとせ、という。この朝鮮語
、今のピョンヤンという読みの出のことという。
ピョンヤンが、朝鮮のヘギョンをいう、ヘギョンの平壌
という、この平壌の以前の呼びという、平壌以前の
地のことという、ヘッギョン・パースムという。
【ウラジオストック~平壌】
 これが、波のオロレ国という、ウラジオストックの
沿岸の言いという。にっそくの言葉という。オロレの
オロチョウという。これがヘギョンの名である。
ヘギョンの古い名である。

 ウラジオストックから沿岸づたいの鉄路という、
この鉄道の端の方がヘギョンである。これを、
鉄路国という。当時の和国という。樺太が
日本帝国の碑がある頃という。この帝国の碑の
、対の碑である、朝鮮波山の石碑である。
【サンダカン】
 これが。南のサンダカンという、商館の言いという。
サンダカンに朝鮮のヘギョンの碑の話がある。
オランダ掛かりのサンダカンという。このサンダカンを
娼館という、歌の唱を娼という。同じ意の字という。

 朝鮮の娼郎という、遊郭の話に掛かる、朝鮮娼
館という、キーセンという、妓生(ぎしょう)のことの意
とぞそ。この朝鮮、小崎御所の着物という、これと
同じである。朝鮮の衣装である。日本の小崎御
所でも使う衣装である。一名、磯着という。区分
けして朝鮮磯着という。日本の磯着との区分
けである。

 この衣装を着けて歌うことの言いという、ヘッギ
ョン・コッマという。これが、サンダカンの娼館の歌の
衣装という。若い人がいた娼館である。娼が歌の
意味である。歌の館である。音楽館である。
【オランダ娼館】
 オランダ商館という、当時のオランダの商法の屋
という。ここの商法のオランダゆり、という。オランダの
九州監督という、管制下の、五条管制のよりか、
という。五条の京都の言いの長崎のグラバーという、
ハウステンボスという、オランダの掛かりという。これが、
娼館の意である、前後、商館という。オランダの掛
かりである。英語のニューミョーという、ニューが水の
意味である。サンダカンの水ともいう。海辺の町で
ある、オランダが掛かることという、古い日のオランダ
語が通じていたことという。言葉の掛かりである。
オランダ娼館という遊郭掛かりの言いである。
【ガダルカナル】
 第二次大戦のガダルカナルという島の言葉とぞ、
オロチョウ語が通じる島という、これと、オランダ語
という、これが通じる島である。ソロモンという一島
である。ここの小崎という、名が『さき』という。これが、
日本語のさきである、この『さき』の意が、崎、先、
咲きである。これが、サンダカン娼館のさきである。

 サンダカンが『さき』という、ガダルカナルがいう『
さき』という、同意である。オロチョウ語のシオンで
ある。日本語で、紫苑という。しえん、しおん。
これが、紫色の話である。むらさき、という。
バイオロンデーという、オランダ娼館の言いで
ある、サンダカン娼館の言いともいう、ガダル
カナルの言いである。紫色のことである。

 言葉が入ったことという、ガダルカナルの
戦場という、言葉のことである。若い人のガダ
ルカナル戦である。オランダ娼館から行った話
という。遊郭の初期の娼館という。遊郭のことを
娼館という。これが、京都の御所の言葉で
ある。古く、丹波篠山の言葉である。
園部娼録という、園部の黒田遊郭である。
尤離郭という、遊郭、娼館の以前の言いで
ある。
【遊郭】
 『しましょう』という、京都島原の尤里冠白
(ゆうりかんはく)という言葉である。後、吉沢と
いう、吉崎という、京都の島原である。吉原
ともいう。芸につく歌という。大お爺さんおられ
おられ、という娼館という。古い大名の屋敷
のことである。
【大村娼館】
 大村娼館という、東京吉原の娼館とぞそ。
皇居の中の娼館である。蓮の葉が咲く、
御娼館という、御所娼館という。蓮池横の館
という。カズーという楽器で、歌を歌っていたと
いう若い人である。蓮の葉が咲く横田笛と
いう。小さな楽器である。フォークなどに使う
楽器という。唱和池といううちである、皇居の
ことである。昭和池ともいう。サンダカンへ出
発した硫黄島経由の、皇居である。

 オランダ語の話がある硫黄島という。オラ
ンダの幕府という、若い人のオランダの住
まいという、交野通所の飛行機という、斜
めにした胴体の翼である、平行の翼である。
ななめ屋のななめ機である。
【カズー】
 カズーの横田笛という、娼館ラッパという、
古い丹波篠山の城下町の出である。日置
吹きという、吹き方の一種である。弁当添わ
しの楽器ともいう。弁当箱に入れておく、
食後の吹きとぞそ。フォークを添えたオランダ
娼館流の食事である。オランダ食という。
横田組という、弁当の組でもある、カズーを
添える弁当である。鹿食ともいう。奈良で
食えば鹿がよってくる話という。するとカズーを
吹く、鹿が座るという。フォークにある歌の意
である。フォークソングである。フォークを立てて
歌う人という、娼館の意である。
 フォークロックという娼館のことである。
【新潟新発田】
 新発田の町の書巻という、書道の書巻で
ある、気の町という、新発田の町という。
にいはつのブルズーという、新発田の上宮、下
宮の歌である。後、ブルースという。ブルースを
娼という町である。ブルース娼歌という、唱歌の
古い書きである。古く、まさし屋という、昌屋と
ぞ。ジェット機をブルースという、古い新発田の
町という。ここの中宮の昌館という、後、
娼館という。カズーの絵という、福島潟の山と
いう、そこが信玄という、震源の山という。
信玄の地揺れという。潟波がなくなった話と
いう。潟がひえ上がったことという。地震の予知
のことという。池を見て地震を予知する、信玄
予見という。これが、新発田の地の言いである。
全国の新発田という、所々にある新発田である。
陛上という言葉が新発田発である。しんはった
という読みとぞそ。

 大阪方言の『はった』という、『行きはった』という
『行かれた』という、これの方言の掛かり言葉で
ある。地震を見に行くジェット機である、ブルース・
ジェットという。古い日の武漢行き航路である。
大阪市大の大学の成りという、さませばの市大
という。御所言葉が一部使われる、市大冠話と
いう、さませばのことである。大学の地の意である。
新発田の砦の言いである、新潟新発田である。
【酒田市】
 酒田の町の言いという、しばれる、という。
新発田の言いという、紀州の岸和田という、
その掛かりの酒田市である。若い人がいう、
古い古い故郷である、岸和田航録という
航路のことをいう、航録酒田という、『御叔父
いらさる、おらさる』という、『いらっしゃる』の意の
言葉である。御叔父御陛という、酒田の冠語
という。ここが水で掛かる岸和田である。
新潟大地震の震源地である、酒田市という。
八郎潟がなかった頃の大地震である。M29
である地震という。潟野の揺れという。
酒田にいた若い人である。また、行く酒田市。
岸和田の航路、斜め翼のジェット機という。
ここを、和久という、和久の国という、酒田市
である。和国の国名である。岸和田を、輪と
いう、輪とも、酒田冠話である。
【さわぼ航路】
 古い日の新潟、仙台からも行った人で
ある。仙台から、鉄のロボットという、馬七騎の
航路である。黒いマントに身をやつし、という、
尾花沢越え、戸沢越え、馬七騎の、さわぼ
航路という。馬はロボット馬である。一番前の
先頭の馬、槍先の弁当という、カズーの弁当
である、次の二頭、槍先の原子爆弾である
、弁当箱大という。

 (鹿の糞という、鹿の子絞りの染めでもある。
原子爆弾の弁当箱という、放射能の缶詰という、
ウイルスという鹿をめでる言葉である。原子爆
弾の話である。原子爆弾を落として治めるダラス
治めという。アメリカのダラスのことである。)

 『原子爆弾、爆発さしたる』という仙台の
大学生である。若い人の意気である。ウイ
ルスには爆弾をという、仙台の京の教えである。
仙台の浜の御所の教えという。『酒田の行き
には、原子爆弾を』という、ウイルという、意志
である。ウイルスを、いしばき、という。
三列目の馬のことという、鹿馬という。
信玄のさわらび、という。信玄航路という。

 四列目が、昭和馬(しょうわめ)という、
五列目を、けんたみ、という、馬のことである、
五列二台、七列目、しょ、という。七で初めを
とる、言いである。信玄数えという。

 沢を行くことを、信玄行という、これを、長槍の
行きという、武田謙信という、上杉の武田信玄と
いう。どちらも沢行きの言葉である。戦争という
攻めのことである、旅行のことである。

 これが、武田謙信の信玄という、竹田のこと
である。竹馬の七段話である。しましょという
場所の竹馬という。がんぜという雪の地方の
知恵という、竹の馬で拵えた乗り物である。
 雪道へ行く竹橇という。これを曳く、竹の馬
という。沢歩きという、乗り物である。沢にも使う
乗り物という。武田信玄の乗り物という。

 竹田上杉の場所がそうである。京都鞍馬の
大杉栄である、大杉坂越えという、そこの乗り
物である。坊村という、大原奥の村である、
雪が積もる所という、3m4m積もる所という。
杉の木の植わる所という。山奥は皆そうである。
大坂染めという、木染めの羽城という、酒田市
とぞ。酒山田という場所の古い頃である。

竹掛かりの長尾景虎という、京都向日町の
長影行きという、昇扇城の若い人である。
隣が、酒(さか)の場である、裂けの意である。
坂のことという。大反逆である場とぞ。酒田市
という、酒の意である。ここを、反逆地という、
沢の岩ゴロゴロである。

 馬に曳かれて沢渡りという。長距離である。
ロボットの馬という。和国駿馬という、古武田の
武士である。伊達の黒づくめ、という、黒いマ
ントの話である。伊達の黒装束という。
酒田市の大学の教授である。阪一市という、
酒田市の和国の名である。酒田大学という
大学の教授の話という。阪一大学ともいう。
阪の酒田という、武田信玄陛という、一学生の
東大言いである。東大から行った酒田である。
黒い黄色の縞のジェット機である。また乗る
わがジェット機という、若い人である。

【武漢の鹿】
 中国北京の外白という、北京の楽器という。
古く、殷の楽器である。この『殷』、今の武漢
になる話という。ウィグルロックという。武漢のウィ
ルスという、鹿のことである。鹿がたくさんいる
武漢である。我が故郷という若い人である。
池の武漢という、ニューメラーという、オランダ語で
ある。ニューが水である意とぞそ。

 水のかかりの話である。オランダ語の掛かりの
話とも。

そうきょうよいお書き。M11。
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』
 

2021年05月13日

出発136 蘭学

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音楽
【曲名】 出発136 蘭学

    創曲、今 出発・正(やなぎ)  2021/05/12
    造詞、今 から ・正      2021/05/12
    監修、今 正出         2021/05/12

【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
【歌詞解説】
2021/05/12
【イギリス・ベニス、オランダ】
 オランダをいうイギリスがある。このイギリスが、ベニ
スという、自らの地を、オーベーという、オーベルニュ
が一部ある日の、グラスという、グラスゴーの地という。
時がアーサー落という、日本の江戸幕府という、
その時の、ストンサーという、のち 、ストーンサークル
という、この日、日本の環状列石聚合という。聚合
石村という。これが世界の巨石文化という、地震が
頻繁にあった頃のことという。密祖の言葉という、
地震のことである。江戸朝の言葉という。出が、
丹波大槍という、丹波の国の大浜という、後 、
ほられる、という。ほらしょのぺぺせば、という。

 これが京都峰の中腹という、今の京都の烏丸の
御所辺りである。今の京都御所の地が中腹であっ
た時の、御所という、ここを、ぺべ、という。
 これが後、ストーンを作る、スットンサーという、ごゆ
ふれ、という。後、京都御所に石塚が作られること
の言いという。未来への、現在の意志という、スット
ンサーという言葉という。これが、ストーンの英語と
いう。
【ベルギー公国の頃】
 この英語がグラスゴーの言葉という。ストーン・サ
ークルという。このサークルが、オーベルという、フラ
ンス、オードーニューの、オーベルニューという。この
オーベルのベルが、ベルギーである。

 ベル・ヌンベーという古いコックスの英語の言い
という。グッド・ナンバーという、現、英語である。
【ベル】
 オーベルニューのベルであり、ベルギーという国の
フランクという、ここの、ベルラルという、『よい言葉』
『よい木の葉』という意味という。ベルギーの良心
という。このベルギーのオランダが、当時の、グラス
ゴーのノッペンという、ノップラーという、英語の初期
の頃の言葉という、ノップラー・イングリッシュという
グラスゴーのベニスという時の言葉という、ストー
ン・リッジという、ストーン・リッジのグラッスズーという、
セカンダス・リッジという。セカンド・リングという、スト
ーン・サークルのことである。
【セカン、セカンダス】
 ストーン・サークルの造りをセカンという、後、石棺
という、石棺の造りという。日本の御陵をいう、この
造りが同じ造りである。この時の若い人の日本の
家という、自然石を組み合わせた家である。
【天里私楢】
 天里私楢(てんりしなら)の家という。現、京都の
卑弥呼の住居という、卑弥呼城という、そこの
新しい頃である、自然石の住居という。ここを、
ひれか、という。後、卑弥呼のまだられ、という。
この日の文という。後、文化という。文が変わった
話という、新しくなったことという、文化の原義で
ある。
【アフリカ・コンゴ】
 この頃のアフリカという、現、コンゴの国の居在
という、コンゴの国のブラザビルという、ここの住まい
という。ブラザビルに、ストーン・サークルをいう人と
いう。グラスゴーをいう人である。若い人である。
【ハワイ、ヌアク・パリの渓谷の中の駅、コックス英語】
 この頃のハワイ、ヌアク・パリという、大渓谷の中の
中間の駅という、ここにいた人という、ヌアク・パリの
布引(ぬのびき)、という。これが、英語のベル・ヌン
ベーというコックスの英語である、この駅を、コックス
でいう、コックス・セカンダスという布引の英語である。
パリのムーという、この日のムー、イギリスのグラスゴー
を指すことという。セカンダスという言葉を置く、ヌアク
・パリの中間駅である。
【日本据川】
 これを、コンゴがいう、コンゴブラザビルが、コックスを
使うことの言いという、同時に、フランス語を使う。
この同時の言葉の言いの話に、ヌアク・パリという
ハワイのムーの話が出る、あることをいう。日本の
パール・ハーバーを、おりさる、という言葉を使う、
おりさるの岸という。これがハワイの現地語にある。
日本奇襲という、パックス・ムーという。イギリスが
掛かることという。日本とイギリスが運河を引いた
という、現、ハワイの運河である。これが、後、
スエズの運河にいわれる。日本の据川(すえかわ)
という。
【パプア・ニューギニア】
 この頃のパプアという、ムーをいう島の人という。
イギリスをムーという。この言いの言葉とぞそ。
コックス英語である。パプアの古い言葉にコックス
英語がある。このコックス英語が篠山をいう、
篠を、バンブスという、バンブス・イングリッシュという、
篠山英語という。ささりんず、という。りんずの言葉
という。これが、パプアの言いに一部残る言葉と
いう。『おはよう』を、『グッディー・ドウ』という、
同時にグッディーという道があることという。
パプアの岸辺である。ニューヨーク島が沈んだ時の
地震をいう、パプアが『パプアが水を飲んだ』という
島の古い話である。アメリカ太平洋岸からの津波
である、パプアの全島が水に沈んだ話である。
【サンダカン、イースター島】
 サンダカン娼館がこれをいう、『漣の話である』と
いう。このサンダカンが、朝鮮のことを、パリズという、
ヌアク・パリという、朝鮮の現、平壌である。
『チョウセン、ヘンヨン』という、サンダカン娼館の
朝鮮語のような言いという。朝鮮というのが、
パプア・ニューギニアのことである。これが、後、
イースター島の言いという、サンダカン娼館の
言葉が、イースター島の言葉である。この時に、
オランダという、蘭学のイースター島という。一部
オランダ語がある。オランダ掛かりの朝鮮、サンダ
カン、パプア一部、イースター島という、日本の
新発田という。オランダの蘭学で掛かりが出る
、日本の江戸幕府という、飛騨高山の江戸
幕府である。この時に高山の、波の屋にいたと
いう、青海波の屋という、陣屋のことである。
【喜望峰】
 中国の武漢の城曳きという。南アフリカと
いう、南アフリカの喜望峰の話に、武漢城
曳きがある話という。この頃のマダガスカル、
緑の土という。本土と別れて、ちょっと近づいた
頃という。
【オーストラリア】
 この頃のオーストラリア、自分をきんだき、金滝
という。アデレードの言いという。ゴールデン・フォー
ル、カスケードという。アデレードに大きな崖がある
頃という。キャンベラの金という、自分を、ゴールド・
ロングという、ゴールデン・アイという。行くことを、
ゴーという、これで、ゴール・ゴーという、アイ・ゴーの
ことである。キャンベラの古い言いである。
オーストラリア綸子という。

 リンズがアメリカの綸子という、ニューオーリンズの
ことの言いという、ニューヨーク島が沈んで、地震が
ニューオーリンズに出た時の、ゴールギッシュという、
ニューオーリンズのタコ落という言葉という、これと
いう、これのニューオーリンズという。後が、タコムと
いう、カリフォルニアの付け根という、ここの様をいう。
キャンベラのゴールド・ロングという英語である。
この時の現地語という、ベラルリという、リラの言葉
という。このリラが、ベルギーの大きい国の頃の
リラである、黒いチューリップという、オランダのチュー
リップという、オーベルニューのフランス混じりという。
ボルビック語という、火山の頃のボルビックの言葉
という。このオーベルニューの歌が、現地語で歌わ
れる。『クイカイ、マニマニ、ダスキ』という、歌である。

 これが、当時のサンダカン娼館の唱歌である。
同時の歌に『サラスポンダ』の歌という。
オーストラリアのキャンベラの幕府娼館という、
そこの唱歌である。キャンベラ政庁のことである。
ニューヨーク島沈みの歌という、クイカイマニマニの
ボート漕ぎという、ボートの歌という。『杭、櫂、間に
間に』という、杭がビル(建物)である。日本の葛飾北斎の
波の絵という、ニューヨークの北斎という、同じような
絵という。この時のニューヨーク、後にビルが林立する
ことの、サーという、未来の指向という、シンキングの
シンサーという、サー・リンズというニューヨークの古い
言葉という、サーが使われるニューヨークの英語で
ある。ニューヨークの古いビルが、当時のビルが残っ
ていることという。サーの言葉が、それを残すことと
いう。ニューヨーク・リンズという言葉である、今の
ニューヨーク語である。マンデラ語ともいう。オースト
ラリアのキャンベラの話である。この日のキャンベラ、
アデレードに波は達したことという。崖の町の話に
これがある。ボート・アイランドという、ニューヨークの
呼びである、アメリカ・・ニューヨークである。

 これが黒人のイングリッシュの言葉の一部にある。
スピークを、スピックという、『話せ』という意を、『ス
ピッツ』という、スピック・ロングという言葉である。
黒人の口調に残る、ニューヨーク島沈みの頃の
調子という。スピックという、ボートのオールのことで
ある。オール・スピックという、これが、アデレードの
英語と同じである。アデレードの波という、45cm
の波という。アデレードの北の方の土に、貝がいる
という話である。波乗りの貝という、大きな貝のこと
という。1mくらいの貝である。アデレード貝という。
北の方の沼地である、池である。

 この貝と同じ貝という、南アメリカという日の、
アメリカという、海であった日という。南アメリカは
アフリカについていた頃という。
【南アメリカ・アンデスのオランダ語】
 ニューヨーク島沈みがアメリカを呼んだという、
南アメリカの到来という、これが、蘭家の言い
という。後、南アメリカのアンデスに、オランダ語が
出ることという。ダラスの話にこれもある。

 アフリカの、ゆらふら、という。アンデスが、アフリカと
ひっついていた時の名である。
【ゴンドワナ】
 この時のゴンドワナという、今のバキスタン、アフ
ガニスタンという、両側の川の海の、離れた大陸
という。川で区切られていた大地である。インド、
デカン地方にこの話がある。アフガニスタンの
デカンという場所にもある。ニューヨーク島沈みの
話という。ゴンドワナ大陸の頃である。イギリスの
ムーという頃である。巨石の造りの洞窟という、
その頃の造りである、同時にアフリカのピラミッド
という、メキシコのピラミッドという、その頃の文化
である。
【飛騨高山の江戸幕府】
 日本の江戸幕府という、メキシコの支倉常長
という、飛騨高山江戸幕府の話である。メキシコ
の織田信長の衣装という、日本風バテレン風が
あるメキシコという。日本人学校がある、メキシコ
という。頃は、ファッティスという、ファッティマという、
今のティファナの町の名という、同じ名前の町が
ある。ティという、ティオティという、ティオティワカン
のメキシコという。サークル・ストーン曳きの話が
ある町である。ティティというのがその話である。
ストーン・サークル曳きに沼の話が出る、グラ
スゴーの古いベニスの頃のことという。
【両デカン】
 これが、インドのデカン高原の話にある、
水の話という、言葉がヒンズー語という、元、
リンズーという、ニューオーリンズの英語が掛かる
ヒンズークツ・ランゲージという。特徴が、船の
話である。インド南の大湖という、大沼の船
という。サージカル・ボートという、サージカル・
シップの話という。匙の形の船という。
スプーン・シェープ・ゴークムという、ゴー・カム
である。その船の話である。

 パキスタン・アフガニスタンのデカンという地の
話とも、ウッブ・パックという、インドの英語の
古い言葉という。朝鮮の有村という、有村の
英語という、ピョンヤン数用という英語である。
有村ランゲージという。このゲージが、鉄道の
ゲージである。ウラジオストックの発のピョンヤン
の鉄道という。この話が、インドのデカンと、
パキスタンのデカンの話にある。ウラジオストックの
有村という、ウラジオストックを、有村という、両
デカンの話という。ビーイング・コンサーンという、
京都の御所を指す英語という。

 ビーイング・コンサーンという、若い人のいる
ことをいう、若い人のいる所を御所という。後、
ゴーイング・コンサーンという、ワトソンの言いである。

 ニューヨーク島沈みの頃の、世界各地という、
同時世界の頃である。シマルテーニャスによる世界という。
この文は、この頃の同時世界である、同時世界文。
ニューヨーク島沈みの頃の、世界である。

 上文、下線部分、ものそべ、という。未来を見る言い
である。英語の『サー』という言葉である。ボートが
櫂をいう、ビルを櫂にたとえる言葉という、けれすて
・ろんぐ、という。未来にビルが建つことをいう。
未来を見る言葉をサーという。イキリスの敬称のサー
である。アメリカ・ニューヨークの出である。
水にさおさすことをいう。櫂のことという。ビルに
例える話である。

【グラスゴー、レスター、レーキャビク】
 イキリス・グラスゴーにオランダがあるという、
オランダに掛かる話という。イギリスのベニスの頃で
ある、ストーンリッジ・ロンドンという。レスター林落
の話という。レスターの街の像という、この話の具現である。
アリス・イングリッシュの話である。古く、レーキャビクが
ある、レスターの街という。レーキャビクのパックという、
パックスレーという、レスターの古い名である。この
『レー』が、レーキャビクに掛かる、これを解く言葉と
いう、今のコクニー・イングリッシュが、これである。

そうきょうよいお書き。M25。
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』
 5/14休  

2021年05月15日

出発141 シアトル Seattle

腹を横に書く。
    創曲、今 出発・正(やなぎ)  2021/05/15
    造詞、今 から ・正      2021/05/15
    監修、今 正出         2021/05/15
【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
【解説】
2021/05/15
140付
【李宮】
 李宮という、朝鮮の宮のいとものという、金正の国
という。朝国という、そこの着という、羅先からの旅と
ぞ。英国が、これを Gris という、ベルギーのオト
ンボという、ベルッセル・ロンギスという。朝流山の絵
という。オルッセル・ロームという、レプレルのラッセンと
いう、ラッセンが羅先のことである。ベルギーの言いと
いう。ベルギーがトックをとる言いという。ベルギー・
リュームという、ベルギーのえそゆそ、という。

 遠く、ベルギーの山の言いという。ベルギーが、
朝鮮を、メッパといううちの言いをきく、これを、
ベルッソン・レーテという、たんふるのおく、という。

 これが、バックスという言いの幕府のことという。
ベルギーのあっためゆみ、という言いである。
この『ゆみ』が、自分の意である。遠く、アメリカの
ワシントンというシアトルのあるくりすり、という。
くりすりが、地方の意である。栗山の言葉という。
ワシントンの地の言葉という。このワシントンのシア
トルという。
【シアトル】
 シアトルの江という、すうむるう、という。スムスムの
言いのワシントン語という。これがシアトルの原地語
である。シアトルの言葉という。これを、メッセムと
いう、メッセム語という。遠く、アフリカのハム語が掛
かる、スム様の言葉という。

 このアフリカが、めるれるという日本のことの言い
をする。日本の掛かりが、ワシントンのシアトルに
出る、シアトルの原地語という、元の言葉である。

 この頃のシアトルのなりという。ボースメという言
葉を使う、防府の言いという。山口、防府である
場の言いという。これが、ボウの町という、日本語の
ぼうが少し掛かる言葉とぞ。条坊のぼうである。
【ボーイング】
 シアトルの角という、町の角の言いという、ボウ・
コーナーという、コーナーである。これが、シアトルの
古い地の言いである。ボウ・ランゲージという。

 角を、こそのより、という。道を、こそ、という。これ
が、日本の古い、道の言いである。こそ泥という、
道の泥である意という。これを、シーフという、
シーフ・スープという、道のことである、ボウー・
ランゲージの言いという。これが、道を作るシアトル
の、道の言葉である。

 ボーイングという角のことを取り入れる町という。
これが、交野の山の坊相という、交野が大きな
岩を使う、けんたんや、という。けんたいの屋敷と
いう。掩体という。この掩体がボーイングの掛かり
になる。大きな飛行機が掛かる、ボーイングのボー
の言葉という。交野のけよふめ、という、古い飛
行機のことである。
【皿のおき、皿おき皿】
 これが航空管制のかかをいう。かかという、した
の家という。したが、下であることの掛かりという舌
である。舌に皿を乗せる行為という、舌の保護の
意という。古いアフリカののブーズーの地の習慣と
いう、ブーズー教という、ブーズーの地である。

 世界各国に、この習慣がある。小さい皿である。
これを、舌に乗せる、そこへ食べ物を置く、それで、
直接にものを口に入れない、舌の保護という。
【アメリカ・カナダの両バンクーバー】
 サラセンという国の名の元の行為という。ウラ
ジオストックの周りにも、これがある。サラセン・ロシ
アの東端という。病まない意である。これが、バン
国という当時のシアトル周りという。この、バン国
が後、近くのバンクーバという、ハンクーバの地を
、彼方のバンクーバーという。カナダ・バンクーバ
ーの取り入れをする、これが、シアトルを入れた、
バンクーバー市国という、当時のバンクーバー市
国である。カナダ・バンクーバとアメリカ・バンクーバ
とシアトル周り、ポートランドも含む、シアトルの
地のバンクーバ市国である。

 ここが日本語が少し通じる所という。ボーイン
グの原地語に、日本語が少しある。これが、
交野のアイヌ語である。一、ニ語、原地語に
ある。ボーがそれである。アイヌ語の『ボー』が
空を意味する時の言葉という。

 空の角という、ボーダー・ラインの話という。
これが、航空の管制の元をいう。葛野(かどの)
管制の『かど』が、角になる、これを、ボーフルと
いう。ボーフルのかど、という。英語で、ボークと
いう。これが、ボーコーナーとボーフという。
これのボーフが、山口の防府に掛かることと
いう。京都市葛野の掛かりという。葛野とアイヌ
管制のワシントンという、これの監督を、野球の
リーグが掛かる、ボークの言葉という。このボーク
が、イギリスのボーンマスの区である、古くボーン
区という。これで、ワシントンが、ボーンマス管制
という、これの支配を、かんらず、という、日本語
を掛けたいいをする。これが、ボーイングの、ボー
ンマスの『ボー』になる。

 これで、イギリスのボーンマスを、リッジ・ボーと
呼ぶ、リッジという、管空管制という、空の管制
のリッジという。ワシントンが、自分を、バンクーバ
・リッジという。
【イギリス・ロンドン】
 これが、ロンドン内のバンクーバーの地区の
いいになる。これで、ロンドンのバンクーバが、
ワシントンを、シアトル・リッジと呼ぶ。シアトルを
古管制と呼ぶ、オールド・リッジ・コンファーム、
オールド・リッジ・コンサーンという。

 ワシントンが自分を、リッジ・オールドという意味
の元という。オリジナル・コンフォームという、オリジ
ナル・コンサーンという。

 これで、ロンドンがワシントン支配下になる。
これが、管制の話である、空の管制である。
【シアトル脳】
 リッジ・ロンドンという別名が出る。このロンドン
が、ユタのリッジを、ユージノー、ユージーンという。
ユージーンが、ワシントンのシアトル管制になる。
これが、シアトルの角の延伸である。この考えを
、シアトル脳という、シアトルの脳使いという。
広く、アフリカ、イギリス、ロシア東端、日本
北海道という地域を見渡すことの脳の使いと
いう。言葉の掛かりの脳使いという、シアトル脳
という。

 これが、ボーイングの脳という、シアトル脳である。
ブラックスという、脳をブラックという、黒脳という、
言いの、ブラック・ブレーンという。古く黒い雪が
降っていた頃のシアトルという。黒い土がある話
という。

 ニューヨーク島の沈みの頃のシアトルという、
震度8の揺れという。ニュヨーク島の沈んだ地
震という。二度目の地震が、震度10である。
穏やかなものという。
【アイダホ】
 アイダホ・ボイジーが、ニオウの山という、
震度20である。ぼいじー、シアトル間の緩衝
になる場という。
【カスケード山脈】
 地震の伝わりが、両から伝わった話という。
ニューヨークからシアトルへ、山の稜から地震が
伝わったことに、一方、地中から伝わったネバダ
周りのユージーンという、ここで隆起があった、
カスケード山脈の出来という。カスケードの掛かり
である、ナイアガラという。地震が弱まった話に、
大きな地震であるという、カスケード麓の町という。
地があったという話が、古い話にある。カスケード
という山脈の以前は、プレーンという地であった
ことという。

 ユージーンの対のベーカー、この町が、古い
町である、この町の古い話が平地であったという
話である。山脈を言うひとが、カスケードである
という。カスケードの古い意味という、平らの
意味がある。これを、カスケード落則という。
【クエ】
 落則という言葉である。地震用語にこれ
がある。アースクエイクという、『クエ』が平ら
の意味である。アイヌ語のクエである。

 同時に交野のクエがある。この『クエ』が
中高の意味である。カスケードをいう日に、
これが掛かる地震学の一つの説という、
この説が、アイダホの学である。
【アイダホ・ルパート】
 アイダホのルビー・ルートという、鉱石の道
という。スネーク川添いの道である。鉱石が
浮いたというルパート村の話という。大きな
金色の岩が飛び上がったという話という。
ルパートという、ルビーという意である。
ルパートにある大きな金色の岩という。
これが、ニューヨークからの飛行機の一つの
航路である。ゴーールデン・スカイ・レーンという。
ニューヨークからシアトル行きの航路である。
このニューヨーク、今の、テネシー・ナッシュ
ビルである。地震の伝わりの副の揺れの伝
わりである。航空機の航路である。
【ナッシュビル航空】
 オールド・プレーン・カミングという言いをする
ナッシュビルの航空という、シアトル行きの
飛行機である。この言いの意という、ナッシュ
ビル・パーサーという。パス・レーンという。
ナッシュビルから、ルパート、ボイジー、シア
トルへ行く空路である。
【エドワード空軍基地】
 これが当時のエドワード空軍基地の、強行
発進という、ここの空軍が『サ』という言葉を使う
、未来予見の『サ』という、美国(ミークウ)が
掛かる場所である、中国語の美国である。
『美』の漢字を使う所である。モハーベという、
殷の掛かりである、殷を、モーベという、
モヘンジョダロのことである。
【エドワード・武漢航路】
 ここからの武漢行きの航路がある。エドワード
空軍基地が自分をカナダ空軍という言いをする、
モハーベ辺りをカナダという、エドワードのナッシュ
ビル・パーサーである。カナダが掛かる空軍である。
ロイス・ロイドの空路という、武漢行きである。
一旦右方へ行き、武漢を目指すユーターン航路
という。ユーターン地点がフォートワース辺りである。
ウィチタという、一つの空路の行きである。空の
航路のことである。主に、軍という所の旋回操縦
という、航路法である。強風航路という、地震時に
この風が吹いた話という。名前を、ジャックリーン
という。風速四の速度である。オカリナという所の
水が立ち上がったという、ジョージア州である。

水が高い壁のようになった場所である。楽器の
オカリナの音が、その時の風の音である。ジョージア
産のオカリナである。ジョージアの土の色、緑から黒
である。黒草のあった頃である。緑色のオカ
リナを作る所である。高い音が出るオカリナである。
ニューヨーク島沈みの頃の造りである。
【ジャックリーヌ】
 ジョージアの地名の造りの元である、ジャックリ
ーヌのオカリナという。少し大きなものである。
緑、黒色の土のあるところで作るオカリナである。
風の笛という。

 ジャクリーヌという名前の風で、同じ時に吹いた
風が、ユージーンつむぎ、という、つむじ、とも。
友人の風である。フレンドリー・シップ・ウインドウズ
という。ユージーンの横竜巻である。髪型を横に
巻くユージーン・ルックである。織物に竜巻織りが
ある町である。主としてレースの細かい織物である。
ウィンドウという、ウインの胴。竜巻のこと。窓の意
味とも。竜巻窓という、窓を外へ平らに出し、飛
行機の発着の乗り降りの場、飛行機から降りて
来るウイン胴という飛行機の乗り降りものである。
竜巻のような形という。名画鑑賞。
http://akinokori2021.sblo.jp/archives/20210328-1.html
【垂直発進】
 漢国の空軍という、朝鮮の空軍の模範がエド
ワード空軍である。つむじ風空軍という、李朝の
空軍である。空軍管制が、横竜巻という、横巧
空軍という。李宮の話である。ウイチタという言
葉を使う、嵐管制語という、チョッソン・ラールゴー
という。チョッソン・パーククともいう。朝鮮の平京
(ヘギョン)の頃の空軍である。平壌へ行く若い
人である。渡しのオーロー行という。オロチョン
空路という、パッギョン・パッキラーという空路
とぞ。パパナ槍の言いという、空の槍という
意味である。垂直発進の意味である。
黒いジェット機という。スホイの機ともいう。
パパナ発進ともいう。

そうきょうよいお書き。M15。
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』
 

5/15
出発140 気の山

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音楽
【曲名】 出発140 李宮



    創曲、今 出発・正(やなぎ)  2021/05/14
    造詞、今 から ・正      2021/05/14
    監修、今 正出         2021/05/14
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】
【場所】
【作成ソフト】
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
【歌詞】正里
気をひきしめ 新たな町を歩き 珍しく
私を見るへいじょうの宮 李参りました
入れば微笑みの御叔父御叔母 
チョンギと仰せ ラソン出でて 船旅
キムチェク通り ハムフン経て 飛行機になり
もの見えない空旅

【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
【歌詞解説】
2021/05/14
へいじょう: かいそん、とも。狛犬のこと。朝鮮の日本語。
チョンギ:  おられ、という意味。日本の古い頃で、使って
      いた言葉。
羅先: ラソン、ラーサンとも。
金策: キムチェク
咸興: ハムフン
【歌詞解説】
【空の管制】
 ジェット汽船、海空両用。早さが海で200キロ、
陸のキロである。空で300キロ。花間の空路という。
コックピットへいって空を見る話である。
『ロールロン』という出発の言葉である。
ハムフンの管制用語である。

後、ロシア語を使う、『ダーイス』というロシアの管制
用語である。キムチェクから北がロシア語である。
ウラジオストック連という、ロンドン空落という管制の
支配という、ロンドンのボーンマスの管制下という。

長距離の無線を用いる、周波数という、極長波
である。ロンドン管制の支配という、ロンドン・
ボーンマスへ着を知らせる、ロイド・バンクという、
岸辺の通信という。
これで、朝鮮のありゆらという、ありの港のことという。

ハムフンの空岸という、空旅の停止場所である。
ハムフンの空港の以前の空港である。空港を空岸と
いう頃の言いとぞ。らおす、という空岸のことである。
ラーソンにもある。ラーサンの空旅という、行き先が、
ヘギョンである。今の平壌の以前の平壌である。

ヘギョンロクという、ヘギョンソワという、れれその空岸
という、和国の言いである。われってすうはむの言葉
という。ハムフンから狼林山脈を越えた時に、
リリーという発信をする、京都の御所という。これから、
日本語を使う、平京管制という、ヒトフタマル数と
いう、航空用語の日本語である。

 東朝鮮湾の管制である、管制がたくさん
重なっている所である。パンビスーという、和国の
頃の管制という。オールロンセラーともいう。これが、
茶策管制という、チャーサンという管制である。
朝鮮語が海の用語である。海路の管制である、
朝鮮近海の管制用語である。
【海の管制】
 大和海嶺を越えて、日本語の海の管制語で
ある。これが和国の管制である。言葉が入り交じ
る大和海嶺である。海の通信を試験する意味と
いう。これを、管理する所を、大和朝廷という、
たくさんの日本府が朝鮮にある意味という。
【陸の管制】
 陸の管制が、日本の漢国岳(からくにだけ)である。
福井小浜の漢国岳の小浜御所という、ここを、
小崎という、漢国管制という。九州の漢国岳と
いう。今の韓国岳である。和国の名付けの山と
ぞそ。日本の名付けである。
漢国という古い表記である。後、韓国岳という。
漢国という今の朝鮮である。韓国に英字の碑が
ある、そこの表記である、漢国とコー KOHと
いう碑がある、この碑が、小崎という、九州の韓国
岳という、アメリカのデトロイトという、カナダのオタワ
にある、アフリカのコンゴという、ブラザビルのことである。
他、数ヶ所ある、和国の管制である。これを、
古日本という、オールド・ジャンパックという。
ダラス管制下である。この碑のある所の言葉という、
日ソ語を使う、今のロシア語である、ダージス・
レールという、旧管制語である。これが、後、
グリ語になる、後、堀川録という日本語の候文の
言葉を使う、『~~してそうろう』という言葉を使う
新の管制語という。自動車、バイクなどの陸の
管制語である。国境という碑の和国の頃の目安の
線という、これを、ボーダーという、御所という、
ロンドン幕府という、ニューヨークのストーン・リッジと
いう、古いボーダー・ラインである。
【国際連盟の直後の国際連合】
 後、国際連合の日本管制という、国際連盟の
直後である、この日にゲチスバーグの宣言である。
言葉がグリ語である、今の英語という。グリ語を
消化した、入れた英語という。この日、ワシントン
にいた若い人である。ゲチスバーグから急行した人
である。ムー国大使の話がここの話である。
イギリスのムーの名前である、イギリスのことである。
ボーンマス録という、この文である。日本からの
参加という、アメリカ独立記念の直後である。
【ポトマックの桜】
 その日の歌である。日本語が通じていた頃の
ワシントンである。世界の国の人がいたアメリカ
独立記念である。ワシントン・ポトマックの桜という
、この話の一環である。
【アーカンソー】
 アーカンソーでの歌という、この浜という、歌である、
アメリカ民謡の歌という、一緒に歌っていたアメリカ
の人、若い人の喜びである。私の古い記憶である
という若い人である。
【美しき天然】
 アフリカ・ノソンガ村の人という、一緒にいった
アメリカ独立記念である、ゲチスバークである。
アーカンソーへ行った日のことである。古い古い
かすかな記憶である。『夢かうつつか幻か』という、
歌をアーカンソーで歌ったことという。『美しき天
然』という歌である、アーカンソーの人達の入り
交じりである。アッキャンボーがという言葉がある、
アーカンソーである。アッカンボーともいう。日本語で
歌っていたアーカンソーの人達という。アーカンソー
の人と一緒に歌った歌である。
【美しき天然】
こんなことがあったか、という若い人の記憶である。
独立記念日の明くる日である。日本からも一緒に
いった日本人という、一緒の飛行機にのっていた
人という。後、英語を教えてもらった話という。
アーカンソーに美しき天然の歌がある、日本語の
歌詞である。
【Arkansas アーカンサス】
 アーカンソーの水浸かりの後である、水が引いた
頃とぞ。ニューヨーク島沈みの後である。リトル
ロックという町である。『美しき天然』の歌の思い出。
ここの管制語が、古い大和言葉を使う、空の管
制語である。日本の古語である、これを駆使する
アーカンソーの人達という。

 私の古い故郷、アーカンソーの歌という、名曲
『美しき天然』である。アッキャンボーの歌という。
ロシアの人という、サラセンと言っていった頃のロシ
アという。今のベラルーシの人という、アーカンソー
におられたことという。

 アメリカ、私の古い町、私はまた行く、大お爺さ
んのお伴、大お爺さんおらるるアーカンソー、なつ
かしい町である。アメリカ、滝の話、滝が出来たと
言うたことという、カスケード、カム、アウトという。
ナイアガラの滝。

 英語の歌詞がある、『アッキャンボー』という言葉
で始める歌である。美しき天然--
『I say you are sunshine, so you--u-- run
at me,・・・・』、アーカンソーの御叔父という。
この時に英語になった話という。管制用語が英語
になったという、空の話という。日本語が通じるアー
カンソーという。アーカンソーの滝という、滝のある
場所の近くという。緑の草の記憶がある。若い人が
言う、アーカンソーの湿地帯である。

 緑の草の発祥の地、アーカンソーという、アメリカの
緑の草である、この日、日本には、黒草が多かった頃
とぞ。緑の雪が降った地である、リトルロック空港と
いう、緑色の土でできた建物がある。

アメリカ、長生きの地という、グリーン・ロングという
草という、ロング・リブ・ランドという。学校を緑学び
という、リトルロックの町である。グリーン・ラーニング・
タウン、ダラスの呼びでもある。ワシントン・コールの
意味という。コール・イット・ア・グッド、カーレラ・
グッドという古い挨拶である。緑を袖口に付ける
町という。グリーン・チェスという、袖をチェスという、
グリ語である、かーるられ、という。この言葉もある、
Call it a good, Good sit down という言葉の町
という。竹がある場所である。アーカンソー・シャックス
という。古い日本の尺を使う所という、2メーター1尺
の町という。 A syaku という。フランス語が
一部ある町である。ボン ソンという挨拶という、
Good village という挨拶である。
【Arkansas, green start】
 出発のアーカンソー、緑出という。Green start
という、町の人達である。

これが、李宮の話である。漢国の李宮である。
アーカンソーの言いという、ピーチ・パスという、
グリーン・パスともいう。Korean pass palace と
いう、朝鮮の通行の歌という。駄作家の作った
本歌である。アーカンサスの英語を使う、李宮である。
Arkansas pass language という、李宮の公用
語である、朝鮮語も公用語である。
Yottai o-go という、『私はお行きます』という小崎
御所の公用語である。これを、 passing language
という。小崎御所と朝鮮という、着物が同じである。
アーカンサスの着物ともいう、同じである、朝鮮仕様
の着物がある、アーカンサスである。チマ・チョゴリ
のこと、小崎御所、朝鮮、アーカンサスが、チマ・
チョゴリを使う、他のアメリカの町でも、チマ・
チョゴリを使う所がある。当時のことである。

 後、有本イングリッシュという、アッキャンボー・
イングリッシュという。
ジャンビア・ランゲージという。交野の英語ともいう、
大阪阪大の教授会用語である、大阪市大の
教授英語という、アーカンソーの言いの英語である。
ヨッテラロンという言葉である。
一般学生の、コール・グッドという、大阪阪大、
市大の挨拶である、日本語で『よっぽん』という。
これが、大阪のゴリオン語になる言葉という。
『よきおれ』という、学内の挨拶である。

 あと、大阪大学のラテン語という、ラテン語の
挨拶である、これが、阪大、市大の言葉である。
ラテン語を日常に使う、大阪の大学である、
他大学もそうである、他府県も一部そうである。
『ビタ・ロンガ、ビタ・ブリービス』という挨拶である。
健康を祝す意の挨拶である。日本語で
『よきほ』という、挨拶である。通常語である。
大学に限らず。丁寧で、『よきほ、たまいて』という。
アーカンサス発の日本語である
よきほという言葉のこと。緑の米の穂の意で
ある。この通りの挨拶である、アーカンサスの日本
語である。グリーン・ツーンという。グリーン・チューン
のことである。Greentune。

 ウッド・ゲッドという言葉を使う、カンサスの言葉と
いう。アーカンサスの言葉の延伸である。

そうきょうよいお書き。M15。
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』
 5/15

出発144 酒田

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【曲名】 出発144 酒田
    創曲、今 出発・正(やなぎ)  2021/05/14
    造詞、今 から ・正      2021/05/14
    監修、今 正出         2021/05/14
【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
2021/05/14
【北前船】
 北前船という、酒田の港のかんとん、という。ここを
かんとんま、という。これが掛かりのフランス語のカント
ンマである。このフランスの山形をいう、山形の米沢
の、こませま、という。この弱音佐波が酒田の、こい
ほみ、という。酒田レーゾンの、レーテルロックという。
レゾンステーという。このレゾンが今のフランス語の
レゾンである。むゆむっくという、むっく連数のかむふみ
という。かよすてのれれつ、という。れっするれえる、
という。マヨンのぺっくく、という。
【山形】
これが、山形きり浜のことである。
山形のマヨンを、霧という。霧の山形と
いう。この山形にみっすをいう。みれが、みろ、という。
山形のみろゆりである。この山のおいいとぞす。
山形の岸の言葉という。山形のしんとれ、という。
しんとんのむっこ、という。しんたれびーず、という。
びるんすめらる、という。山形をコックという、船の
山形という、船の航行の山の川江という。川江の
山という。

 山を、とい山という。てれすれんるす、という。こん
すれのまよふ、という。るいの闇という。これを、霧の
るい闇という。山らるれよふ、という。石田かったる、
という。石積みの船をいう。船をかつ、という。後、
かつ船という。かつかつのぺめる、という。ぺめるれん
ぞう、という。ルックスレークの言葉である。
【山形方言】
 山を、とよめ、という。とよめの村つり、という。村を
つるという、村のことという。つる山の屋という。
村つるの言いの言葉とぞ。といふき、という言葉の種
である。山形のこと場である。これを、山形花見と
いう、言葉のことという、山形方言である。
【明治世】
 山のろめをいう、山ろめのおよふり、という。これを、
明治世という。明治の世という、京都の山形という。
ここが、これを、これとう、という。山形方言である。
明治の言いという。明治世の山形という。この山形
に、あよふり、という言葉のそいをする。言葉をそわす
ことという。山形そめあよ、という。これが、山形の
言いの、あよふり、である。ここの山形を、ごぜ浜、
という。ごが浜の言いの酒田が、米沢を、きみ、と
いう、きみがよ、という。これが、米沢のきみそれ、と
いう。町をきみという、きみがよという、きみそれと
いう。この三つのきみを、三国よれ、という。これが、
後、三国干渉という。明治の三国干渉という。
【くりから峠】
 これが御所の山形という、山形を御所という、
御所の世という。御所の言いという。山形と、
各地の御所である。これが、山形を、おはな、と
いう。おはなの山形という、おばなゆっから、という。
くりからの峠がある。山形のくりから峠である。
【本間岳】
 このくりから峠が、本間岳という本間の山の峠で
ある。この峠のゆり浜という、ゆられる浜の言いの
けけという。けけ峠という。けり峠とも。けりせらの
あゆおっすて、という。すてやくのぴびしび、という。
この『しび』がね屋根のしびである。奈良唐招提
寺のしびと同じ造り使いという。この本間岳を、
天覧岳という、本間岳のべっめいである。
【明治維新の山形】
 これが、山の別称の出という。これを、山の明治
維新という。『明治維新は山形から』という言いが
出る。この話が、京の山形という。山形を京都と
いう言いという。この京都を、大京都という。これが
日本の京都という。日本を代表する京都が山形
であるという論がなる。明治維新の山が日本の
山を、ゆれ、という、ゆうれい、という。このゆうれいを
、こうれいという。こうれいという山のことという。

 この言いが、山の明治維新を、人の世、という。
人の世の山を、いんかまれる、という。これが、殷
の表記という。殷の山形という。この殷が、古い、
殷という、中国の殷のことを、新殷という。これが、
本間の言いという、本間岳の言いという。

 明治の尾花という、この『尾』の話が、動物の
尾の話に中る話がある。これが、山形のウイルス
である。動物をウイルという、ウイという、ウイルスと
いう。動物のことである。

 後、ウイルスに言葉を添える、クエスチョン・
トゥ・アスクのトゥ・アスクである、添えの言葉である、
このまま訳せば『訪ねる質問』である、『質問』と訳す
日本語である。これが、山形の本間岳の訳である。
本間岳をマウント本間ということの言いに、マウンテン
本間岳という言いをする。これがウイルスの言葉の類
である。ウイルス語という一種の言葉である。これを、
ランゲージ・リングという、別名、浅野言い芝、という。
ネコウイルスという、ネコのことてある。
犬ういるすという、犬のことである。
そういうウイルスである。
【言葉の名前、人名のような山名】
 浅野内匠頭(あさのたくみ)という、言葉である、
浅野言い芝である。この人名という、千落の人名
という。山の言いの人名である。これを、山族の言い
という。『あれは、こばやしいちひろ、や』といえば、
山族の言いになる。東山きのお、という。東山の
登り口である、京都東山である。これが、山形の
京都の東山である。本間岳のことである。

 この言いの、兵庫という、山形の本間せら、
という。本陣山という、山形の本間岳である。
明治維新の高山飛騨の飛騨の合掌造りの
村である。この村も、この言いをする。
兵庫という名前である。

 この山形の本陣山という本間岳の陣乙、という、
陣落という。ここが、靴所という、山の靴という。
山靴県則という、側臥言葉である。これを、ソックス
という。熊背の言いという。熊襲の古い言葉という、
熊背という。これを、ソックスレールという。ソッコスと
いう。山形県の方言である。代表が尾花沢の言葉
である。ロールレレーラという。この『レーラ』、イギリスの
レーラである、花、崖の意。

 これが山形の崖を、ります、という。りますの崖と、
言葉を添える、これが山形の本陣だけの言いである。
明治維新の頃の言葉である。クエスチョン・トゥ・アスク
という、英で言えばのことという。『りますの崖』の『の』
は、同格の『の』である、文法上の同格である。
【酒田大学】
 これが、所有の意味もある、『同格の『の』の一意
である。酒田の山族という、酒田大学という、ここの
言いである。゜渡しのいたアフリカという。『私の君』と
いう、同格であり、同格の一意の所有という。
『私の持ち物の木の実』という意味という。酒田
大学の言いである。これが、山形県の明治維新の
言いである。滋賀県の一部にある言いという。
山族という、山の言いである。明治維新という場所を
いう。山村、山町、山麓である。明治維新といえば、
山の村のことという。これを、明治の世という。『世』が
場所である。明治は、一般の山々の麓である、山
村のことである。明治大帝ともいう。
【明治維新】
 明治という、明らかな治である。治は、字(あざ)の
古い言葉である。日本全国津々浦々の同時であ
る。朝光の村々という、統一という。太陽の光が
パアと照らし出す頃を、統一時という、いわなくても、
明治維新である。明治維新の体操という、ラジオ
体操がその一つである。明治維新体操という。
酒田大学は、そういう。大学頭という、酒田大学
にいる人である。

 山陰の暗躍という、大学のことである。大学とは、
おおあざ(大字)のことてある。酒田大学頭と言えば、
酒田おおあざ(大字)に住んでいますという意味で
ある。これが、江戸幕府の大学頭の言いである。
この江戸幕府は、飛騨高山の江戸幕府という、
合掌造りの幕府でもある。
 
 幕府の将軍という、若い人の行きである、将軍
という人である。室町幕府の言いである。足利
尊氏の言いという。本間岳言という。『まちがわ
ないように』という若い人である、駄作家に言うた
人である。ジェネラル・セイングという、足利英語
である。本陣の英語という。

 沢のことを、バレーという。オーバー・バレーという、
大暴れという、オーバー・バレーのことである。
大岩大岩を超えて行く、馬というロボット馬の行き
という。馬車の中の吊り輪にくらいつく人である。
時速70くらいである。岩の中を走って行く馬である。
また、岩、また、岩、そういう街道である。滝経由の
街道である。軽井沢発、酒田行きである。

 『大学頭に出る』という言いである。『行く』ことで
ある。ごっつい言いという。酒田大学はそういう所
である。原子箱弁当という、今の本の大きさの
弁当である。原子爆弾を入れる場合もある。
放射能缶詰という、放射能の入った缶詰である。

 梅干し弁当のことともいう。放射能缶詰という、
缶詰を開けて、頭から放射能を被るのである。
放射能を浴びることである。大きく上下する岩
の沢へ行く馬車に乗る時の心得である。酒田
大学のお教えである。新潟、山形、放射能を
めでる県である。

 古い兵庫篠山もそうである、『なんじぇ、放射能
こう?』、『そこにあるじょう』、そういうところである。
古篠山城代大学という、そこの大学頭である。
若い人である。ドラム缶詰の放射能である。
古い古い篠山という、酒田もそうじぇ、長岡もじえ、
本間じぇ。

そうきょうよいお書き。M14。
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』
 

2021年05月16日

出発150 希望のはざ

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音楽
【曲名】 出発150 希望のはざ



    創曲、今 出発・正(やなぎ)  2021/05/16
    造詞、今 から ・正      2021/05/16
    監修、今 正出         2021/05/16
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】
【場所】
【作成ソフト】
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
【歌詞】正里
親しい人よ 手に手を取り合って行こう 希望が
なる地へ 眼下に見える泉の横 私の喉を潤す
水 小さな花見え 行こう 青い屋根 疲労の
体 着けば元気になる 手を振り声 掛け合い
行こう

見知らぬ人よ 知り合い気も合って 行こう
君の手取り我が手を取る互いいる頂 休に
お茶を分け合う仲 明るい瞳に 疲れ吹き
飛んで 微笑み交え歩く 足軽やか 話に
希望の花が咲く

誰かが歌を歌った だんだんと歌声大きくなる
勇気が沸き 楽しみ胸をしめ 泉が近づいた
乾いた口喉 譲りの互い水飲めば汗も拭き
取る 聞けば 村の人は『そこです』
元気が出た 行こう


【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
【歌詞解説】
2021/05/16
はざ : 字(あざ)のこと。
 ここでは、はざという字、村である。

 青い屋根の屋、あおによし、とぞ。
希望の青色とぞ。山状の低い丘の頂の
休のふう、ふらすめ、とぞ。ふるるやおやそ、
みよふり、という。かんたすれま、という。
通常語で、やたりふにはる、という、東上の
はっぱす、という。れおよのいいそみのふみ浜と
いう。宮城浜の渡りという。仙台輪という、
仙台論という。仙台の低い丘である。
青い屋根の見える丘という。
 既望の宮城野浜、浜山のおいそい、とぞ。
れおとる山のいお、という。『いお』が屋である。
浜の歌という、ろろよの歌ゆと、とぞ。『ゆと』と
いう、歌である。『いと』ともいう。京都ごゆゆり
のふみ遣りという。また行く、仙台、遙かな野
という、江戸よりのトラック行進の一日という。
 ロボット馬の行進ともいう。古い日の旅、
ゆられゆられのよとよと、という。何度も行った
浜の御叔父上とぞそ。
若い人のいう、大お爺さんである。
大お爺さんおられおられ浜、ありるありる。

そうきょうよいお書き。M25。
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』
 

2021年05月17日

出発160 Kansas Going 葉の木のゆれ :イカスミ柳  

日本語歌詞がきえてしまいました。 すみません。

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音楽
【曲名】 出発160 カンサス



    創曲、今 出発・正(やなぎ)  2021/05/16
    造詞、今 から ・正      2021/05/16
    監修、今 正出         2021/05/16
【拍子】5/4
【種類】
【演奏】
【場所】
【作成ソフト】
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
【歌詞】正里
字に緑雪が降る カンサスの字 黒い土混じり
タオの世



【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
【歌詞解説】
2021/05/16
あああああいいいいいうううううえええええおおおおお
そうきょうよいお書き。M25。
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』
 

2021年05月18日

出発170 淡路読 Kansas :イカスミ柳

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音楽
【曲名】 出発170 淡路読




    創曲、今 出発・正(やなぎ)  2021/05/17
    造詞、今 から ・正      2021/05/17
    監修、今 正出         2021/05/17
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】
【場所】
【作成ソフト】
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
【歌詞】正里
さあ 緑の雪降る日 行こう こぶしを上げては空見る
目の前は暗いが 我を待つ地は 高い山越え わたる谷
浮かぶ 険しい道程 アクセルふかし 一気に突っ走る時

 顔引き締まる 胸は明るい希望広がる 二人の三列に
 車に乗る時 出発の声は 高らか四台の車 淡路読
 李清の宮原 めざす 雪やまず 谷中 大歩の故郷


【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
【歌詞解説】
2021/05/17
そうきょうよいお書き。M25。
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』
 

出発162 島嶼国

腹を横に書く。
【曲名】 出発162 島嶼国
    創曲、今 出発・正(やなぎ)  2021/05/17
    造詞、今 から ・正      2021/05/17
    監修、今 正出         2021/05/17
【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
【歌詞解説】
2021/05/17
【日本海対馬】
 日本海対馬から浦山(ポサン)へ砂嘴があった頃。
この砂嘴を、モルサミという。モルトベともいう。幅
2kmほどの砂嘴という。この砂嘴の名前を、小嫁槍
という、モルサミのこみと。
【島嶼国(とうしょこく)】
 この右側に赤海という,江がある。この江を、こよ
ひみ、という。これが『ひみ』という、日本の日美という。
ここを、ひぶ江、という、日美江(ひみえ)という。
 日美のいおふめ、という。この頃のことの言いに、
チョッソン・ファーククゥという、レロンソウヨウの言いが
供わる。これを、島供区という。これが、日本を、
島嶼という、島嶼国という。この言いが、やまその
言いである。
【朝鮮語】
 この赤海の言いの、ジョジュという、今のコジェ島と
いう。このコジェが、当時の日本の帝国を、島嶼と
いう、日本島嶼という、日本島嶼国という。これに、
コジェを島嶼という。これが、日本の和の頃の
言いである。ここを、最終島という、日本の呼びで
ある。英語で、ラスト・アイランド  last island と
いう。この言いの、のこ山という、コジェ、最終を、
めのふき、という。めのふきの孤島という、これを、
胡東という、最終島のことである。胡東島嶼と
いう。これが、世界を島嶼という、胡の言いで
ある。これが、リンゴの形の世界地図という、
クルミ世界という。

 このリンゴの窪んだ部分を、なんたれ、という、今の
南極である。北の方の部分を北極という、リンゴの
上の方の部分である。このリンゴを島嶼という、食べ
るリンゴである。これが、リンゴを直接に、世界という。
【韓国済州島】
 これが、天輪という言いの世界という。世界を天輪
という、又、リンゴ世界という。これが最終島の名の
元という、後、済州島という。済州島の『州』が、砂
嘴を表すことという。この済州島というた時に、
ジュジェという、コジェのジュという、かかわりをいう。
ジュッスイという、ジュッシュイというフランス語の言葉
の取り入れという、このジュスイでフランス語を取り
入れる、これを、コジェ取、という。
【フランス語と朝鮮語】
 これの『取』が、先に、朝鮮のヘギョンで取れて
いる、これの関わりである。、ヘギョンソワという。
これが、『ソワ』のフランス語の関われである。ヘギョン
という場所のフランスという、フランス語のことである。
このフランスを、みべやり、という。この『やり』が、
小嫁槍の『やり』である。みべやりが、ヘギョンの一
場所である。ここを、ヘギョンソワという。

 このフランスという、ジュジェという、チェンジューと
いう、チェジュという。『ジュ』が、みな、フランス語に
掛かっていることという。朝鮮のフランス語という。
この日の朝鮮を南鮮という、ヘギョンのあるところを
北鮮という、北朝鮮という。チェジュのあるところを
南朝鮮という。これが済州島の言いである。ナン
ギョンという、南の朝鮮という。このナンギョンを、
南京という書きをする。これが、ヘッギョソワを
ペッギョンという、北京と書く、今の平壌の一区
である。ペッギョンホックという、このホックの書き
が、発区と書く、これに、発句とも書く。
読みが、ハックで、ホックである。日本の俳諧の
発句である。はっくとも、ほっくともいう。
【任那】
 これが、空の管制の日本語の管制が出るこ
とという。これの管制に日本府という、ミマナ、
ミナマの任那の、にんぽう、という。日本府の
ことを任という、済州島の任語という。
【五帝泉】
 この任語が、砂嘴の北を、右を、赤という、
赤海という。後、紅海という、東紅海という。
この東が、西の紅海の対である。この紅海を
黄海という。この黄海が泉という、五黄海と
いう、後、五帝泉という、京城近辺である。
五帝泉の、そきざわ、という。祖記沢。
【李氏朝鮮】
 この祖記沢が、朝鮮京城の和国の時の
御所の出張所である。この出張所を、
けいかわ、けいが、きょうが、京河という。
京河を、キョンゴーという、五帝泉のあまじ
冠話という、キョンゴーという。キョンゴーが
冠語を表し、場所を表す意という。これを、
キョンゴー・カールルーという、京河冠話という。
これが当時の朝鮮の冠話である。この朝鮮、
南鮮である。北鮮の冠話を、ヘギョンルーと
いう。この少し以前の平壌を、ピョンハップという、
これを、平発句という書きをする、へいほっく、
へいはっく、という。これがヘッギョンルーの冠
話の言いである。当時のヘギョン周辺の冠話
の言いである。これを、明韓菊という。これが、
李王朝の日本語である。この王朝を
李氏という、リーライという読みという。
王朝をライという、朝鮮の言いという。
この朝鮮を李氏朝鮮という。
【小崎御所】
 『リーライ、ホンラー』という、日本冠話で
『こよむ』『こよみして』という、これが、小崎御所
である、福井県である。
【福井滋賀、朝鮮間の海底道路】
 この福井県から海底トンネルが朝鮮の浦山へ
いっている。浦山小崎海底間逓道という。福井県
小崎で、滋賀県木之本である。
【滋賀県余呉の北周り】
 滋賀県、木之本、余呉で、西から今津北、
牧野、浅井で、余呉北で一つになる。余呉北か
ら、小浜へ抜ける小浜から海底トンネルへ入る道
である。余呉北・浦山道という。

 一方、余呉北から、福井の、芦原、坂井の深谷
町という、ここが九頭竜の河の入り口という、深谷
町に海底トンネルへ行く道がある。ここと、芦原、
丸岡である、海底トンネルの入り口という。
九頭竜川の沿いのトンネルで、丸岡という、
トンネルの中の丸岡という、垂直原という、
原里という、若い人の故郷である。トンネルの
我が家という、若い人である。

 このトンネルが、再び南へ切り返して、余呉北・
浦山道のトンネルへ行きつながる、これが、臨海
策道という。

 これを、朝鮮が、リッパーという、両朝鮮である。
五帝泉の李朝関堰という、チョッソン・ラールゴー
の真意である。日本語で話す、李氏おんそめ、と
いう。これが秀吉の朝鮮侵攻の話である。御所が
いう秀吉の話である。朝鮮征服という話という、
リッパーロックという、英語のような言葉である。
リッパーが、秀吉のことである。

 この『リッパー』が、オギョンソワという、京城の
一般通関語である。これで、韓国朝鮮を、
通関国という、言葉が入り混じる、運輸の通関
管制である、管制語がいろいろ入り混じる。
主に陸の管制語である。
【大和海嶺】
 海の管制語は、大和水嶺という、ここで管制語
が入り混じる、通信用語の管制語である。大和
海嶺とも、大和堆(つい)とも。

 この大和堆が環礁である。古く火山であった
話という。ここの海を、ジャッカス、という、後、
ジャパン・シーという。若干海という、ジャカシカと
いう。ジャカシカが、大和堆の冠話でもある。
この環礁の名を、タレレゼという、ジャカシカ冠話
である、若干語という。この『干』が、干しあがった
という意の言葉である。標高2000の穂高堆と
いう、海穂高(うみほだか)という、大和堆山
ともいう。環礁の話である。

 この環礁、後、神姫(しんき)堆という、蜃気楼の語源で
ある。蜃気楼をパースメーという、れれてみ、という。
英語で、ミラージュ mirage、フランス語読みの
『ジュ』である。マイレージと読めば、関堰という意味
である。マイレージという読みが、お金の意味に解
釈する、mylage の話という、運輸関係の言葉
である。
 mirage と表記する、ミラージュの鏡映りという。
イギリスのベニスという、沼の名である、グラスゴー
である。当時のことである、ストーン・サークルの頃
である。

 イタリア語の、ムッツールという、イスパンという、
イスパニアの、ミラージである。ミラーグという、
ミラーゲという、これらの読みが、フランク王国の
言葉である、ベルギー公国の言葉という。
メレンリル・ファールラーという。これが、フィスという
フランス語の語源である、息子の意。フィユ(娘)が
対語である、フランス語である。これを、フィーファーと
いう。このフィーファーが大和堆冠話である。
【カンサスシティー】
 遠く、カンサスの対という、アメリカのカンサスシ
ティーである、二つの町である。対の町という。
カンサスの近くのSho Mt. ショウ山という、これが
陥没する話という、ここをリッキーという、古く、リッ
パーという。りっぱー、リッキーの話という。後、
朝鮮人がここへ行く、チマ・チョゴリの服を着る町
とも。言葉に朝鮮語が混じる、アーカンソーの州
という。リッキーが、それである。標高2000の
ショウ山のことである、リッパー、リッキーと
いう、二つの峰という。大和堆も二つの峰である。
主峰、副峰という。

 大和堆山とショウ山が、対の山である。アメリカ
冠話のショウという、『二つ』の意味がある。今の
米語の show である。
後程。

そうきょうよいお書き。M17。
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』
 

2021年05月19日

出発172 カンサス

腹を横に書く。
駄作曲の聴き方:曲名または、楽譜をクリック 
【曲名】 出発172 カンサス
    創曲、今 出発・正(やなぎ)  2021/05/18
    造詞、今 から ・正      2021/05/18
    監修、今 正出         2021/05/18
【歌詞】正里
【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
【カンサスシティー】
  ニューヨーク島東、太平洋のニューヨーク島が
あった頃のこと。
 カンサスシティーと隣のカンサスシティーのこと。両
カンサスという、トピカ南のカンサスという。このカン
サスと隣のカンサスの北に山があった、標高1500
-1600mくらいである。カンサス山。トビカ、カンサス
、カンサス、ジェファーソン辺りが、このカンサス山の
麓である。
 カンサス山が沈没する、地ずれを起こす。
今のカンサスの南へ行く。地ずれという、地滑りで
ある。この地滑りのある町という。
【リーンカネーション】
 この時に、地震の予知という。この予知をする。
これを、リームという、リーナルという、リーンカネ
ションという、言葉の出という。カンサス州初発の
言葉である。
【カンサスと朝鮮の関わり】
 この『リー』が、グラントという人名に関わる、南部
のカンサスという、リーグランドという、リーの山という、
カンサス山の李氏朝鮮の言いという。このカンサツ
の木の言いに、プラムという木の言葉のことという。

 これを、りー・ハンスンという、当時の朝鮮の済州
島の言葉である。最終がラストという、このラストが、
『続く』意のラストである。
【済州島の砂嘴】
 カンサスの古い言いにラスト・ミックという、英語の
初期の言いがある、このミックが州である。この州が、
済州島と日本の対馬を繋ぐ州である、砂嘴のこと
である。

 当時カンサスが、砂嘴という州があったことという。
これが、朝鮮の仲立ちの言葉という。これが、リー・
グラントという、南部の人の言いの砂嘴に、シューと
いう言いをする。これが、シューの言葉という。これが、
朝鮮人のシューである。これを、リーの言葉である、
という、リンカーンが掛かる。こりリンカーン、地名で
ある。この地名のことをリーンという、リーンカーネの
鐘のある町という、じぇふぁーそんという町が出る。
【タルサ】
 このジェファーソンの鐘を、リーンカネーションという。
これが、タルサの拳銃祭の言葉に出る、タルサ・ハ
イという。シューにいう日のシューの言いの朝鮮の
言葉という。拳銃祭が、銃で花を撃つ祭という。
この撃ちが『シュー』で表される。

 この時に『シュー』を砂嘴という、一言が言われる、
この砂嘴が、カンサスの砂嘴になる。陸の距離を
測る尺(さし)になる。これが、さしという言葉の
日本語になる。これがアメリカのカンサスのさしで
ある。長さを測る道具である。

 主に陸地の距離に使う。マイルという、尺である。
このマイルが、世界のさしを使うことの、代表の距
離を測る道具の目盛りである。これを、ムテという。
『ムテ』に『うて』の意味がある。『さしをうて』という
日本語がこれである、長さを測れという意である。

 この『ムテ』が、時の新潟村上城の言いで、近くの
新発田の尺を使う。この新発田が、ムテ尺という、
城の建築の折尺をいう、大工道具の折尺である。
この目盛りが、建築の当時の日本の尺である、
定規である。木造建築の定規という、この定規の
数に、漢字を使う、死から始まる数字の表記という。

 これが次の目盛りまでの間を、イットという、城
建築の用語である。この『イット』と同じ意味の
用語がカンサスの言葉にある。イット・イズ・ツー
・サウザンド・マイルという。この『イット』が、この
意味である。今の英語の常用である。
【カンサス山高さ】
 マイルが、1.6キロメーターである。これが、当
時の、標高1600メーターという、1マイルという、
カンサス山の高さという。カンサス山が置いた
度量衡、度数衡という。これが、英語の陸の
距離の数えになる。

 日本の約3尺のメーターが、このマイルという
距離を日本の海里に出す、これを陸に出す、
1陸卿という、長さである。端を作る時に使う
長さである。

 これが再び、アメリカのジェファーソンに出る
距離の言いという、ジェファーソン・ラッキーレ
ングスという。この距離の言葉の回りをリーンカ
ネーションという。これが、独立記念日の頃の
長さであり、距離である。マイルがその当時から
使われていることという。これとキロメーターが使
われていることという。

 朝鮮、済州島がマイルを使うことという。これ
を、砂嘴に充てる言いという。マイルのことであ
る。1朝鮮陸卿という、砂嘴を橋に見立てる
言葉という。日本の陸卿と同じ長さである。

 アメリカにジェファーソン靴という、この靴の
長さを測る単位という、1フィートという。
このふぃーとを陸の距離に充てる。この時に
日本回しという、尺を仲介にする、同時に
尺と同じくらいの長さという。これで、1フィートを
1尺という、これが、陸卿の単位という。この尺を
クジラ尺という、身に付ける着物の尺という。

 大工の持つ尺を、曲尺(かねじゃく)という。
これが日本の長さになる。1尺5寸という、
言い方になる。
【クジラを測る】
 民謡ソーラン節の『男度胸なら五尺の体』
、この尺、上の尺である。160センチ前後の
ことになる。この尺の数えがクジラ尺の数えで
ある。この数えを、フィート鯨という。鯨の長さを
測る時の尺である。この尺を使う、内陸の尺と
いう、これが使われる場所を卿という。
【南北戦争リー将軍】
 リー・グラントを、ホエール卿という、鯨卿という
呼びをする、ジェファーソン古い言いという。ジェ
ファーソンが卿を男爵という、ホエール男爵という。
男爵をバロンという、ホエール・バロンという。
南北戦争のグラント将軍である。南北戦争は、
尺の戦争であるという見方という、尺を作ること
である。ジェファーソンの古い戦争という、古い
頃のアメリカである。
【歌劇の話】
 この『ジェ』がフランス語のジュに充る解とぞ。
フランスが、ジェファーソンの独立を、アメリカ従
属という、この時、メシコであった話をする。
これが、済州島の歌劇という、西部劇の格好
でする李宮の歌劇である。『あるはれた日の』
意の歌劇である、鯨役で出ている若い人という。
フィルムもある話という。朝鮮の古い歌劇である。
済州島の歌劇という。

 この歌劇が、ロンドンとボーンマスの歌劇である、
フランス語でする歌劇とぞ。格好が、バロンの充て
のルイ・王朝の歌劇である。舞台が、ニユーヨークの
シャープ・フロントの停まる家である。
http://akinokori.sblo.jp/article/188527216.html
そこの家の中が舞台である。

 アメリカ・ニューヨークのプロードという、ここの古い
歌劇とも。

 グラント将軍のお置きである。イギリスのサーで
ある。サー・グラントという、ロンドン幕府の言いで
ある。
【サージェント】
 若い人を、サージェントという、イタリア・ミラノの
劇という、鯨劇という。ニューヨーク島のあった頃の
話である。

サージェント・ペッパーという、故障を先に読む
『サー』の言葉という。卿に充る言葉である。
ジェントが、ロッキードの意である。
【佐渡島の砂嘴】
 このロッキードが、砂嘴当ての海卿である。鯨を
サージェントという、海卿獣という。一粒のピーナツと
いう、砂嘴に関わる新潟の佐渡島という。砂嘴が
ある佐渡島である。何本もの阻砂嘴が出ていたこと
という。

 この佐渡が、済州島という、済州島の砂嘴を、祖と
いう。この砂嘴が対馬からの砂嘴である。この右側
の砂嘴が、対馬から浦山へ出ていた砂嘴である。

 歌劇は、この砂嘴が、皆、掛かることという。サッ
ペーという、歌劇の意である。ペッパーという、
胡椒の掛かりという、淑女の『淑』の字が掛かる
レディー場という。食事の料理の場のことである。
食事の料理をする人をレディーという、女性である。
サージェントという男性である。食事軍曹という。
戦争の言葉を使う、古い歌劇の劇団という。
劇団の任務である。

 これが、サージェント、レディーという、話という、
ジェファーソンの町の出である。古出町という、
日本の言いである。

 隣のアーカンソーが、ピーナツという、砂嘴と
島の見かけである言いという。ローッキードが
佐渡金山の井戸である。地球が鞠の状態という、
これを、ピーナツという、落花生の皮をむいた中
の言いである。新潟の佐渡島の井戸の話という。
金の話である。

 若い人の言うピーナツは食べるピーナツで
ある。金科生といういいの島という、佐渡島で
ある。これを、カネカミ、という。ピーナツのような
金である。金を金科生ともいう、これを、金山
奉行の言いという。
【砂金】
 ロッキードをアメリカのロッキードという、ロッ
キードの井戸という、カスケード山脈の井戸と
いう。井戸の水に、ピーナツ状の金が出る。こ
れを砂金という。ロッキードの砂金という。
井戸をローキードという、グラテスの言いという。
古い町のボイジーの言いである。るぱーとの町
の言いとも。黄金ラッシュという、この辺の町が
出である。ルパート・スタットという、スタートを
スタットという、この促音の英語がある。スネ
ーク川流域である。

 この黄金ラッシュの南、ミード湖ができた頃
である。ここの金である、ツインナッツという、
ゴールデン・ライスという、これをご飯に混ぜる
西部食という。モハーベ砂漠の近くである。
エドワード空軍の食事である。
【金の粒】
 この金を食べることを、マウンテンという、
マウンテン食という、これが、トランピスという。
トランプという、トランプの食物という。効果は、
目の奥にある光膜の保護である。眼病の予防
という。
【シェファーソンの教え】
 金が腹から出てくれば、洗ってまた食べる
という、その時に便の観察をする、ジェファー
ソンの教えである。これを説く医学が、嵐冠語
という冠語を使う、京都大学の眼科医という、
主として、目と耳の関わりを見る医学という。
アメリカのコロラド大学の教えとも。後、ニュ
ーヨーク市大の科目いう。
【ニューヨーク島、コッパー】
 ここと、アメリカのコッパーという場所という。
そこの教えである。地震前の学問である。
ニューヨーク島の教えという。サージェントと
いう外科医の話である。食事のライスを一粒
ずつ切る修練という。常人がすれば、外科医
の見方が出る、主として、反感の心理の解析
という、この見方が出てくる。この心理学を、
蓋然性心理学の一つにする、心理手法という。
常人の事はどの使いを見ていく心理学という。
言葉で体の状態を判断し、病気を推理する
内科医の病気乗り箇所の把握という。問診の
内科という。心理学を入れた病理学という。
これが、ニューヨーク島の沈みの頃である。
ワシントン大学の心理学説という、バンクーバ
近くのワシントンである、そこの教えである。

 他、イギリスのグラスゴー大学という。
アフリカのコンゴ大学。
イラン、イスファハーン大学、
中国、武漢大学、
オーストラリアのキャンベラ市立大学、
そこの教えの一部にある、ロシアのパブロフ
心理学である。金の掛かりの心理学である。

 また行くイスファハーン、私の故郷である。
若い人の、まよせの町、という。アジルバ山
お添え、という、この書きである。

 カンサス発ミルウォーキージェットの教えとも。
ジェット機操縦の訓練である、ライス一粒を切る
ことという。


Kansas city writing, this is.

古い東北の秋田の、大学の塔という、そこの
話である、秋田大学医学部の話という、山西省の
ミオ区の大学の話である。搭乗選という。ジェット機
乗りの話という。

 ドイツのハイデルブルグの街角という、ハイソンの
出の町という。るるれるヤッパの出という。ここから
ベルリンへ行った人とぞ。

 若い人のロンドン空爆の話である、ロンドンへ
ジェット機で行くことをいう。

  兵庫県篠山の金山もある。そこのコメという、
俵の米粒という。篠山の古い金である。
2021/05/18
そうきょうよいお書き。M25。
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』
 

2021年05月20日

出発180 カンサス・ワット Kansas Watt

腹を横に書く。
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音楽
【曲名】 出発180 カンサスワット




    創曲、今 出発・正(やなぎ)  2021/05/19
    造詞、今 から ・正      2021/05/19
    監修、今 正出         2021/05/19
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】
【場所】
【作成ソフト】
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
【歌詞】正里
山沈む時に 丸い岩の屋根建て
仮面付け 像が立つ町 カンサスの町
大学門 いつも挨拶して通る門
大きな花 紅花 私が見る ふかれ柳
高い町の建て 学び舎の日 思い出

 レスターの町の像が手振る テームズ
川に入す ブリテンが霧隠れの時
ムーの島の沈み グッド・ムー入。
カンサス町は像をたたえる 歌は
像の歌を歌う 銀杏通い道
学び舎の日 思い出

ロッキードがずれた 町は大騒ぎの日
陽が影に見えたブラックホールの出来
夜の見えに 大きな穴見えて筒様
陽のかげとじ 黒い世 黒い建ては
これを尊ぶ ハワイの世の花


【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
2021/05/19
【歌詞解説】
ムー:イギリスのこと。レスターの町の像。
ムーが沈むという、イギリスが霧に隠れる
    ことをいう。
入: 入ること、簡略冠語という。
   ミーファー、ターユという、
   『ミーファー、行す』という、
   『ターユ、復す』という、
  行き帰りのことである。
   ミーファー、私のこと。
   ターユ、貴方のこと。
 『ターユ行す、ラーフラー』という、
  ウィズ・ユーという英語である。
 これを、『ゆみつれて行く』という、
 日本の黒御所の時の英様冠話という。
 英語のような冠話である。
 ペストの流行という頃の話である。
 ペストは、黒紙を使うことである。
 黒紙廟という、黒御所の便所周りで
 ある。欧風便所という。これを、古ヨー
 ロッパという、黒い仮面の若い人という。
 黒いチューリップの咲くことのいいという。
 ペストという、黒いチューリップである。
 バタバタと枯れたという、花はそういう
 ものである。

 絵はカンサス工科大学で、ドームの中にある。
銀杏通いという地名のところにある。
Ginkgo tree road、 ここの地下にある。
深さが五層という、緑の土がある。掘れば、山が
浮き上がる、地が崩れる場という。深さに類する
今のカンサス大学という、ここが倒壊することという。
アウンデラという造りがしてある。地下で街をもた
す造りという。地名の『ア』の意という、アカンサスと
いう、カンサスの地の対の地という。ここも倒壊する。
銀杏のつくりという、人の脳の形という。頂になる、
アーカンソーが倒壊する、それほどの大きさである。
上から、細いパイプの渡しを入れればよい。

銀杏の木の絵が描かれている、細い渡しの道は、
銀杏の枝のように入れていく、これで、倒壊を防
げる細いパイプの道である。現在の技術でできる
話という。アーカンソーの工業の技術を応用
する工法という。これがある、入り口がある話と
いう。アーカンソーにある入り口である。ここから、
地下のドームへいけることという。これが、アメリ
カン・ドリームである。柳の木の洗礼という。

工科大学にある話である。
ドームには柳、梁木の木も植えてあることという。

 ドリームが、『掘り下げる』意のビジョ語である。
若い人のいた家である。アーカンソー、リトルロック
の辺に入り口がある。これが、若い人の言う、
ヒットラーの隠れ家である。若い人のヒットラーと
いう。

 ムッソリーニのイタリア山の話という。ミラノの鉱山
道という。地中海に抜けている話しである。これの
工事を戦争という、第二次大戦のヨーロッパ戦線
である。入れば、ギリシャの絵が描いてある。
ニューヨーク工科大学の像の絵である。
ニューヨーク島のコーパスの町の絵である。

夢のある話という、地球地下街の話という。
小樽の五稜郭の江という、この地の私の家の
地下の道という、これがある京都の町の若い
人が住む家である。

【カンサス工科大学】
 カンサス山、沈む時、あったドームという。
灰色の岩の造り、中の天井が青い色、イタチが
立った像に、台座に仮面が入っている。
 この仮面、山形で、真ん中から両方に
空けられる。立った像の手にその仮面を
支える造りとぞ。高さ3メーター位である。
 それが立っている、その向こうに、像が
もう一つある。その像が小さな像である。
同じ造りである。大学の門という。

一棟の大学の建物。これが、工科
大学の言いの、カンサスの大学である。
カンサス・テックという名前の大学という。
これがドームの中である。

 山が沈んだ時に半分沈み、屋根だけが
見えていた。後少し上がり、沈んだ山で、
この沈みの時、全部ドームが沈む。
ニューヨーク島はあった頃である。ゲチス
バーグから行く、カンサスの村という、屋根
だけが見えたことという。

 これが、大学の工科ということに掛けてある
歌の言葉とぞ。紅花である、降下である。

 カンザスの大学のなりである。 これを、
アース・テックという、カンサスの大学の工科と
いう。埋もれた大学の一棟という。この頃の
大学という、門の前の像という、大きな花が、
アフリカの大きな花と同じ花という。
【カンサスのドーム】
 若い人がいたカンサスの町という。隣の
アーカンソー、リトルロックという、そこの言い
の、ラック・テックという、落相の言葉をいう。
これが、いんそめの言葉という。像がドームの
中に立っている、大学一棟の建物という、
ドームの中である。

 イギリスのストーン・サークルの頃である。
【ロッキード移動】
 後、ローキード山脈が西へ5キロ程移動する。
レスターの像が手を振るという。イギリスに地震
があったことという。ロンドンの崖という、崖が
出来たロンドンという。各地もそうである。像の
震えという。カンサスの工科という、テックという、
カンサス・テック・ユニバーシティーという、後、
カンサス大学という。テックという技術の話が、
主に、医者の内科の技術になる、カンサス
大学である。地震の時に出来た言葉という。
ローキッドの移動の時の、各地の断層である。
コロラド渓谷が代表である。これが、ダラス
大学の教えにある。ダラス・テック論という。
キリストの関わりが出る、ロンドンの霧である。
霧の子という言いをする、レスターのコマタン
という言葉である、霧をコマタンという、レスターの
古い言葉である。同時期のことである。
【ハワイの筒花、ブラックホール】
 筒花というハワイで見える黒い穴という。
筒状の穴である。ローキードの移動の時に
出来た穴である。後、遠ざかった穴という。
太陽の横の影になったという、アフロ・イン
ディオという、今のコンゴの場である。
ここが、それをいう人がある。中国武漢、
ロシア・モスクワという、これを、黒海落ちと
いう、空唐北黒海という、カスピ海という。
この二つの湖ができた話という。ローキー
ド移動の話という。
【エドワード空軍基地】
 アメリカのカナダのエアという空軍の話と
いう。エドワード空軍の太陽を見る見方と
いう、これが、空軍基地の教えである。
太陽の影という話である。ロッキードの
アクションという、このアクションを踏襲する
ジェット機航法という、アクション・れーてと
いう、日本冠話の言葉という。英語で、
アクション・パスという。山上で機を立てる
ことという。これが管制の切り替えである。
ネーチャー・ワーシップというジェット機の
拝みである。カナデアン・エアの話という。
悪気流を乗り越えて行く話である。
アクションレーテの冠語の説明でもある。
【アフリカ・コンゴ】
 アフリカのモルデという村の話にある、(コンゴの
古い名前、南アメリカと一体の時の名。)
同じ話が、中国の武漢にある。アフガンのデカンという、
オーストラリア・キャンベラである、世界各地にあ
ることという、ロッキードがずれた話である。
ニューヨークク島のあった頃である。コッパーという
、古くコーパスという、ニューヨーク島の町である。


 ((カンサス、ウィチタ、アーカンソー、この辺が像
をたたえる町である。ヒットラーを好む町ともいう、
ロンドン空爆の若い人のヒットラーである。
アンネの国というイスラエルができた頃である。
ロッキード落としという国である。ロッキード山脈
に関わるイスラエルである。

 アラブの話が暗録という、ライオンの話である。
アンネ・フランクの山の井である。井戸をたたえ
る話である。アンネ・フランクの話である。

 イスラエルから出たという若い人がラムセス号
という。これがロッキードへ行った時である、若い
人という。V4である。小さなロケットである。
カンサスの降下という、カンサスへ行った話という。
ロッキード山の立てという、ロケットを立てたこと
という、若い人の話である。アフリカ・ナミベの話
である。

 アンネ・フランクというニューヨーク島のコッパー
の人である。私の御叔母であるという若い人
である。))

【グット・デパーチャーのカンサス】
 日々の始まりを、デパーチャーという大学である。
物事の始めという。講義に、デパーチャーという。
カンサスの大学の言葉である。グッド・デパーチャー
の町という。入学も卒業もデパーチャで表す、
グッド・ロック・セックという、古いアイスランド語で
ある。私の覚えという、若い人の言葉という。

そうきょうよいお書き。M19。
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』
 

2021年05月21日

出発182 アーホ

腹を横に書く。
【曲名】 出発182 アーホ
    創曲、今 出発・正(やなぎ)  2021/04/29
    造詞、今 から ・正      2021/04/29
    監修、今 正出         2021/04/29
【歌詞】正里
【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
【歌詞解説】
2021/05/19
【歩危】
 四国の歩危、京都府亀岡市の歩危という、今は、
なくなっている、亀岡の渓谷の頃である。今の山陰
線のなかったころという。この頃の亀岡である。亀岡
の歩危という。他に、沢というそばが、それになる。

 新潟沢の町の頃という、代表が、新発田いづはらと
いう、歩危所という。これが瀑布に掛かる、イドンデ
とそ。オドンともいう。新潟の新発田の町の言いと
いう。ここへ行くことに、サキセルという、これを咲祖
という。セルを祖という。セル祖という。セルシアとい
う延伸がなる。この延伸をセルスラーという。
【音楽のスラー】
 これが音楽のスラーに出る。楽譜の縦棒を越える
表記の元の思惟識という。つないで越える音の伸
ばしという。楽譜を地図というひに、これが山で
あり、谷である、見方をいう。音地図のさんれく、と
いう。これが音の表しという。

山のような書き方をする、民謡の書きという、詩吟
という。山谷側れく、山谷川行きという、これを、
流域音という。流れるようなスラー列という。

 このスラー、崖を含むひに、音の上下を谷、山
という。谷越えて、山跳ねて、という。この表現が
バレーの一つという。剣の舞という、高い尖った山
という、一つの味方である。舞に地図を入れる見
方という。想像景という。これが、阿呆の味方という。

 音楽に歩危が掛かることという。歩危を越えると
いう、ここに音の癒しをいう、直しという。これが、
音楽のてっとく、鉄得、という。音楽から癒しを引き
音を直すことの直しを、ヤマ・イに掛ける、これが、
病気に掛かるという見方の阿保医学という。
【カンサス文化】
 この医学、アメリカのカンサスの医学の元という。
アメリカの阿保という言葉が元である。アメリカ・
カンサス発のアホの意である。これが、獣医という、
医学のじゅうの言葉という。脳医学を、ジューイラ
ーという、これが、アジレカの言いという、後、あじす
山という、三木山のことという。これが、さん様の
言いである。これを、陛上という。

 代表をナポレオンにとる。ナポレオンを地皇と
いう。地皇陛上という。アルプスを越えるという、
ドナウ漣をたとえる言葉に、おうほうするという。
おうほうを、オホーツクに充てる、これが、オホー
ツク海の名称のもとという。古く、オホーツクを
、まよの江という。まよっ芝という。これが、樺太
の、さいらむの、いそゆそ、という。
【樺太、カンサス】
 樺太を、まよの山、という、江戸幕府の言い
という。これを、アイヌというひに、樺太のいよ
みら、という。いよみらが井戸を表す言葉である。
樺太の江戸幕府の言葉である。これがモスクワ
公告の頃の、日本という。江戸幕府のモス
クワ公国行きという。いどゆらのお国という。

 モスクワ公国の頃の井戸の話という。これが、
フランス・オードーニュという、オーベルニュの村
の井戸の意という、ナポレオンが掛かる、江戸
の山という。オーベルニュ・うっすべ、という。
モスクワ公国の頃の井戸と同じつくりである。

 『泉に水汲みにきて』という、泉の歌のロシア公国
という。スロンゼルという、ゼルがセルである、言いの
幕府のオランダ語という。オランダ語掛かりのロシア
という。このオランダ、ロシアをサラセンという。
サラセン・ロシアという。ロシアのやまず、という。
【赤ひげ診療】
 これが、ロシアの病気を見る掛けがなる。
医学を、さってす、という幕府を見る。幕府が
これをサラセン医学という、古く、日本の各地
の医学である。赤ひげ診療という。赤い髭を
つける医者の見という。
【アフリカのブーズー】
 サラセンの舌の見である。舌を見る一検診
という。アフリカ・ブーズーが代表の、舌に皿を
乗せる行為という。日本にもある行為である。
小さな皿である。
【イギリス・カレードニア】
 これをブックスという、イギリス・カレードニアの
ことという。カレードニア・レッセセという。サラス
ポンダ、レッセッセの言葉である。蘭学の医学という。
江戸朝の医学という。
【パブロフ心理学】
 これより遅れてロシアのパブロフ心理治療という。
パブロフ心理学の医学である。モスクワ公国という、
ナホレオンの攻めという。この歴史の解釈である。
医学とともに言葉が入ったことという。これが戦争
の医学である。戦争という、言葉の関わり具合を
いう言葉である。原始人の解釈という。
【カンサス大学】
 サララセンの医学の言葉という、アメリカのカンサス
の大学がこれをいう。獣医学という、犬の見をいう、
犬の身をいう。犬の鳴き声を聞く、パブロフの所見
という、カンサス大学の医学の見の一つである。
【カンサス大学のトランペット】
 カンサス・ロッキーという、トランピストという、
カンサス大学の音楽のトランペット奏者という、
ここの音に犬の鳴き声の音が出る。カンサスの
地方の奏法である。

このトランペットの音、犬鳴き声を出す時の、
舌の位置という、これが、サラセンの舌の皿の舌
という。舌にのせる皿の舌、これと、トランペットを
吹く舌の位置、これの関わりという。カンサスに、
ある、舌の皿という、古いカンサスである。赤ひげ
獣医学という、これの発祥の地である。音楽、
獣医学という、カンサスの誇りという。大学の話
である、カンサス大学の卒業生である若い人と
いう。卒業を、デパーチャーという、カンサス大学
である。いくつかの大学があるカンサスである。
【カンサス工科大学】
 オホーツクを論じるカンサス工科という、ここの
工科が、遠くの樺太をいう。まよのしまゆら、という。
まよの原の樺太という、樺太工科大学の学をいう、
レッセッセ・ポンデスという。古くの樺太である。
古くのカンサス工科大学である。

 カンサスから樺太へ行く航路をいう、これが、空の
エドワードが出る、アッシュビレー・ろうくう、という。
古くのフォートワースの踏襲という、フォートワース発の
航路である。

 このカンサス工科大学の飛行術が、とんぼ返り
発信をすることの出という。カンサスから一旦、
フォートワースへ行き、エドワード空軍へ行き、
東へ行くという。これが、地図では西になる、
カンサス大学の古い言いという、カンサス工科と
いう、カンサス大学の古い名前である。

 この工科が、とんぼ返りを直進という、カンサス
地方のトンボという、まっすぐに飛ぶことをいう、
トンボをジェット機という、カンサス工科大学の
言葉という、現、カンサス大学という、古い時で
ある。この航路をウィチタライヒアという。
直進の発進をウィチタ発進という。カンサスの
言いである。

 東へ行くという反対のような言いをウィチタで戻す、
西へ行くという、この時に、とんぼ返りも、もとに
戻す意という、直進をとんぼ返りとは言わない
という、ウィチタライヒアという、場所という。
ウィーレルロンゼーという。

 これが、医学の戻しになる、もとに戻す、
健康状態に戻すことの意という。ウィチタ流
という。カンサス大学という、直進発進である。
カンサス流発進という、ウィチタ発進という。
(とんぼ返り発進をパパナ発進という。)
【カンサス管制】
 これが、空の管制の、カンサス管制という、
カンサスの航空管制という。言葉がウィチタ
語を使うカンサス工科航空という、発進を、
パッサーという、或いは、パーサーという、
古いカンサス管制の言葉という。

 ウィチタ・パースという、ウィチタで東へいく
とんぼ返りをする、ジェット機である。英語を使う
カンサス管制という。空の管制である。ウィチタで
言葉を切り替える、フランクス・イングリッシュという。
フランクリン航空という、カンサスのウィチタである。
ウィチタライヒアのことである。
【カンサス健康術】
 医学に戻しをいう、これを健康増進という、ウィチタ
含みのカンサス健康術という、医学のデパーチャという。
カンサス大学発の健康保全という、デパーチャー・
ヘルスという。カンサスのデパーチャーである。
デパーチャーという卒業の意であり健康の意である。
これがカンサス発である。カンサス山のあった頃で、
ニューヨーク島のあった頃のことという。

 衣装をワという、ワットソン・カンサスという、これが、
ワシントン・コールである。ワシントンがワットという、
このワシントン、今の首都のワシントンである。
ワシントンの管制下のカンサス管制とぞ。

 ワシントン管制が、当時、フランス語に似た
レボッセムという言葉を使う、後、フランス語という。
これの名残が、現、航空便用語のフランス語であ
る。レボッセムという、ファーリーのフランス語という。
今のパリである。この切り替えが、ロッキード山脈で、
切り替える。ローキードから西が英語の管制である、
東がフランス語である。このローキードから西を、
ウィチタ・ベン原という、ベンバードという、航空
用語である。

 これが、医学に航空の見方をしていく、ベンバード
取入という。主に細菌の見方を取る医学という。
病状に菌をいう医学である。今の医学になる。
ベンバード医学という、今の医学の主流の医学
という。ジェット機の航法から出た医学である。

 これを医学発進という、ウィチタ戻しの言葉の
延伸である。カンサス工科大学の医術という、今の
カンサス大学の医術、医学という。ここの医者の発
進である、ジェット機に乗る医者という。フランス語を
医学用語という、このフランス、古いノストラダムスの
フランスである。ペストのはやったヨーロッパという、
京都の黒御所のことという。

 ここをノストンという、ノストラレーゼー(冷泉)と
いう。黒い頃の御所の言いという。ノストンの医学と
いう、これが、バットマン医学という、現、同志社の
医学という。カンサスと同志社の話という。
カンサス工科という頃の同志社である。

 大学用語というカンサス語がある。ラテン語の古い
コルセットという。コルセットの挨拶をする大学という。
これが朝鮮の平壌の言葉にかかる。朝鮮を通則
という、アメリカの言いのカンサス航空管制とぞ。

 ウィチタがこれを、ろっくう、という、ロッキードの語源
という。平壌のことを通過所という、朝鮮が通過国
である。
【平壌のとんぼ返り】
 カンサスから日本の京都五条管制へ来るときに、
一旦、平壌まで行く、とんぼ返りをする、後、五条
管制という。
【フィリッピン】
 この時に用語を切り替える、異なる管制の用語を
使う、これを、ウィチタ・ピーナツという、ナット・コール
という。これが、陸のフィリッピン管制になる。
フィリッピン管制がスペイン語を使う、りつはら、という、
立原管制という、リッパンという発信をして、完成の
言葉を切り替える、スペイン語の立原管制という。
これを、リッパンという無線の発信である。

 このリッパンの時に速度を緩める、ジェット機の操縦
という。これが、立つときという、ジェット機を立たせる
ことという。立った時に発信する、リッパンという。

 フィリッピンのスペイン語の管制略号を打つ。後、
日本の管制用語を使う、五条管制のアイスランド管制
語である、
【コルセット】
 このアイスランド語が、ラテン語のコルセットという、
ラテン語の古い言葉という。コルセット語という。
文字はロマノフ王朝のロシア文字を使う、今の
キリール字である。ウィチタという、古いラテン語で
ある、コルセットという。これを、ロンドン・コールという。

 ロンドンの管制をいう、アイスランドの管制下という。
管制を、尤(ゆう)という、尤管制という、アイスランド
管制という。コルセット語である、アイスランド語のこ
とをいう、ラテン語の古い形である。、日本へ
到着する。降りたら日本の陸管制になる、用語が、
そのままアイスランド語である、これを、陸コルセットと
いう。陸管制のコルセットである。
【コルト】
 このコルセットで、ロンドンをコルトという、コルト・
キャピタルという。これが、空の管制である。ロンドン
上空をコルトという、後、これが,銃の造りになる。
ジェット機をコルテスという、コルセット語である。
陸でも、銃のことを、コルテスという、コルセット語を
使う、五条管制という。陸の尤語という、コルセット、
アイスランド語である。
【ウィチタ】
 カンサスの航空にアイスランド語がある話という。
ウィチタライヒアという。ローッキード越えの町という。
空のことである。空の医学というウィチタ大学の話と
いう。

 何度も京都へ来ているカンサスの人という。私の
郷という若い人である。アイルランドにカンサスという
村があることという。
【パプア】
 カンサスから、パプアへ行く若い人である。太平洋の
パプアである。カンサスの掛かりという、アイルランドの
カンサスとも、今のダブリンである、この頃、イギリスを
ムーという。あーほという言葉がこのムーにある。

 ムーから出た言葉という、霧に沈んだムーという。

 『ムー・ライラーイ・パーユ』という、アイス
ランド語のムー掛かりという『いらっしゃい』で、
『ロハ』という、挨拶である。カンサスの御叔父と
いう、若い人である。
【パナマ】
 ウィズ・ダウンというパナマの山という、『アーホ』が
使われる地域である。ムーの子孫という。原始人の
若い人の言いである。
【カンサス】
 カンサス山がなかった頃である。その頃のカンザス
という。カンザスがあるという、『サ』の町という、未来
のことをいう、カンザスの人という。ニューヨーク島は
あった頃である。この先、山が出るという、このカン
ザスをフォートローブという。水のカンザスという。カン
ザス川の話という。アーホの頃の町という。古いアー
ホがフォートワースの別称である。ファートローブを
オーボーという、オーボーの頃の話という。

 アーホとオーボーの繋がりである。水で繋がって
いる話という。後、このフォートローブを、カンサスと
いう、冠水の町という。二度、水に浸かっている町
という。この二度の具現が両カンザスである。
二つのカンザスという町という。アーカンサスの
『美しき天然』というリトルロックの歌という、カンサ
スの町の歌という、ここのこの歌という、ハーモニカ
の歌のことという。

 英語で、シット・イット・ダウンという、歌詞がある
歌という。デパーチャーの歌詞とぞそ。

後程。
そうきょうよいお書き。M19。
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』
 

2021年05月22日

出発190 不二の山 :イカスミ柳

腹を横に書く。
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音楽
【曲名】 出発190 不二の山



    創曲、今 出発・正(やなぎ)  2021/05/21
    造詞、今 から ・正      2021/05/21
    監修、今 正出         2021/05/21
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】
【場所】
【作成ソフト】
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
【歌詞】正里
砂嘴が続く 佐渡島 遠く大大和堆 
ミラージュの絵の様 砂嘴から見た絵の山
話せ 薫る浮世の海波に 座れ やまゆる
座りましょうの雄嶽槍糸に 櫂結ぶ
たらい船 佐渡へ渡るひず

【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
【歌詞解説】
ひず : 日の照り、日の津の言い。
     太陽の座という、ひずという。
2021/05/21
そうきょうよいお書き。M25。
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』
 

2021年05月23日

出発184 筒花:イカスミ柳

腹を横に書く。
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音楽
【曲名】 出発184 筒花

    創曲、今 出発・正(やなぎ)  2021/05/20
    造詞、今 から ・正      2021/05/20
    監修、今 正出         2021/05/20
【歌詞】正里

【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
2021/05/20
 ロッキード移動で出来たブラック・ホール、
世界でのブラック・ホール。
【カンサスの筒花】
 黒い筒状の穴、という、後、black hole という。
ローキードが移動した時にできた、あおりという。
あおり筒という。これが、カンサスに見えた時とぞ。
ローキッドのポンという。オランダのポンの意である。

 ポントというオランダ語が、これを表す。この時、
この筒花がいくつかあった話という。世界各地で
見えた筒花という。

 近くのアーカンソーの地にもあったこととぞ。
カンサスの筒という言いをする、ブラック・ホールと
いう。このブラック・ホールが、アーカンソーの出の
言葉である
。この時にアーカンソーを、もべゆき、
という。アーカンソーの古い名のことで、日本の
冠話という、冠話の言いである。

 これを花菊という、菊の筒花という、通常の
言いという、英語で、スキャットという。スキャット
・ホール
という。すかしぶのはっぺ、という。これを、
はなめら、という。れよれよのーおれきり、という。
これが、冠語である。筒を『おれ』という、みの、
とぞ。
【ハワイ】
 筒花の世界最大という、ハワイにある筒花
という、ラージスト・ブラックスという、スキャット・
ラージーという。ここにいるという、スキャットがいる
ハワイのまずれる、という。
【チェコ】
マズカルという、チェコの
言いの言葉という。ブラック・ホールと、マズカルで
ある。チェコのあるブラックスという。ここを、巨軸
という。大きな筒花である。チェコのブレユレと
いう。

 ハワイが、これを、みむせむ、という。冠語である。
通常語の、あま、という。天のことである。

 これが、地殻を、よるかわ、という。よるかわの
うとめみ、という。これが、ローキードのことを、
そりかし、という。ロッキードが、ときえをいう。
ときそきのえよ、という。これが、時をとる、
ときえという。時栄と表す。ときよ、ともいう。

 こが、時の歌を、栄えという、これを、うつまり、
という。まりという、歌の意である。これが、
うつまり、という、ことの、しんとく、という。
しんとくの言いの、筒花のいこめる、という。
これが、出てくる、花山という。花の山の
いよふれ、という。これを見るという若い人である。

 ロッキード山脈が移動するひの、おずゆま、という。
これが山のいよすれ、という。山が移動するひの
言いである。地が鳴る話という。ズゴーという音である。
【綾沢】
 地球が若かったという、若い人のいいという。いく
つも地が移動している。綾沢の模様という。地球を
綾沢という。綾の場所がこれをいう。綾の場所に
ある、地球の言いという。歩危の場所にもある。

英語で、クリーンという、クリーン・アップという。
ドイツのおしふき、という。ドイツを、代表にとる、英語
のブラック・ホールの言いである。ジャーマン・フラワー
という、このジャーマン・フラワーという場所が、カンサス
である。ブラック・ホールを、ジャーマン・フラワーという。
カンサスの英語の言いである。
【テック】
 テックという、カンサスの言いである。テックが、カン
サス発の言葉である
。カンサスでできた言葉という。
ジャーマン・テックという、これが、後に、カンサス大
学という、大学の言いになる。

 カンサスで地鳴りがあった、ロッキードの移動と
いう。これが、テックの移動という。テックスという、
ブラック・ホールの名という。カンサスにあるブラック・
ホールである。昼間も見えた穴という、空の穴で
ある。
【アーカンソー】
 アーカンソーという、リトルという町の場になる所
で見えた、ブラック・ホールという。この名が、テックサス
という、テキサスの花という、アーカンソーがブラック・
ホールを、テキサス・フラワーという。

ブラック・ホールの名付という。この名付を、ネロという。
ネロの暴君という。ブラック・ホールの名付である。
テキサス論のあばれよ、という。夜の暴夜という、
あばれよ、という。
【テキサス】
 これが、テキサスの言いである。バイオレット・ホール
という、テキサスのブラック・ホールである。
 この、アーカンソー、カンサス、テキサス、それぞれの
ブラック・ホールである。この日のブラック・ホールである。
【ハワイ】
これが、ハワイのブラック・ホールを、ダージスという、
ダージー、ダージリンという、テキサスの名付という。
テキサスが名付けた、テキサスの発という。
これを、カンサスが、デパーチャー・ホ-ルという。
これが、カンサスの、だいとめやまの言いという。
だいとめやまが、カンサス山である。カンサス大学に
この講座がある、若い人が教えられたカンサスの
山のことに、ためふり、という、たおせ、をいう話の
講義という。カンサスの獣医学という、カンサスに獣
医学があることという。

 この日のカンサス、山があったひである。ドーム
が、あるなきひである。ドームがある話という。
カンサス山のある話という。てをゆる、てをする、
という。てみその言いの、はまれがわ、という。
川があった頃のカンサスである。

 これがいわれるカンサスの町という、『空に囀る』
という歌である、『美しき天然』という町の歌という、
アーカンソーの歌という、同じ歌である。このひに、
ブラックスという、ブラック・ホールの花という。二つある
ブラック・ホールという。これが、カンサス・テックスという、
二つの町のカンサスの出来という、ブラック・ホール
の具現である。

 二つの筒が見えたひの、テックスという、ブラックス
という。カンサス大学の古い言葉に、テックス・ナイト
という言いがある。これが、テック・ナイトの夜の学問
である。カンサス大学に夜学がある話という。主に
地を研究対象にする、地理の学問である。古い
頃である。
【夜学】
 このひ、京都の御所の夜学という、ブラック・ホール
があったひである。京都でブラック・ホールが見えていた
ことという。このブラック・ホールを、キョーターという。
きょうろく、ともいう。きょうすば、という、きょうて、という。
ブラック・ホールの名である。ゆめゆめの、お穴という、
ブラック・ホールのことである。この話が関西大学の
話である。関西大学にあるブラック・ホールの話と
いう。後、監督の話という、広島の水原村の話で
ある。ブラックスという、野球球団の名という。
ここの話である。水原監督という話である、話の
名が、水原監督である、題という。原子爆弾の
話がかかる、広島の水原村という。
【朝鮮】
 カンサス・ロッキーという。朝鮮にある、浅井戸
の、ブラック・ホールという、場が、朝鮮の子、という
村である。後、へいそめ、という、後、へっすべ、とい
う。朝鮮の五卿村という、朝鮮の五泉の古い言い
である。後、五泉庭という、後とぞう、五帝泉という。
五庭泉とも。丸い浅い筒状のブラック・ホールである。
【オーストラリア】
オーストラリア・アーネムランドでは、ベルという
アフリカ・ナミベでは、       モホクという
南アメリカは、なかった頃である。
【アフガン】
アジャンシーの国という、ここが、アジルバの
アジセという、今の、アフガンである、ここの
ブラック・ホールという、ビザベブ、という。
このビザベブの、『ビザ』。今のビザである、査証
という、アフガン発の言葉である。
ビザーシュという。

そうきょうよいお書き。M20。
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』

後、185に続く
 5/23

出発200 鯨 :イカスミ柳

腹を横に書く。
駄作曲の聴き方:曲名または、楽譜をクリック 
You would click music piece.
音楽
【曲名】 出発200 



    創曲、今 出発・正(やなぎ)  2021/05/22
    造詞、今 から ・正      2021/05/22
    監修、今 正出         2021/05/22
【拍子】4/4
【作成ソフト】
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
  バンドプロデューサー          カワイ社
【歌詞】正里
谷川 そうきょう 川流れ 鯨泳ぐ
のぞき込む 深い崖の上の道 
潮を吹けば 故郷 風が舞う ぬれては
面白く いつも 鯨はやってくる ほのかな
あたたかい気持ちになる 山奥の寒村

【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
【歌詞解説】
2021/05/22
そうきょうよいお書き。M25。
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』
 

2021年05月24日

出発200 筒花 :イカスミ柳

腹を横に書く。
駄作曲の聴き方:曲名または、楽譜をクリック 
You would click music piece.
音楽
【曲名】 出発200 筒花




    創曲、今 出発・正(やなぎ)  2021/05/24
    造詞、今 から ・正      2021/05/24
    監修、今 正出         2021/05/24
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】
【場所】
【作成ソフト】
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
【歌詞】正里
黒い大きな筒花がたっている日は
遠くだんだんと近づき ある日に
家全部包み込み 真っ暗闇の中
動けなく座って過ごす 明くる日になり
下が少し明るくなり 筒花上上がり

   黒い筒をめでて歌うと ゆれたよ
   家へ来る時の筒花 祝いに
   答えてる ハモニカの音聞き
   うれしさか 日に日にと近づいてくる
   ぐんと大きく また ぐんぐんと大きく
   成って家は黒の中

ここはアーカンサス カンサスの筒と同じ
はならまの筒槍 デパ山 頂に 雄々しくも
立ってる ロッキード山並みの動いた日から
二日後 でき はじめ遠く細く見えた
筒の花歩き


【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
【歌詞解説】
2021/05/24
 茶色の土の時の茶色の葉の雑草が生えていた。
アーカンソーのリトルという村とぞ。
筒花が、はじめ遠くの方に見えて 、日に日に
近づいて来る、家の近くに着た時には大きな
筒になっていた。後、家の前へ来て、後、
家の上へ来て、家を包んでしまう。
 明くる日に、下が明るくなり、上へ上がった。
そのときの景の歌。
 アーカンソーのリトルという村で、カンサスの
両の町のある時。カンサスの筒花と同じ名
前である。アーカンソーのかんさり、という。
かんさむのてて、という。筒を『て』という。
てての筒という、筒花のことという。
リトルロックという町の筒花である。

 この日、星を、みかお、という。星が降りてきたと
いう町の古い話という。みかお槍という、山という。
リトルロックの山である。後、この山の中に筒を
掘る。これを、ドリームという、ドリーム・ロックという。
山々の言いのはよはよ、という。これが、名古屋の
返事の言いの頃のことという。名古屋の返事が
ある町という。『はよ』という返事である。おはよ、
という、おはの今すい、という。今山のお書きという。
おはよのもの頃の村の、ブラックという。ブラックの
筒がやってきたという、ロッキード山脈が移動した
という頃の話という。移動の日の若い人である。

ヨット山のお書きという。歌という。カンサスと、
リトルロックを、いったりきたりの頃とぞ。若い人の
話である。

そうきょうよいお書き。M25。
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』
 5/24

出発185 筒花2 :イカスミ柳

腹を横に書く。
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音楽
【曲名】 出発184 筒花

    創曲、今 出発・正(やなぎ)  2021/05/20
    造詞、今 から ・正      2021/05/20
    監修、今 正出         2021/05/20
【歌詞】正里

【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
2021/05/20
【タイ】
タイの言いという、ブラック・ホールを、いとふき、という。
隣のビルマの目という、二つある、ブラックという。
これを、ブラッキーという、タイの言いである。

 人体では、ブラック・ホールという、目を表す意という。
これが、タイの国の出来である。ブラック・ホールを、
人体と天体のブラック・ホールに充当する言葉の
延伸という。ブラギーという、トロッキー、ハロッキーの
言葉の言いという、ブラッキーの木という。京都御所
のブラギ、ブラッキーである。
【ビルマ】
 ビルマのみょんふき、という。ミョンマの国という、今の
ミャンマーの国である。ブラック・ホールを、ミャンという。
これが、尻の穴の意である、隠れた暗い所という。
細いブラック・ホールという、スロットという名である。
ブラック・ホールを、スロット・ムーという。ムーを、
ミョウという、ミャアという。この『ムー』は、イギリスの
ことである。イキリスを、ミャックスという、ミャンクスと
いう、ビルマの古い言葉である。
【イギリス】
 イギリスのブラック・ホールをいう。これを、タイ回しで
いう。タイの菊という、クリサンスマムという、タイの王宮
という、ミャンマーの言いという。ブラック・マンデーでいう、
ブラック・ホールのことである。尻のことは、いわない、
という。尻をブラック・マンデーという。これが、ブラッ
クスの言いという。ミャンマーのブラック・ホールという、
あいなめ、という、日本語である、ミャンマー語で、
ハイメという、古いミャンマー語である。
【三本指】
 このミャンマー、今のミャンマーである。この時のエベ
レストという、ミャンマー語で、ロッキーという、別名で
ある。ロッキーというブラック・ホールの名である。三本
指という意味である。山を表す、現、手話である。

 天理手話という、三本指(人、中、薬指)を立てて
山を表す、手話という。『山』の字の手話である。

 ミャンマーを表す、ビルマである。この『ビルマ』、
ビルの間である。八町四方の館を表す手話で
ある。天理山という、天理のこの館の四方囲みの
頃である。後、この館を、所々、切って歯抜けの
状態にする。この時、瓦礫をそのまま置いたことと
いう。この時以前の手話である。寺を山という、
神社をいう、神社を野という、野山めぐりという。
この頃の神社の手話の表し、手平、地に平行に前に
出す、これが野の表しである。

 ビルマのエベレスト麓にこれがある。指三本立てて
行進という、ビルマ・ロンドンという行進である。エベ
レストを誇りにする民という。
【盲人の手話】
 指三本立てた山という、盲の人という。目蔵の屋
という、蔵建屋の意という。これを、やなぎよりみ、と
いう。盲人の手話という、自分の意思を表す、盲人
の手話である。段があるか、ないかを、この手話で
表す、大和の手話という。天理の教団においた手
話である。晴寺の手話という。
【飛行船の手に合図】
 飛行船の搭乗をいう、三本指立てて、出発の意
である。手の平を地と平行に前へ出す、着陸の手
話という。飛行船に用いる話という。

 一部、飛行機にも用いる。日航機が飛ぶ、五条
管制手話という。天理の手話という、同じ手話であ
る。この五条管制、指三本立てたアイスランドの
、よりみな管制という、この管制が、アイルランドの
航空の管制てある。
【航空管制】
 ダブリン発南極回りの五条管制着である。三本指
航路という。ミャンマー上空で管制が切り替わること
という。言葉が、古朝鮮語を使う、コシナ語(古支那語)という。
この朝鮮、ベラジソという、ベラッスルーのメックスという。
メックス・ローラムという。ミャンマー上空で、メックスと
いう、無線発信をする、極超短波を使う、トツーの
無線である。モールス符号という、これの以前のモー
ルス信号である、二逓発信という、この一つのロー
ランド符号という。
【ローランド符号】
 このローランド符号で、ミャンマー上空をいう、アイル
ランド航空という。五条管制の日という。三本指を
立てるアイルランド航空である。ダブリンの奥の山の
仕草である。五条山という山である。英語で、
ファイブ・マウンテンという、これを、スリー・トップという。
アイルランドの山である。ダブリンの奥である。

 これが、陸管制のエベレスト麓の言葉である。
三本指を立てて、日本語を使うことという。日本
語がミャンマーの陸管制になる。空管制が切り替
わる言葉である。この言葉が門という。三本指が
門を表す意という。門がボーダーの意である日という。
この門を、ボーダー・ゲートという。京都市七条大門が
代表である。

 言葉が七条大門語を使う、ミャンマー上空という。
ミャンマーの海という、ミャンマーの海は、ベンガル
湾の管制をいう。この言葉が、オーストラリアの現地
語である。カンガルー・ロットンという言葉である。
これが三本指の意味という。海の管制語である、
ミャンマーの海の管制という。これが大和堆の頂上で
使われる言葉である。

 当時の、カンサス工科大学の公用語である。
古ラテン語の新語という冠語である。冠語を使う
大学である。コートロールという言葉である。
これとラテン語を使う、ここの公用語である。
大和堆の言葉である。カンサスの、今のカンサス
である。

 若い人の役という、両語を切り替えて使う役と
いう。門衛であることという。カンサスの大学門の
門番の英語である。would を、wouldtu という。
門衛の言葉である。山々のお言いという。
コークロックの言葉という。今のカンサス大学である。
山があった頃という。

 ここのミャンマーである、ここがビルマを、ミョンと
いう、ミョンハマーという、カンサスをミャンマーという
替え言いである。みゃんろぜる言いという。
自分をマックという表す言葉という。
『マック、スタート』という、デパーチャーの言葉である。
カンサス大学の講義の初め言葉という。
『デパーチャー」という『マック、スタート』という。
『アイ、アム』『アイ、ゴー』という意である。山のことを
ミャンマーという。
【みゃん】
 ミャンマーは、日本語で、山の意である。みゃんと
いう。山周りである。みょんともいう。京都七条の言い
である。ビルマの掛かりである。朝鮮のヘジンという
場所の言いという。後、朝鮮の平壌という、ヘッギョン
ソワの言葉がある。ミャンマー麓である。

 日本の中の朝鮮の場をいう、韓国岳のことで
ある。この時に自分を日本という、ミャンマーの言い
という。朝鮮語が、ミャンマー海の管制語である。
【アメリカ金門橋】
 両手指三本を顔と平行に立てて、内側へ倒す
仕草という。開門閉門の合図である。ゲート・ハン
ドという。アメリカの金門橋の合図ともいう、ゴール
デン・ゲート・ブリッジの合図でもある。

----
【日本各地の外国語】
 四国徳島観世山の言いという、ラテン語の言い
という。ラテン語を使う所である。八戸のヘブライ語
という。広島の、はるすめらむ、という、ブーズー語
を使う場所である、水原村である。
京都衣笠は朝鮮語を使う所である。
日本各地の外国語という。ミャンマーの手話の
延伸である。

そうきょうよいお書き。M20。
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』
 

2021年05月25日

出発186 筒花 :イカスミ柳


1983年(昭和58)年8月9日 柳。
1977年(昭和52年)11月15日 柳。
腹を横に書く。
【曲名】 出発186 筒花
    創曲、今 出発・正(やなぎ)  2021/05/21
    造詞、今 から ・正      2021/05/21
    監修、今 正出         2021/05/21
【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
【歌詞解説】
2021/05/21
【ハマス】
ハマスという町がある、アメリカのオーラクという。
後、オーランという。オーラブの、ゆいはる、とい
う。これを、ハマス、という。このハマス、当時の
アメリカの名という。ハマス国という。この言いが、
空の管制のハマスである。

 ハマスをいうダラスという。ダラスが、陸の管制
である。陸管制という。主に道路の通行、運輸、
往来の言葉である。
【ゲチスバーグ】
 この頃のアメリカ、ゲチスという、ゲチスバーグ
の、モイコイという町の一区という。ゲチスバー
グのモイコイという一区画である。

 このゲチスの言いを、ペラという。ゲチスバー
グの言葉をペラという。この『ペラ』が、ドイツの
医を、ポンという。ゲチスバーグの医学、医者と
いう。ポンデスという、古くオランダの言葉という。
古いゲチスバーグが、オランダ医学を使ってい
た話という。このオランダが、当時の日本の蘭
学のオランダである。江戸幕府というオランダ
という。
【ゲチスバーグの医学、ポン】
 このオランダの言いを、ポンと言い、オランダ
医学を病気直しにする、これを、レボルーション
という、当時のアメリカのゲチスバーグの医者
の言葉という。

 医者を、バルーという、ポンの言葉という。
この『ポン』が、ポットのポンである、ポットの
ことをいう、オランダのポンである、ポットの
意味がある。水を入れる容器である。
【オランダ医学】
 医学をポット・ポンという。これで医学をとる、
オランダ蒸気医学という。これが、医学の昇気
という、化学の昇華のことという。これを、オラン
ダの医学がいう。

 病気を、ショールという、オランダの医学で
ある。オランダのいきゆき、という。これの具現が
オランダの行き来になる。オランダへ行くという、
コッペン町という、後、アムステルダムという。
この『ダム』が、医学で見る、だんたくという。
『だん』が、ダムである。ダムタクという。
【グラスゴーのオランダ医学】
 これが、ダムの造りになる。水の堰のダムである。
アムステルダムのダム医学という、古い蘭学の医学
という。この蘭学がイギリスのグラスゴーの、オラン
ダの医学のありゆい、という。所在のことをいう。
グラスゴーに蘭学があることという。

 ポンという言葉が出てくる、グラスゴーの町の水江
という。グラスゴーが、ベニをいう、ベニスの町の言葉
という。古いオランダ語がある。このオランダ、当時の
ふっぱくという国のことという。オランダをいう。ふっぱ
くの国という。これが日本語である。日本語が一部ある、
グラスゴーの町という。レンガという言葉がそれである。
オランダ語であり、日本語で、グラスゴーの源のアリス
英語である。

 これがゲチスバーグを、アンサミという、グラスゴー
の言いである。これが、ゲチスバーグにある、グラスゴーを
アンサミという、言いである。後、グリ語があるという、
これがグリ語であるという、アンサミの言葉をいう。
ゲスチバーグの言いが、アンサミをグリ語という。

 グリ語が、グリーン芝という、地に生えた緑の草をいう。
これがグリ語を、グリーン・コルセットという。古いラテ
ン語という。これが、ゲスチバーグのアンサミの言葉
のことである。

 ゲチスバーグをアンサミという、イギリス・グラスゴー
が、アンサミである。ゲチスバーグの独立記念の前
である。独立記念日以前である。
【独立宣言】
 これが、People for という、ピーパーの言葉という。
『水際の人』という意味である。これが言われるゲチス
バーグの町という。独立をいう人の言葉に、水際の立ち
という意味がなる。水際にいる人が『独立』という、
People for saying という言葉がなる。水際の人が
独立の人である。この独立を、ベルラルという日本の
和語冠話という、involve という当時のハマスの言葉で
ある。ゲチスバークが involve という、町の名である。
モイコイのハマスである、独立宣言の町という。
People for が、これである。ゲチスバーグの水のある
所の人の言いという。
【蘭学医術】
 これを、オランダが、ボリューションという、蘭学医術の
言いという。水際医学というオランダの医学である。当時
のアメリカのゲチスバーグという。Revolution という、
言いの医学用語である。 Volution が、健康の水という、
ゲチスバーグに、この水がある。オランダのアムステル
ダムと同質の水である。健康によい意という。

 これが古い蘭学にある。医者を、水際屋という言い
をする、京都の壬生の水戸という。京都壬生に水があっ
たことという。このこの水の考察という、水源は?、流れ
先は? という類の考察である。これが、内臓の考察に
なる。『小水は、どこから、どこへ』という、人体の考察に
なる。古く水際化学という、医学のことである。

そうきょうよいお書き。M21。
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』
 

2021年05月26日

出発210 ナイアガラ :イカスミ柳

出発210 ナイアガラ :イカスミ柳
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音楽
【曲名】 出発210 ナイアガラ




    創曲、今 出発・正(やなぎ)  2021/05/26
    造詞、今 から ・正      2021/05/26
    監修、今 正出         2021/05/26
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】
【場所】
【作成ソフト】
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
【歌詞】正里
ナイアガラ 大きな滝の中 家の中 家が立ち
隣には画家が住む いつも訪ねて教わる
絵筆とりとられる 滝の絵をお描き
青色 空の色 煉瓦も青 きれいな色が
描きだされ 教え きれいな心持て
絵のような心得 尊く

 さ 行こうよ 滝の橋から行く 滝の家
 ナイアガラ 大きな滝が落ちている 水山
 道は濡れてる 気をつけて歩き行く 入って
 小村返りの家あり 越えてまた行く 花植えた
 洋波の家前 奇異ってみると 音楽流れ
 尊く

奥行くと 滝上からの道 くらがりの 家の裏
洞穴の中 花屋敷 墨絵をお描き お爺さんの
お建て 高楼の山の屋 ナイアガラ桜 植わる
拍子木叩き 拝む時 喜び希望が沸いてくると
世界はみんな 尊く


【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
【ナイアガラ】
2021/05/26
 水が欲し上がったときに道は出る。
ナイアガラの滝の道である。どちらの端
からでもいける。岩山の中腹と底にある。
滝の上からもいける。

そうきょうよいお書き。M25。
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』
 5/26

出発187 :イカスミ柳


1983年(昭和58)年8月9日 柳。
1977年(昭和52年)11月15日 柳。
腹を横に書く。
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【曲名】 出発187 筒花
    創曲、今 出発・正(やなぎ)  2021/05/21
    造詞、今 から ・正      2021/05/21
    監修、今 正出         2021/05/21
【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
【歌詞解説】
2021/05/21
【革命医学】
Revolution がオランダ発の言葉という。ゲチスバー
グの町の具現という。ゲチスバーグが表す、オランダの
医学という。 Revolution medicine という。
【ゲチスバーグ】
 Revolution は、人の為である、という。これが、体を
元に戻す、病気であれば、それ以前の体に戻す施術
とそ。 Volution, Revolution を、Reincarnation という。
【独立記念祭】
 Reincarnation がワシントン発の言葉である。ワシン
トンからゲチスバーグへ行った人という、独立記念祭
へ参加する人という。Revolution と言い、Reincarnation
という町の人々という、ゲチスバーグの記念祭である。

Reincarnation burg という。ゲチスバーグの別名で
ある。Peoplwe For がこれである。 for に、水の意味
がある話という。ゲチスバーグの演説という。
For the People という、水際の町の人の健康という
宣言である。 Departure cushion という、安全発信
の座布団という。 cushion が水際の土手である。
ゲチスバークの一時期である。
【アーカンソー大学】
 この話がアーカンソーの大学の話という。
ゲチスバーグという講義名で、アーカンソーの大学の講
義である。大学名を、州立大学という。 Red Wolves
という、アーカンソーの、赤い山の狼という。赤い色の山
という。ここに住む狼のことという。赤い毛の狼である。
これが、スミスをいう狼である。
【ゲチスバーグ】
 アーカンソー大学が、医学を、赤い狼の知恵という、
日本の赤ひげという言葉の意という。赤ひげの診療
という。オランダ医学が掛かる、山の地の医学という。
ゲチスバーグにある、川の土手の場という、独立宣言
のところである。
【ワシントン】
 アーカンソー州立大学の講義が、ゲチスバーグに
出る、この流れを、ワシントンが見る。このワシントンが
、人である。 For the People という、 By the People
という、 健康宣言の独立の顔という、ジョージ・ワシン
トンという人である。首都のワシントンの地名である。
【カーネギー】
 ポールという場所がある、ワシントンの町の一区と
いう、ポール・ワシントンという。後、ポール・ホールと
いう。後、カーネギーという、カーネギーの『ネギー』
が、ネーションである意という。
Reincarnationの nationである。
【アーリントン】
 ワシントンの近くのカーネギーである。アーリントンの
近くである。墓地という Reincarnationの話である。
ここの墓地に健康をいう、 Push hand front of chest
という。ワシントンの行進の一礼儀である。健康の行進
という。アーカンソー大学の Departure Hand という。
掛け声が、1、2 を、 ded 、pat という。Dedpat 
Going という、 Ded 、pat、ded、 pat という、
1,2,1,2 という掛け声である。古くアーカンソーの行進の
陸の管制の言葉である。
【アーカンソー大学、Get Health】
 Dedpat(deppat)という、胸の言葉である。passiveと
いう延伸の言葉である、Dedpatが語源である。
Dedpat passという、アーカンソー州立大学の、
死地を乗り越えたという、Get health の医学である。
1,2,1,2,3,4
det, pat, ded, pat, get, onn, という行進である。
ルービル・レーゼーという、フランスの行進という。
ナポレオンの行進である。アルプスを越えることを、
over Rocky という。 オランダのロッキーという、
アルプスのことである。
det, pat, ded, pat, が、shoes word である、
hat ward ともいう。これを、Arkansas hat language,
Arkansas shoes language という。
【Departure Language】
 アーカンサス大学の公用語である、イングリッシュ
冠発(かんはつ)という。Departure Hat Language という。
挨拶を、デッパスという、日本語冠話と同じである。
Velle Dedpas (ベル・デッパス)という挨拶という、
大学内の挨拶語である。これが、コルセットである、
古いラテン語である。『よい出発』という意である。
講義初めの言葉とも。

 モルト論という、原子の飛び散ることをいう。これの
恰好という、両手を上へ広げる恰好という。健康の
恰好という。原子の飛び散る仕草である。
【アーカンソーのバレー】
 アーカンサスの踊りという、爪立ちのバレーという。
片足爪立ち、両手上広げ。踊る原子という、原子雲
の恰好という。原子雲をめでる恰好である。
バレリーナの中に原子力開発を好む人がいる、この
恰好の所以という。爪足立ちという動きが、脳の外半
に出る、これが原子を尊ぶ行為をいう、これの具現
である。バレリーナの人によく出ることという。
踊る原子という表現の具現という。人の本能とも
いうものである。
【アーカンソー大学、原子論】
 アーカンサスのモルト論という、Departure Atom
という、デッパス論という。Dedpat Logic という。
原子が、ブラック・ホールにあるという論という。
ベッテム槍という、目の世の理論という。これが、
アーカンサスの大学の一理論原子である。
アーカンサスのブラック・ホールの所存という。
【セレナーデ】
 ブラック・ホールより出た原子がある。この原子、
空を遊ぶ、という。空に遊ぶ原子という。踊る原子と
いう。Dancing Dedpas Atom という。バレリーナの
ダンスを片山蛇という。蛇が立つ姿という。でもすめ、
という。爪足立ちのことである。ベラセレという、セレ
ナーデの語源である。

 これの一つの具現がバレリーナの爪足立ちである。
スポーツでバレーをいうひに、バレリーナは、かに
かわぜ、という。古い日本の言いという。ばらすれの
言いという。メックレックという、御所の冠語の、洋風
冠語である。これが、アイスランド語の一語である、
コルセットである。爪足立ちをコルトという、バレーの
用語で、これを、マムという、マッセルのみゆらる、と
いう。めべんてのゆいはい、という。これが、コルトに
かかる、コルトが拳銃である。ハイと言うて、銃を
持つことという。
【タルサ】
 タルサの銃の打ちという。花よりの打ちという。タルサ
をコルト・デッドという、デッパス・タルサという。拳銃を
使うタルサの町の出という。タルサ発である。拳銃の
使用という、これが、織物で出る、拳銃織という。
アメリカの独立の頃である。拳銃織がある。これと、
花祭である、拳銃から花を出す仕組みである。
高い所へ花を供えることとも。これがキリスト教の
一派にある。

 拳銃と、原子と、バレーという。アーカンサスの
町で統合される。大学が担い手である。アーカンサス
大学の大学祭という。タルサの町のめでである。
タルサと同じブラック・ホールがある頃という。
ニューヨークのカーネギーがこれである。
今のニューヨーク市である。

 古くイギリスのロンドンという、そこの一区画の
ニューヨークである。山のあるロンドンという、
そこの麓の場所という、ニューヨークという場所と
いう。

 レッテムラークーという話である。

そうきょうよいお書き。M21。
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』
 

2021年05月27日

DE232 京都東山(且回収)


2021/?05/?27
京都木曽山(現、東山)
福井、長津、ここが、クロス語を使う所である。
紅衛語という、紅衛兵という言葉が、ここの出である。
長津紅兵という。これが、紅衛兵をいう、長津の世の
言葉である。この長津を、ロズ、という。
ローズ録という。船の通う紅衛川という。これが、
世の山の言いである。
 この山の域という。域が、ろせ、という。
域を、ろせ、という、ろせの行きとぞそ。南の、
泉涌寺南へ出る川という。この川の行きに、ふのる、
という言いの、船出のことである。ふのる行き、と
いう。これが、安徳帝という、安徳天皇のことで
ある。ここを、広瀬里(ひろせり)という、安徳の
祇園という。

 これが、今の七条の祇園という、京都七条の祇園
である。うちわ、アントンという呼びをする、七条
の大門町という。七条の東の門である。西の大門と
いう、この門の間を、祇園という、これが、七条
の祇園である。
 この七条の門、川の頃の門である。この川を
七条川という、七条条広(ななじょうすじひろ)と
いう。今の七条通りである。

 西の七条大門という、東の、おおかりるれ、と
いう、東の大門である。川の流れの門である。国
立博物館という、ここの裏、浦という、池の頃で
ある。この池が、方広寺の池である

頃という、方広寺大仏の話という。秀吉の、矢打
ちの大仏である。仏教を興す噺という。これが、
国家安康の鐘のことという。この話が仏教を興す
噺である。

 祇園精舎の鐘という、言いの平家物語の一意で
ある。秀吉が起きる日の興しという。秀吉が興し
た、いが闇、という。伊賀の宮のことという。
ここを、いがせま、という。伊賀山のことという。
御叔母御上の伊賀という。川流れのある場所という。
必ず行く、東の山の七条の上という、この上が
京都の古い、みやっぺ、という。

 ここの言いという。宮川の流れ世、とぞふ。
この『とぞふ』が、御叔母御上の御言葉である。
『さがれ、よみやら』という、御叔父御上のお
言葉という。これを、『下がれ天皇』という、
京都の古い、御所の言いである。あんとんの言い
という。『下がれ天皇』が、あちこちにある言葉
である。ここの御場が、御所を、めっとべ、という
言いをする。東の門の周りの言いである。
 めっとべのお行きより、という。これが、秀吉の
方広寺寄りの話である、伏見の宮から、御所へ行く
日のことという。方広寺という、剣神社という、こ
こへ行った人とぞそ。徹底する、東京の江戸の大村
城の話である。六千円札のお書きという。あべという
題の話である。

朝臣(あそん)山お絵という。朝臣の山という、清川の
勝海舟という、船の海舟という名の船である。紅衛川
に浮かべた船である。崖の中を行く船という。
私の船という、わや山の船とぞそ。

 『わや』が、東京皇居のことである。ななめわえ、
という。大村城にいた頃の、自分をいる所をいう
言葉である、わや、という。斜めわや、の話という。
幕末の東京は、このわやの話である。ここを、
後、皇居という。すめらべ、という、皇辺、この
皇を紅という、これを、紅辺という。大村城を紅辺
城という。ここの石垣をいつも見ていた人である。

 京都七条川ある時である。ここを、祇園かっとれ、
という。かっぽれを、かっとれという、これが、七条
の祇園の言葉である。
『かっとれ、かっとれ』という勝海舟を、回収という、
且回収の七条という。江戸城を回収するという、七条
大門の話である。京の古い話という。

 泉涌寺の話という、若い人の墓がある名を、安得と
いう墓という。御所裏のうらっぺ、という。
北野大陣浜ゆれ、という。

 江戸皇居という、そこの御所の話である。江戸城かり、
という、れれせのゆいかり、という。あどのゆまはれ、
という。はれやらの歌という。これを、おくら、という、
屋良。山上憶良という、山は江戸城をいう、山の上の
お蔵である。大正の世のお書きという。九段山やら、
東京九段坂管制という。陸軍師範穂浦世士官候補という、
九段の地名という。
 古い九段に、この言葉がある、穂浦世士官という。
言葉が今の、ニューロッソという、ロッシーニの言いと
いう。遠いオホーツクの、和の冠語である。

 京都長岡向陽冠墓という、墓の冠語という。今のウラジ
オストク近辺の言葉である。カムチャッカへ通じる鉄路と
いう、ウラジオストクから、サハリン、カムチャッカである、

 カムチャッカからアラスカへ渡る鉄路という。アメリカ、
ロッキード移動の以前である。

 アッツ島キスカという、霧に隠れた海軍という、穂浦の
若い人のことである。穂浦灘ゆりという、穂浦勢の船団と
いう。モスクワの鉄路の延伸である。ヨーロッパに古い話が
ある、モスクワの赤の広場という。ここにいた若い人である。
ロマノフ王朝という。明治の頃という、大正の出兵という、
若い人のことである。

 おおやなぎ・ゆらふれ、という。大正を、おおやなぎ、と
いう。古い京の七条の大門の言いともぞ。京都桃谷夢原(ゆめ
はる)、東大路五条七条辺りを桃谷という、ここの川とという、
大きな逆巻く川流れとぞ。水が乾いた時を、夢原(ゆめはる、
ゆめはら)という。鴨川ができる以前である。鴨山相風という、
秒速という頃の風である。60から70キロの風速である。
 
 安徳の船浮かべという。安徳山という、南に向かって、
左手とぞ。東山という。東山長野由良ふり、という。
ゆらゆら揺られて行く、剣山南、泉涌山という、今も
崖道である。そこに流れる川である。ハイキング・ロード
の話という。

 あべゆり、という、風のゆり、である。風速70メー
ターという、キロキロのお書きという。きろせ川という、
広瀬川という、これを、きひろせ、という、七条の大門の
祇園の言いである。

 古い日の和上川という、和上船浮かべのへいか、という、
兵下。紅衛川の兵下という、紅衛兵和上という、船に
乗る兵士を、へいか、という。この『へいか』を、
平価という。金の流れの川の流れという、ここを、
へいか、という、へいけという、『け』が気である。
気流の谷という、ひら吹きの桃谷という。

 和上船を、桃乃宮船という、東京平価の大村槍と
いう。そこの石垣、大村槍垣という。ここを、
穂浦という、江戸皇居の中の穂浦地である。
ほうれ、という、ホーレ見よの石垣という。これを、
回収という、且回収の話という。ホーレ大納言という、
ほれ、大納言という。大納言は、大きな機械のこと
である。

【方角】
 方角のことをメという。七条大門という、大門の
言いである。藤将の言いともいう。東を戸という。
北をハモという、南をホという、西をルという。
トハモホルという、メの話という。この『ホル』を
『ホール』という、ホルとちいう東西の方向である。
これを、メホル、という。メホともいう。これが、
サイラメ、という言葉の使いという。『メ』が、
方向のメである。これを、メノカリ、という。
目の角という意味である。方向を見る目という。

 この『かり』が、上の文の『江戸城かり』の『かり』
である。江戸城の場所を『かり』という、かりかる、と
いう、『かりせま』という、これを、江戸大村論ぜま、
という。大村城の言いという。これが、かりの郷という、
狩郷という、カリの郷の言いという。狩郷語という。

 これを、カリフォーという、フォーが水を表す一意とぞ。
狩郷の水郷という、これを、みずかり、という。
水の郷という一意とぞ。水が浸かったという、水浸かりの
郷という。レモンという、門のことという。京都七条の
大門を、れもん、という、水に浸かっていた門という、後
という、めめてるるいるい、という。この言いが、藤将の
言いである。るいるるう、という。るいるい、という、
門の言いという。これが、当時の言葉である。

 七条南の東寺の東という、ここを、当時という、当時の
場という、場所のことである。東寺の東側という、るい寺
という寺の場とぞそ。これを、当時という、当寺という。
ここの言いの、るるれる、という。自分を『とうさん』と
いう。『とうさん、お行き』という、『私は行きます』と
いう意とぞ。古い京都の、島津世浜らむ(しまつよはまらむ)
という、島津が、島原である。島原の遊郭辺りである。
この遊郭、天昇という。島原遊郭を天昇という。
天昇覧はむ、という。はむせるの言いという。

 この『はむせる』という、古い島世原(しまよはら)という、
しっぱならっくす、ということの言いの、はよせら、という。
せら言葉という、島原遊郭の言葉である。

 ほよふ、という、ほはる、という、ほみする、という、
ややよのおわふる、という、言葉である。今の内閣の言い
という。内閣かの造りの言いという。これを、せんぜる、と
いう、内閣の言葉の使いという。内角の古い頃の内閣原語と
いう。後、『そわろして』という。『あいとる』という。
この『あいとる』、アイドルのことである、英語という。
内閣をアイドルという、ないせるお言いという。

 『そわろして、あんぺ』という、内閣から発する令という。
政令の元の言いという、『あんぺ』が政令の意味である。
これを、内閣官房という。時を、めいさる、という。これの
、めいさるの延伸という、明治のことである。

 『あんぺらっぺ、うっくす』という、これが、京都の烏是
という、今の京都御所の烏丸の御所である、そこの発令とい
う。同時に新発田という、新潟の新発田の発令の言葉という。
同じ言葉を使う、御所の、きょいほい、という。他の町でも、
同様の言葉を使う、御所ふっぱら、という内閣の発令言語で
ある。

 明治23年という、『めいから・れいせい』という、『あんぺ』
のことである。『御所らっせ、るうして』という。御所の発と
いう意の、『めいから』という、これを、狩郷という。御所を
狩郷という。狩郷のごわはれ、という。これが、京都の市役所の
市長の冠語という、市長冠語である。他都市の市長も、これに
準ずる言葉を使う、当時のことという。

 この市長冠語という、令を発する時の服という、この服を、
麁服(あらたえ)という。麁服冠語という、市長冠語のことで
ある。この時、御所を、狩世(かりよ、かりぜ)という。狩世の
発令という。後、市庁舎発表という、今の市令という、市の
令の和、という。この『和』を、和告という。これが、市長の
ことの言いという。

『和をとめる』という、『輪をとめる』という、発することを
言う。『輪をとめて、はまそろ・くきゆ』という、五七調の
市長の言いという。冠語の使いという。これが、市長の言い
である。
http://wakaihito.sblo.jp/article/53365911.html

 これが出という、出の言いの言葉の使いという。
浜せら楼の言いという。『輪をとめて 畑より開く』と
いう若い人の発である。『輪をとめて』という市長の
言葉である。これが市長の由緒である。東京市という、
現、東京都の発の言葉である。全国市、この言葉で始めた
若い人という。英語で、ロントン、ロング・トーンという。
ロントン様の言いという。

 この『ロング・トーン』が、今の英語である。長い音と
いう。市長の言葉という。姶良(あいら)言いという、英語の
ことという。ロング・トーン・キャピタルという、ロンドンの
ことである。
 
 自分を、トックスという、市長の英語の冠話である。
トックスレーという、市長の冠語という、英語である。
『Tocs wouldu Far』という、市長発令という。これが、
後、トックスという、とくれくの言いという。ロンドン
市長冠話という。ストーン・サークル曳きの頃のロンドン
である。『私は話す』という意味である。ティトーという、
東の養老府という、ティトーという、これが、ヨーロッパ
のチェコスロバキアという、ここのブカレストという、
そこの市の思想の言いという。

 ブカレストが、フカリクス、という。『ふかる』という、
『浮かぶ』の意である、古い養老語という、ヨーロッパの
フランクという頃の言いという。フランク王国。
 そこの行きという、和船様の和上の行きという。木造の
大きな和上船とぞ。チェコといっていた頃のルーマニアで
ある。ここの市長の言いという。『あるっせら、ルイシー、
めのゆ』という言葉という、和語の冠語とぞ。靴語の使いの
ムチェコという、チェッスという、チェッス語という。
これが、後、チェコの共産党の宣言になる言葉とぞ。
チェコ共産党の宣言の発である。チェラッスーという。
チェコットという。これを、共浜という、言葉とぞ。

 これが、チェコの元で、出である。いずやまのいそめ、
という。『め』が、初めの意という、目だし、という、
初めの意である。目出しの国という、フランクの勃興と
いう頃のチェコという。チェロ春の気候の頃である。
チェコスロという、ブカレカトの言いという。チェコソキ
という。

 この『wouldu Far』が、チェコの共産党の近辺にある言
葉という。言葉のことを、ワリという、当時のチェコである。
ワリのかごう(狩郷)という、チェコの古い名という、カゴーと
いう名という、チェコのことである。この『カゴー』が、
cargo である。カーゴの都という、荷を運ぶ車を、カーシャ
という、フランクの言葉とぞ。カーシャが、共産という、
荷物のことをいう。たくさんの荷物を共産という、これが、
チェコの共産の言いである。この井伊をする人を、集まりを
共産党という、これが共産党の元である。たくさんの荷物を
指して言う話である。ベラスという話である。

 これが、和上船の航路である、ベラスという。このベラスを
ベルギーの墓という。ベルギーの大きな時という。『wouldtu』
という墓の言葉という、アメリカ・カンサスの門衛の言葉という。
カンサス工科大学の門の言葉である。この門を、ブラッセマと
いう日本冠話である。ブラックスともいう。白い石の門である。
白をブックスという、ブックの古い言いという。ブックに白の
意味があることという。これを、ブラックという、白の中に混
じる黒である、門の石のことという。ブラックス・ケートという、
『I cargo』という、本を持って通るという意の大学生の言葉と
いう、門にさしかかれば、『Mac cargo』という言葉を言う、
マック・カーゴの行きという。マック・パスという。これが、
マックスの言いのカンサスの工科大学という。Departure Macs
という、デパソンという、この門の町という。カンサスをデパ
ソンという、古い言いである。

 これが wouldu という、 wouldtu の言いにとる Mac と
いう言葉である。まっく冠語という、macs shues という、shues
word である。 Mac start という言いの類である。『私は
始める』という意味という。カンサス工科大学の冠語である、
靴語ともいう。

 これが、チェコ共産党の宣言をとる大学のことという。
荷物の言葉の取りという、取り入れである。cargo という
言葉をいう。チェコより取り入れた言葉とぞ。would の
掛かりの取り入れである。テークロックという、カンサスの
町のことをいう。Taking Kansas という、カンサスの町の
ことである。Macs Rollという、呼びをカンサスの町という。
Roll が役である意という、would のことをいう。
would に テイクの意味がある話という。現在は、
この意味で、wouldを使わない話という、丁寧の意で
使う話という。I would take という丁寧な言い方
である。

 チェコ共産党経由のカンサスの原動という、カンサスの
共産というむ、城を、comu という。castle comu という、
古いカンサスの言葉とぞ。Castle comu が岩の屋である。
カンサス工科大学のことである。

 古い京都島原の言葉がある、島原を ストーンレックという、
カンサスの言葉という。島原が五条管制の頃の主という。五条
管制を監察していた話という。この『監察』を、六種監察と
いう。六種を、お金という。六千円札のことをいう。六種紙幣
という。島原札ともいう。六千円札の話である。

 札に描かれたカンサス工科大学である。表が、すう・はう、
という、すうほう、という、すうほう紙幣という。すうほう
の島原という。これを、幇間という。大きな政治を幇間と
いう。この『政治』、青磁という、青い政治の皿という、
地の皿の言いという。地を皿という。この言いの皿の紙幣
という。地の紙幣である。六千円札という。島原の城の
札である。大村城の石垣が、その一部である。皿石垣と
いう、江戸城の古江戸城という。大村城という、その一部である。

 カンサス野町のできる頃という、ロッキードの移動の頃と
ぞそ。チェコの出来という、同じ時期である。ヨーロッパの
里人国という。チェコの国である。目が茶色の目という、
黒い目が少し茶色になったことという、ロッキードの移動の
頃の出来事である、若い人の目である。ブラウン・アイという
話という、茶色の目である。

 目のホウが、茶色くなったことという。目の瞳の黒い部分の
外側が、黒から、少し茶色になったことという。ロッキード
移動の結果という、若い人である。山々のお動きという話という。
  
 5/27

出発220 小品 :イカスミ柳

腹を横に書く。
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音楽
【曲名】 出発220 小品




    創曲、今 出発・正(やなぎ)  2021/05/27
    造詞、今 から ・正      2021/05/27
    監修、今 正出         2021/05/27
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】
【場所】
【作成ソフト】
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
【歌詞】正里


【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
【歌詞解説】
2021/05/27
 いろはにほへと、つねならむう
そうきょうよいお書き。M25。
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』
 5/27

出発188 筒花 :イカスミ柳


1983年(昭和58)年8月9日 柳。
1977年(昭和52年)11月15日 柳。
【曲名】 出発188 筒花
    創曲、今 出発・正(やなぎ)  2021/05/21
    造詞、今 から ・正      2021/05/21
    監修、今 正出         2021/05/21
【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
【歌詞解説】
2021/05/21
【コルセットで、原子をアントンという】
 ロシアにもあるカンサスという町である。原子力が
ある話という。世界至る所に原子力はある。人の
『あん』をいう言葉がこれである。アントンという、
原子力のコルセットである。コルセットで、アントンと
いう。コーカソイドという、ブラック・ホールの町という。
コーカソイドが、ブラック・ホールの名前である。

 今のコーカサスという町である。カンサスという、
コルト・ランゲージである。ピストルを使うひの言葉と
いう。はいらぜ、という日本冠語である。

【ブラックホール行】
Deppassという、コルテスの頃のロンドンという。
そこへ行くひぃに、カンサスから入った、そこを通り
コルテスの、おみ山という場所へ行ったことという。
アンカ遣りという、真っ黒の槍があったことという。
ここを、未来道という。ロンドン迄続いていたブラ
ック・ホールである。ジェット機で行った話という。
『未来を見た』というのが、この一つである。

【立っていたブラック・ホール】
 初め遠くにあった、花筒という。立っていたこと
という。だんだん近づいてきて、目の前に来た。
二日目に、家が中に入った、真っ暗の家の
中である。四日目に、少し浮き上がり、下が明
るくなる。この時に入ったのである。フラックホール
のことである。『花筒』という、大お婆さんのお言
葉である。

 京都にも来た花筒という、若い人の住む家という。
アーカンソーと同じである筒という。


【オマケ1】
 次に来た時に、『つさり』という筒花である。月まで
続いていた筒花である。行ったところが、コロニアル
という、月の場所である。普通のジェット機で行った
話という。約十時間の航行である。空気があった。
2万マイルの旅という。2万マイル十時間である。
コロニアルがそこである。
【六角測量】
 月の地図の製作という、これが、カンサスの大学の
講義にある。六角形の測量である。六角測量という。
カンサス工科大学という大学の、窓島講義という。
ウインドウズ・アイランドという、講義である。
講義の題である。

 カンサスの地の言葉という。ウイドウズというカンサス
の窓の町という。私の好きなコンピューター・ウイン
ドウズである。これが、カンサスのソフトである。OS
である。アメリかのOSである。

【オマケ2】
 現代の科学では、月の見られない。これが、
見られるという日がある。現在の地上での話という。
どのひであるか? マッターホルンの頂上という。
マッターホルンの名の由来という。

 松の木の屋という。これが、俟つ、である。その時に
会うという、会う山の意の名の山という。フランスの
ナポレオンという。地皇陛上の名という。ナッポーの
言いの名前という。これが、月の、俟ちの会い、という。
月の裏側の話である。

 その写真という、これがある日という。写真がある
ことの言いという。フランスのナポの言いという。
Je vais vous という言葉の意という。この言いが、
vous の月という。貴方の月という、これの言いの
会う、という言葉の解という。

 フランスの顔という。ナポレオンのかものよ、という。
これがマッターホルンの頂上である。
 も一つエベレストの頂のK2という頂という、後、中華
峰という、中国の名の峰という、マッターという。ここの
麓の村の一区という。これが、アウン・サーチーと
いう家である。

 アウンサン山という山の家とぞそ。ここの二階の
窓の一つという、ここから見える月の裏側という。
望遠鏡で見えることという。

 も一つロンドンのスコットという場所という。なめ山と
いう名の中程という。ここで見える月の裏側という。

 これが、ロッキードの5km動きの、結果に出た現象
という。現在も見えることという。低いところが、この
ロンドンである。

 日本の北海道の網走番外地という、そこで見える。
ここと、京友という場所である。これが、京都の京見
峠という、ここの一区から見える。季節が葉の潤う頃
という。葉月という、旧暦の頃という。これが、穂浦の
頃という。今の8月15日前後である。望遠鏡を持って
京見峠へ行けば見られることという。

【】
 はて、この話、何の話であるか?。 月の裏側の話
である。アメリカ・ロッキードの山の動きの産物である。
光が屈折する話である。

 この場所が、まだあることという。アフリカのナミベ
とぞ。ナミベから、東の奥地という。ここに、メソとい
う場所という。この場所が見える場所である。
 昔、地が滑った所という。メノングエという。ここが
その場所になる。月から見えたという、地滑りの
場所とぞ。メノングエがそれである。

 ここに、小さい動物がいる。像という、高さ50Cm
から1m位である。サイも小さいサイとぞ。
 鼻の長くない像という、普通の長さの鼻の像で
ある。これがいる場所である。代表である、世界
各地にある象の話とぞ。世界各地に小さい象が
いることという。その小さい動物が住む、所という。
月の裏側が見える所という。光の屈折の話である。

 これが、レスターの町の一角という、そこでも見える
ことという。世界各地に見える所がある。
【小人】
 小人という、小さい人の住む所という。世界に
あることという。50cmから70cm位の人である。
その人達の知恵である。たくさんいる人である。

 この人達の健康を願う姿という、月を拝む話という。
中国のことという、武漢の古い武漢である。ウィグルの
武漢という、この人がいる。また、世界各地にいる人
達とぞ。この人達の集まる村という、日本にもあるこ
とという。小さな宮がそうである。これが、小宮という。
じょうきゅうの読みという。じょうきゅう人という。
【朝鮮里人】
 朝鮮の人という、この朝鮮を、里人国という。
36線上下の国という。ロッキードの動きのあおりを
受けたことという。体にそれが残る人類という。
この人達を思う話である。ガリバー旅行記の日の
話という。たくさんいる小さい人である。
【朝鮮平壌】
 朝鮮ヘッギョンソワという、ここも見える場所で
ある。ヘギョン・ロークスというのがそれである。
これを、ペッキン論半という。まよとせの言いの、
ロワソワという。松本槍浜という、この『槍』と
いう、月の槍である、裏側の槍という。山のこと
である。めよんそんふるのいめ、という。この
『いめ』が月のことである。朝鮮の李朝という、
そこの宮の言葉である。ル・ハンファンフーという、
李朝冠話である。朝鮮の山高帽子という、それを
着る所である。帽子であり、月の山の姿である。
その頃の地球という、ロッキードの山のことを、
リゾンという、日本のイオントーブの言葉である。
大阪に青い雪が降る頃のイオンとぞそ。この頃、
月の浦という、裏という。どちらも、うらである。
曾根崎の城という、月裏の城という、月浦の城と
いう。今の曾根崎の場とぞそ。
【かぐや姫】
 月が顔を見せたという、『潮も叶いぬ、今は、
漕ぎいでな』という、万葉の額田王という。潮が
叶う月の裏顔出し、という。月の潮をいう。

この日の月、大きな月である。潮があつた話
という。これが肉眼で見えたという。穂浦の大
美島の話である。この穂浦、和歌山の砲台島へ
渡る対岸の大地という、波止場である。
月に潮があったという、かぐや姫という。月から
帰ってきた人である。大和朝廷のマイソリという、
人の言葉である。暗黒通路という、ブラック・ホー
ルの月と地球の掛かりである。竹山の絵の
ことである。竹のような形の花筒である。竹から
生まれたかぐや姫という。和国の物語である。

 ((【朝鮮日本の地下道】
  若い人の住む家という。裏庭に像がある、
アーサー王の像という、イギリスの人の像で
ある。中国人の像という、その庭から、地下道が
出ている、東山越え、大津という、そこから北へ、
行く地下道という、朝鮮金浦という、そこへ行く
地下道へ行く、五帝泉まで行っている話である。
地下道の話という。この地下道管制の言葉という。
英語である。対馬であるひぃの二橋である、対馬の
二卿という場所である。ここに碑がある、その碑の
言葉という、Thisi is a way to Pyongyang という。
もう一つの碑に This is a way for Hegion soi と
いう、古フランスのコルセットである。これが、
対馬までの地下道の管制語である。この碑から、
朝鮮よりを、ウリカリ語という。古シナ語という。
これが、朝鮮の地下の管制語である。
今の北京官話(中国)である。これが通じる地下道である。
 この時のロッキード、今のロッキードである。
ずれた後のロッキードである。))

 祭る人という。ハワイのヌアク・パリのそこの地の
祭という。この人達の健康を祝す祭である。そこの
祭の意図である。

 中国の纏足という人のいることという。初めから
小さな骨格の造りである。ロッキードの山の動きと
いう。この人達が、普通の大きさの体であったこと
という。地の大きさが、人体に影響したことという。

 この人達は月の裏側を知る人達という、普通の
人も知っていることという。たくさんいる話という。
 バレーの爪立ちという、ロッキードの移動の頃に
出来た芸という。人の地の表しである。

 日本にもいた人達という、小さい家に住み、一緒に
くらした若い人である。和歌山医王という、医王闇の
ことの言いの話という。小さい人達の字がある。
あざという読みとぞ。これが、それを知らす読みで
ある。『字』が、その人達の字である。

 見えなくなった人達という。里人という、朝鮮の
里人国という、あと、アフリカという、たくさんある村
という、中国、アメリカ、ヨーロッパという。
ピグミー。

【】はて、月に行けばわかる、という。月世界旅行と
いう。ブラック・ホールの中を行く、若い人である。
闇槍越えて行く旅という。ロッキード移動という話である。

そうきょうよいお書き。M21。
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』
 

2021年05月28日

出発189 筒花:イカスミ柳


1983年(昭和58)年8月9日 柳。
1977年(昭和52年)11月15日 柳。
腹を横に書く。
【曲名】 出発189 筒花
    創曲、今 出発・正(やなぎ)  2021/05/21
    造詞、今 から ・正      2021/05/21
    監修、今 正出         2021/05/21
【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
【原爆投下】
2021/05/21
 ブラック・ホールへ原子爆弾を落とすという。
季節が定をいう。季節が定めを、とけめ、という。
これを、けめ、という。けめ落としという、ブラック・
ホールへ落とすことである。

 このブラック・ホールのありという。あるブラック・ホール
という。ブラックゆっぺの言いという。ブラックをとる、
ゆま浜の言いという。ときれ、という。

 ブラック・ホールを、ときるき、という。アメリカの
カンサス大学の、コートロールという、冠語のコルセット
である。古ラテン語のコルセットで、このコルセットの
冠語である、コルセット冠語のことという。
【ロンドン】
 コルテスという町のロンドンが、コルセットを話す
ことという。このコルセットが、今のコックスの元と
いう。この元のコルセットの、冠語を、コートロー
ルという。コートロールの言葉が、言いラテンという。
ラテン語が使われていた、コックスの頃のロンドンと
いう。このラテン語のコックスという。ラテン語の英
言いという、これを、古イングランデスという。
このランデスが、市川の言いという。ランデス・
コットンという。これが、古ラテンの残しという。
コックスをとるイギリスという。このイギリスに、イング
ランデスという言いをする、レスターの町という。
【レスター】
 このレスターの言いの、コクニーという。コクニーが
はじめを言う。はじめを、スノーという。この『スノー』
当時のレスターのコクニーである、意がはじめである。
アイ I を、ヨッツ yottu、ヨット yotto という。
Yotto snow という。私がいる、行く、という意味で
ある。これが、レスターの古いコクニーである。

 この時に、グラスゴーの水浸かりをいう。これが、
ニューの名前があるグラスゴーという。ニュートという、
水のことである。各地のニューに、これがある。
このニューが、コートロールである。ニューロルという
、レスターの古名という。この時にコクニーをいう、
ニューはコクニーであるという、レスターの話という。

 レスターの町にいる若い人という。このレスターの
古いコクニーという、Yotto snow という、古い
コクニーである。 これが、コクニーのイングランデス
をいう。イングランドの地の興りという。

 インドランドが舞崎という、これが、地名が人の
動きをとる、言いに影響をする。これが、『舞』とい
う字が、イングランデスという地にあることに、掛かり
をする、レスターの言葉という。『舞』が、イングラン
デスとレスターにある字という。これで、『舞』を、『ブ
』という読みをいう。ブの両町という、イングランドの
町の意という。
【レスター空手、医術】
 レスター空手という空手がある。医者の身、医者
の見の空手という。医者がする空手である。これに
よって体をみていく空手という。これを診断に応用
する、レスター医学という。レスターに、この医術が
ある。

 柔道整体という類いである。スポーツに医術
がある話という。ラグビーには、ラクビーの医術がある。
剣道には、剣道の医術がある。それぞれのスポー
ツに医術がある。これが、スポーツを『見ること』と
いう、スポーツの原義である。診るという、みるが掛
かることという、言葉の延伸という。

 レスター医術の延伸が、各スポーツの医術である。
スポーツから出た医術を尊ぶことの言いという、コク
ニーの一義である。
【カンサス工科大学、獣医学】
 スポーツから出た医術をとる医学を、獣医学と
いう。カンサス工科大学の獣医学がこれである。
カンサスのスポーツが、バレーをスポーツに取り入
れる、これが、イングランデスという、レスターという、
そこの『舞』の字で掛かりをする。レスター医学が
一部ある、カンサス工科大学の医学という。

 レスターのスポーツが、バレーを入れることという、
イングランデスとも。一つの区分けである。イギリスの
この両地が、バレーを、個人種目という。スポーツに
入れられているバレーである。
【フエンシング】
 これで、イギリスをいう、イギリスのロンドンのバレー
の、スポーツに入れられないバレーという。このバレー
の『舞』の字という。『舞』をスポーツに置くことの
行為の現れという。このあらわれが、フェンシングの
舞という、フェンシングの動きの舞をする、これが、
フェンシングをファベという、ピータスという。古い
コクニーである。

 このピータスが、スポーツの取り入れをする、これが
それぞれのスポーツから取り入れることの医術と
いう。取り入れを医術という。動きをとる話という。

 フェンシングの取り入れという。フェンシングが取り
入れる、あらゆるスポーツの動きという。『舞』から
取り入れていくことという。

 バレーボールの動きを取り入れる、フェンシングの
ことを、レッペスという。フェンシングの一部である。
レッペスが、こい、をいう。鯉の浮き上がりという。
この動きがレッペスにある。

 フエンシングの剣を、ファッテスという。このファッテス
が、剣を上に向けて一度小さく上へ上げる、後、
大きく剣先を自分に向けて、このまま上へ上げる、
後、切る動作をする。これが、バレーボールの
ボールをとる選手の動きという。ボールをとるひに、
ファーブという言いをする。ファッテスのファーである。
この時に飛び上がる。これが、バレーボールの動き
の医術にとる。このとりが、フェンシングの医術にある
一つという。フェンシングの選手が足を前にする時の
動きという、バレーボールの医術か出る。ファーブ
医術という。現代医学の心臓の検診の場になる。
心臓検診に、一部、バレーボールと、フェンシ
ングが掛かる。この見が、レスター空手の見という、
同じである。
【スポーツと医術、武道、舞踊】
 これが言葉になる、スポーツの医学をよる、黒い
ヨーロッパという、黒雪の頃のヨーロッパという。
ノストラダムスという医者の登場という。これが、
後の、パブロフ医術の出の元になる。スポーツ、
また、武道から、踊りから、医を見る話しという。

 日本舞踊の目の動きという、武道の目がある、
主に合気道になる。

 バレーの目の動きが、ベンセスという、コートロ
ールの言いの、針の医術に出ることという。フェン
シングの剣の延伸である。脳の働きの、連絡という、
働きという。言葉が脳の中心ででき、大脳外側へ
行き、また、中心へ戻り、また、周りの脳へいき、
これを繰り返し、口に出る。この見方をする、
イキリスのレスター医学という、また、カンサス工科
大学の見方という、カンサス獣医学である。

 コクニーの一部を話すカンサスという。これが、
ベセルという冠話の言葉の説明である。ファクセラと
いう、言葉の解釈という。脳を論ずる冠語という。
これが、冠語の一部の働きという。言葉を徹底
的に論ずる、冠語の一分野である。

そうきょうよいお書き。M25。
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』
 

2021年05月29日

出発230 九州行 :イカスミ柳

腹を横に書く。
駄作曲の聴き方:曲名または、楽譜をクリック 
You would click music piece.
音楽
【曲名】 出発230 九州行





    創曲、今 出発・正(やなぎ)  2021/05/29
    造詞、今 から ・正      2021/05/29
    監修、今 正出         2021/05/29
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】
【場所】
【作成ソフト】
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
【歌詞】正里
原子が飛び散る 原子を作る人の腕が鳴る
すいそ自動車が通いに走る町の朝の時
さあ 始めよ よい仕事 いつも見てる機械
調子よくよい音で動き出し 屋を照らす
太陽も笑む 向かって手を挙げて
がん張ります

 飛行機飛ぶ頃 郵便配達の人が来る
ハイヨと もらうと 工場の事務所へ行き手渡して
また仕事の始まりだ 機械を見て回り音聞き
異常ないこと調べ 報告す 出来てくる品
ピカリと光る鉄 輝いてます

七輪自動車 だんだん形変えて飛行機に
なる 大きな羽根 打たれたボルトは今
出来た物 今、私の点検のボルト打たれ
うらへ出されて光ってる これに乗り海越えて
九州の空大分航空の はなふりやりへ

【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
【歌詞解説】
2021/05/29
機械に異常音がないかどうかを、調べる。
中を開けられない機械の点検、音で調べます。
自動車もそうです。エンジン音。
体もそうです。聴診器。
そうきょうよいお書き。M25。
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』
 5/29

出発245 露語 :イカスミ柳

腹を横に書く。
駄作曲の聴き方:曲名または、楽譜をクリック 
You would click music piece.
音楽
【曲名】 出発245 露語



    創曲、今 出発・正(やなぎ)  2021/05/28
    造詞、今 から ・正      2021/05/28
    監修、今 正出         2021/05/28
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】
【場所】
【作成ソフト】
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
【歌詞】正里


【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
【京都市伏見】
2021/05/28
 京都の桃山近辺、深草という所がある。深草は、
他の地域にもあります。京都伏見の深草の話です。
 この深草、ロシア語を使う所で、今のキリールと
いう、え山のおことという。キリール・ラックスという。
えんべせの_えびしぇ、という。アップセラーズという。

 アップという、原義が上という。上の意のアップとぞ。
れつての、列国という、ここを、列国相という。列国を
いう、アップセラーズという。これが、列を上にとる、
えっけせの歌という、歌が言葉の意である。

 このアップのことの意を、初という。これを初学と
いう。この学が、だいおと、という、めるせれのゆめ、
という。めるせれという、セレンという。セレンススと
いう。これが、ススのえ、という。この『え』のあてすて、
という。これを、れよ、という。『れよ』が。列をいう。
【露語】
 れつらつという、れつらつのもみせま、という。もみ
もみのおゆこと、という。これを、めれる、という。
この『めれ』が、『めのそ』の言いの、あゆ、という。
あゆ語という、キリール語のことである。今の露語
である。キリール・ラックスという、露語のことである。

 秀吉の桃山という。これを、れもん、という。れも
んの言いの、あまれ、という。あまれ語という。ダー
ジス・レッツという。ダジステのお言いという。ダーリル・
レンゾワという。この『ゾワ』が、『ソワ』である、仏語
の掛かりという。これを、レッステーという。フランスと
ロシアの掛かりという。

 ダージス・エットという。チトーエタという、露語であ
る。これに、あためをいう。あためという。あるゆるれっ
くすという。あてせてのおちうち、という。めるれるおり
すれ、という。これが、後、ロマソそいう、後をロマノフ
という。秀吉のロマノフという。これを、トロッキーという。
秀吉をトロッキストという。
【無政府主義】
 このトロッキスト、無政府主義という、後、メキシ
コへ行ったという。トロッキーという、無政府主義者
という。秀吉がトロッキーであるという、これを、支倉
常長にとる、秀吉の命を受けたという。トロッキスト
のメキシコ上陸という。支倉常長がメキシコへ行った
ことという。
【革命家トロッキスト】
 これが無政府主義の革命という、革命家のトロッ
キーという。世界同時革命という、マルクス主義の
延伸という。このマルクスという。共産主義を、こう
ふき、という、こうてま、という。こうてまのおてせて、と
いう。みれが、共産主義の天当という、天当の共得
、共德という。この共德が、コミュの意の得である。

 コミュニズムという、コミュニズムの得という。城へ
住むことという、城に住むコミュセク、という。これが、
ウラジオストクの城の言葉の出という。ウラジオスト
クの城の屋という。ウラジオストクの鉄路という。
この鉄路、ナホトカ山の浦という。ナホトカの城の
ことのいい をする、キリール・ラング、キリール・
ランゲージという。ナホトカの浦の言葉である。
これを、ル・ロース、ル・ロシアという、今のキリール
の文字の言葉という。キリール語という、露語で
ある。この露語の言いの、ウラジオという、ウラジ
オストクのメレセラという。言葉を、メレセラという。
【東條英機】
 『メレセラ』が、今の、メルセスという、ドイツのこと
の言いの、ベンツモーという。メルセデス・ベンツという。
この『メルセデス』が、東条英機という、東条の英世
の言いという。東条英機という、若い人という。
【極東軍事裁判】
 極東軍事法廷という、裁判のことの言いという。
極東軍事裁判という、裁判のアクセラという。ナチ
スのヒットラーという。このヒットラーのことという、若
い人の名前という。ロンドンの空爆をした人である。
【ムッソリーニ】
 これがイタリアのムッソリーニの、ムソリルという、
ムッソーの人という。無双の里の荷物という。
ムッソーリー荷という。ムッソリーニの馬車という、
ロボットの馬の様の馬車の行きという、若い人の
行軍である。クーベルタン街道としいう、オーベル
ニューの井戸の水の街道とぞそ。仮面をつけて
疾駆したという若い人という。

 『泉に水汲みにきた』人の話の意という。『冷たい
水、上げましょう』という水をあげた人という。井戸の
水の組上げという。泉のほとりの駄作という。
【桃山城】
 駄作堀の井戸という。これが、桃山の城の辺りの
井戸掘りの堀上(ほりあげ)という。井戸を堀上とい
う。この井戸の堀上をほりせむ、という。堀山世の
井戸という。堀山コミュ式という。堀山ゼミという、
堀山の蝉のことという。これが、長く生きる蝉で
ある。少し大きな蝉という、30センチ程である。
【蝉】
 大きな蝉である。これが堀山蝉という、蝉の一
種である。堀山ゼミナールという、キリールロットと
いう、きろせまの菊という。この菊によく停まっていた
穂浦の蝉という。穂浦蝉という。毎年とやってきて、
菊の木にとまる大きな蝉という、足利世の若い人の
家である。

 この蝉、キキカクという鳴きをする、キキカカ蝉と
いう。若い人の未来という、堀山蝉の鳴き声という。
堀山ゼミナールという、若い人の受講という。若い
人が受けていたという。このゼミ、セミナールという。
これが、ゼミセミという、セミセミのルイスリという。
ルイットン・パール数という。統計学を基礎の内に
する、ORという、OR論という、セミナーである。

 堀山蝉の鳴き声の話という、蝉の声を聞いていた
若い人の受講という、堀山蝉の先生という、セミナ
ールの先生という。この先生の教えという、これを、
実行するという、カンサス大学の工科という。獣医学
という、セミナールのシナリーという、シナリオという。
カンサスの蝉のことという。穂浦蝉、堀山蝉と同じ
、カンサスの蝉という。キキカカと鳴く蝉である。
【京都衣笠山の朝鮮語】
 頃は命を立てるという、京都衣笠山の朝鮮語
使いの部落という、日本人部落である、集落であ
る。ル・チョンギー・パッコンという、冠語である。
蝉をキコクという、朝鮮の冠語で、日本語という。
日本語のことである。キコクという、キコク発進という。
冠語を使うことをキコク発進という。この衣笠山、
堀山蝉がいるという、これをキコク楼という。
【帰国楼】
 古い日の、枳穀楼である。若い人が住まいを
しているという、堀山蝉の同居という。穂浦蝉の
話という。蝉の言葉という、朝鮮語を、そういう人
という。朝鮮の虎という、加藤清正の御叔父という、
若い人という。朝鮮征服という秀吉の話のこと
という。朝鮮語が広まったことという。枳穀文書と
いう、この書きである。駄作者お書きという。枳穀
文書という。
【李氏朝鮮】
 それまでの朝鮮は、空の完成用語を使う、陸の
言葉という。陸の言葉が、キリール語の時という。
キリール語を使っていたという朝鮮という。後、朝鮮
語を使う。朝鮮にキリール語がある話という。
ウラジオストクからの南進の鉄路という、この鉄路の
言葉が朝鮮語にある。ダッカラという、古朝鮮の言
葉という。意味が、衣、という。鉄路を走る電車を
きぬという、ダッカラの意である。京都衣笠の掛かり
という。この衣笠の帽子という、山高様の帽子とい
う。朝鮮の帽子という、この帽子を、ダッカラという。
ウラジオストク南進鉄路帽という。古い日の鉄路
の行進の時の帽子である。蝉がつばにとまる造り
の帽子である。山高帽の朝鮮帽である。時は
李氏朝鮮という。李氏朝鮮の造りである。
これをコート論という。南進鉄ロホ走る乗り物の
名でもある、コートロンという。

 これの行軍をORという、旅行きの若い人の
ことである。一旅の一行を軍という、群という。
この時の考察という、王ある、話という。李氏王
という一行である。蝉の大きな蝉を李氏という、
李氏王という、キキカカの蝉という。
【虎語】
 露語のことを、虎語という、朝鮮語のことを、
蝉語という、言葉の名称の別称である。
英語のことを、蟻語という。仏語のことを、
李朝蝉という。地用千語と仏語が掛かることと
いう。これが、ヘギョンソワの合わせである。李氏
朝鮮のあとぜ、という。李氏朝鮮のなしたことである。
これを、李梨後という、後語という。今の朝鮮語の
ことである、枳穀楼閣語という。

 これが、枳穀の谷という、衣笠の屋の裏の谷と
いう、大谷の谷である。大谷枳穀楼という、衣笠
の屋である。堀山蝉がいる所である。これが、
大谷の屋という枳穀楼閣である。
【大杉栄】
 古く、京都の大原越えの大杉坂、大杉栄と
いう、大杉坂の周辺という。ここを、帰国るく、とい
う、大杉坂の辺りである。大杉栄という地名のこと
である。これが、東条師範の言いでもある。
東条師範という南京政府である。そこの師範である
若い人という、自分を東条英機という若い人である。
英機にのる人である。搭乗英機という名機である。
ひがしすじ山お書きという。

 とうじょうの、ひがししの、言いという。機を英機と
いう。搭乗機を、搭乗英機という。これを、東上と
いう、これ合わせて東條英機と書く人という。
ひがしすじと、ひがししのの合わせである。
【東條師範路】
 東條師範路という、南京から行く平壌航路と
いう。これを東上という、東上線路という。この
線路、大谷線という、元日本軍という、和国覧
という航路である。古く、藤将航路という。とう
じょうこうろ、ともいう。藤将の言いという。京都
七条大門の言葉がこの線路沿いにあることという。

 ジョックスという、ジョグという言葉である。
ジョグルザという南京の飛行場の言葉とぞ。東條
英機という飛行機である、若い人の乗る飛行機で
ある。古く、小さなジェット機である。大きなジェット
機を東条師範機という。中華民国の行きという。
【台湾】
 当時、大冠という、今の台湾である。大冠国と
いう台湾とぞ。この時、沖縄を琉球という。沖縄の
首里城という、キンシャンペーという、ここから、
中華民国へ行く台湾という。
南京→首里→中華民国、台湾のカ(KA)という場所で
ある。この航路を蝉航路という。衣笠の飛行船と
いう、この飛行船の航路という。シャープロットンと
いう飛行船という、シャープフロントの小さい形という。

 これが後の中華民国の航路である。衣笠を、
朝鮮のヘッキという、ヘギョンの町のことという。
ヘッキ、これが露語の朝鮮のことの言いという、
キリール語という。ヘッキランクウという、ロンテスの
言いという。

 イギリスのコルテスが掛かる、南京、台湾、平
壌という。これに、露語のキリールが掛かることと
いう。このキリール、古くサラセン露語という。サラ
セン・ロシアの東端というウラジオストクである。

 台湾から直行のウラジオストクがあることという、
これを、台湾が、極東交德という。これが、李承
晩のラインの上の航路という。台湾にかかった李
承晩という、若い人の李王朝の頃の、ばんせまの
言いという。李京言いという。李承晩ラインという。
台湾航路のことである。台湾の航路の李承晩
ラインもある話という。李氏朝鮮の頃の航路である。

 清朝の中国の楊貴妃という、飛行船の航路とも
いう。楊貴妃という飛行船に乗っている若い人で
ある。この頃、済州島から伸びる砂嘴という、これが
あった頃という。東支那のお書きという。

 首里城の書きという。若い人の書きという、説楽
文字という、それで書かれた書きという。第一次
大戦のドイツである書きという。今の東西ドイツが
ひっついていた頃のドイツである。
【ロマノフ王朝】
 東西のドイツという、ドイツを分ける為 という、
ロマノフ王朝の赤の世という。これを、レオンという、
大阪のイオントーブという。レオン王朝という。
言葉が、私語(きさご)をとる、ロマノフの王式冠話
という。ロマノフ語という、エカテリという、エカテ語と
いう。これをエカテンという、この『テン』、中国の纏足
という。纏足の言葉という。小人語という。ロマノフ
王朝の言葉である。ロシアにいる若い人という。
レニングラードという。ここの住まいという、紅式閣
という。レニンヨッキという、ロマノフ語である。
【幸田村】
 これが、蘆花の言いである。幸田文という作家の
ことという、若い人の名の幸田文である。文の題で
ある。幸田村にいる若い人である、古い日の、篠
奥闇という村という、そこの幸田村である。
篠山向楽館という、そこの教えという、ロゴを使う
頃という。
【明治大観】
 江戸への路という、幸田路という、各地にあった
幸田村という。篠槍(ささやり)という、谷を伴う槍で
ある。幸田槍の場という、幸田山である。幸田路
伴という、幸田村行きである。台湾の霧社のこと
ともいう。台湾に幸田村があることという。幸田
霧社という。町の小さいところを霧社という。
そこの霧社の住人という若い人という。明治大観と
いう場所である。台湾にある話という。
【航路】
 ここへ行く武漢からの行きである。この武漢航
路を砂嘴図というね砂嘴航路という。シャープ・
ラッセンの航路という。シャープ・フロントの一回り
大きいものである。第一次大戦という日の行きで
ある。

 ドイツ、ヒットラーという、台湾へ行ったドイツ人
とぞ。ゲゼルという言葉を使う明治大観所という。
甘藷が産物である所とぞ。ゲゼルニューの場所
である。水が掛かるところという。これを、台湾覧
という。リーラン・ワークスという。リーランのお行きと
いう。リーラン・ウォークの若い人である。
リーラン歩行という、左足左手、右足右手という
歩きである。リーラン・ウォーカーという、朝鮮が掛
かる台湾の歩行という。李朝進拍という、リーラン
の歩みという。カーキー色の軍服姿のリーランで
ある。李朝王行軍という、歩き方である。
【青島(チンタオ)】
 朝鮮を通行国という台湾政庁とぞ。朝鮮が
通過国である頃のことという。通過国ゆえの言葉の
繁栄という、朝鮮の言葉の造りという。李氏朝鮮の
言葉である。一時期、露語という、その露語で、
仏語、ベラルシの言葉という、朝鮮の言葉にある
ことという。李宮の言いという、ベラルーシの言葉を
使う、李京語という。ベラルーシ語を李京語という。
他に、英語、アゼルハイジャンの言葉、インドシナ、
バンコクの言葉を使う李朝王の頃の若い人という。
リランククという、ささぜらのお言いという。ベルン
ファールレーという、これが、後、チンタオのドイツを
いう。チンタオの槍という、遣りでもある。チンタオで
ドイツ語が通じることという。第一次大戦が掛かる
ことという。チンタオの町の塩田の話という。
塩を作るチンタオという。そこの道路のつくりという。
塩ゆりという造りである。今も、寒い時に使う塩
入りの、道路に撒く材である。これが、チンタオ
塩田の出である。チンタオ(青島)発の塩撒きである。


あああああいいいいいうううううえええええおおおおお
そうきょうよいお書き。M25。
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』
 

2021年05月30日

出発247  ラーテル

20210530
【ラーテル】 
 ラーテルという動物がいる。鼬の仲間で、平べったい
背中が特徴である。ヒョウといつも一緒にいた動物で、
若い人がいつも見ていた動物である。
【おみきさん】 
 奈良県天理市にいた頃で、宗教教団がまだ無かった
頃である。神殿といわれているものがなかった頃である。
今の宗教教団の場である。
 若い人が、母屋と言い、その前に風呂があって、大きな
木があった所である。前に大きな木があって、その木を
みて、おみきさん、という若い人である。この、おみき
さんをいつも見上げていた人である。りんこくの世と
いう、頃を、幕末という。後、宗教教団の神殿を作る。
【丹波市地区】 
 この西の方に丹波市(たんばいち)という所がある。
ここの丹波市のラゾンという、ラーテルをもとめる、
定格という、かくてきのレオンという。

 このラーテルが、てきかく獣という、定格獣のことと
いう。この言い((『ラーテルがてきかく獣という』『ラーテル
を、・・・・』というところである))が、ラテン語という。
ラテン語の造りを、ヒョウという。古いラテン語を
ひょう語という。これを、レゾン・ハックスという、
カンサスの工科大学の、wouldtu という、門の英語
という。アメリカのカンサスである。ここに、獣医学と
いう所がある、この獣医学のキトという、基である。
これを、ミックスという。

 ラテン語とミックスという。ラテン語を交ぜたと
いう、ここが、ラーデル、ラーソンという所である。
ここに宗教教団がでる、キリスト教の一派という。
これが、『ラー』の言いの、一義である。
ラーテル・ラットンという宗教の興りという。
【カンサス工科大学】 
 カンサス工科大学のそばにあるものという。この
カンサスの宗教をいう、日本の天理を、末日という、
末日都という。これが、天理の内規という、規に
あることという。天理教という、後で出る教団の
ことという。この日の日本という、日本を、まつ
らむ、という、ラーテル・ラットンの宗教の意味
である。

 ラーテルと、ヒョウのことを替え言う、宗教の
言いともいう、これが、天理教に一部ある。イタ
チをヒョウという、これが、天理の宗教の言いと
いう、後、天理教という。まつらむという、日本
のことをいう教団という、古い頃である。
【祭】 
 これが祭のことであるという、祭ることを、
レモソレという、これを、フェスという、フェッツ
という、後、フィスともいう。フィッツともいう。
フィッツジェラルドという、日本を、フィスレッ
クという。これが、カンサス工科大学の門のこ
という。門をフィッツという、フィスタスの言い
という。これが、古ラテン語の言葉である。

 古ラテンの言葉があるカンサスの町という。
カンサスに日本語のような地名が、主に通りに
ある。ここが山であった日の、地名をいう。
地名のや、という、めるれるれおん、という。
れおんが、ラテラスという、らましょの、
列告という。れおん・とう浜という。レクション・
シーズという英語という。レックス論の山という。
これが、後、沈む山である。
【カンサス工科、獣医】 
 この山が移動する山である。南へ行き、
また、戻りという。この山の地名が、今のカンサスの
地名にある一部という。これが、獣医学をいう、
カンサス工科の獣医とぞ。ここの工科から、山を見る
時の光景という、屋根が見えていたという、カンサス
工科の山の学舎である。これを、アメリカン・ハット
という。アメリカの山の屋、という、めるっくやっき、
という。アメリカのやき、という。

 これが古くピグミーを論ずるアフリカの部族の論と
いう。アフリカ・ピグミーの資料という、これのことを、
めっぱすという日本の冠語という。ピグミーが1m位と
いう、これのことの論という。このピグミーの論が
一部ある。これが人の体に影響したことを、論ずる
ロッキードの移動という。ロッキードが世界をいう、
世界の人の体に影木陽したという論という。ピグミー
よりも小さい人達がいる。また、逆に、大きくなった
人という。体が2m50cmほどになったという、或いは、
それ以上という。
【アーカンソー】 
 ロッキードの移動に、世界の人の骨格をいう論の
あり、という。これを、ロッキード・カンサスと
いう。動物にもこれが影響したことという、ロッ
キードの移動である。渡しの日の山という、
カンサス工科の大学の獣医学という。
ラーテル・ラッソン・クークーという。この日
、空も変わった話という。緑雪の降るアーカンソー
という。黒い雪も降っていたことという。深く
掘れば、この層がある。表面に現れている土とも
いう。

 アーカンソーの焼物に緑色のものがある話と
いう。緑の土からの焼物という。これがピグ
ミーの人の土と同じという。緑色の雪が全世界で
降っていたことともいう。緑のアフリカという。
もりすよ山のことという。アフリカを、もりすよ、
という、日本の冠語という。英語で、ラーテル・
ろっそんという、英語の冠話である。これが、
カンサスの獣医の見方の意という。後 、バットマン
という、バットマン医学の出とぞ。同志社医学と
いう。同邦の屋の言いという。同志社に群という
見方という、これがある。同志社の大奥という。
これが、後、大学の医学を出していく書きである。

モスクワの恵論という、アフリカの教派論という。
アッジヤンフラーという、ペギョンレスの言いの、
アッジャンジーの、アジア論という。イスラムの
大学という、この論がある。中国の奥地という、
奥地の言葉の考察の論という。一部、露語が掛かる
言葉の論という、中国の論である。

 ロッキードの移動を基にとる私の書きという。
私が書くロッキードという。ロッキードの山並
のこととぞ。私の山の巣という、山の頂上にいた
私という。ロッキードの文山の巣という。ここで、
見ていたことという。ロッキード山脈のことと
いう。
【りんこく】 
 ラーテルがいたという。このラーテルの大きさが
象のような大きさである。これが、小さくなった
今のラーテルという、りんこくという動物である。

 象も小さくなることという。この象がいること
という。背丈 50Cm から 1m位という、世界
各地にいることという。代表を、アフリカ、
ナミベの奥のメソという、メソの地という。
ナミベから奥へ入った川のある所である。
 ここに象の小さな象がいる。小さなライオンと
いう、小さな動物がいる、今の動物の小さなもの
という。人もいる話という。世界各地にあること
という。このメソの地、すくに動く地である。
はじめ、東へ行き、また戻り、北へ、南へ、
という、動きをする地という。ロッキード移動の
あおりという。ロッキードが基である話という。

 これが私の世界論という、シダキ、シダラク
設楽文字で書かれている、若い人の書いた論とぞ。
朝鮮諺文混じり、キリール文字、トルコ字、
色んな世界の文字で書かれていることという、
各国にあることという。世界見聞録である。
世界の暦にシダキ文字が書かれている。
この暦の意という。ロッキード移動以後という、
今の世界の文字で表記したことという。
【マヤの暦】 
 しだらくの字という。この暦が、穂浦の
暦という。しだらく文字表記の暦という。
世界にあることという。これが世界の暦である。
マヤ暦という、この後のことである。月の満ち欠けの
入れをする、マヤの古い暦という。言葉が、ラーツと
いう、古ラテン語という古ラテン語のラッテンフールー
という冠語の古ラテン語である。
【設楽文字】 
 ヒョウを、ラトレカという、ラッツという、ラビン
という、古ラテンのラテン語である。シダキ文字という、
しだらくの御字という。これの印刷機もあることという。
古く、ワードという、ワープロのことという。しだき語
のワープロがあることという。このワープロ、天理という
以前の、ラーテル、ヒョウと一緒に住んでいた住まいでの
使いである。古ラテン語のワープロもあることという。
古ヘブライ字という、これが、キーボードに打ってある
ことという。

 ヒョウの小さいヒョウである。このヒョウの言葉と
いう、鳴き声のことという。ラーテルと一緒にいる
ヒョウである。ヒョウ語という若い人である。ラテン
語の入れという、ラテン語にヒョウの、小さい言葉が
ある、小さいヒョウを、ラントーという。ラントーの
置きという。

 また行くヒョウの部落という、アフリカ、ナミベと
いう、メソの地という今のメノングエという、ナミベ
奥である。アンゴラの国のことである。このメノング
エが、ナミベにあったメソの都である。メソが東へ
ずれて、しばらくいて、メゾユマという、日本冠語の
地名である。この『ユマ』の言葉が、メノングエにある
ことという。

 ナミベから、メノングエへ行き、メソの地になる、
メソからメノングエへ行く地という。地ごとずれた
話という。ロッキードのあおりとする見とぞ。
【ラッシュモア・トランプ像】 
 ロッキードがいう、アフリカの話という、これが、
ラシュモアのセブン・シーズという、ラッシュモア
の船という。島を船にたとえる、立像のトランプ像
という。ラッシュモアの顔の端に位置する、トランプ
像という、立像である。船の帆にたとえる、ラットン
数霊という。
【アメリカ末日教】 
 この数霊の『霊』が、宗教にかかる、末日の言いの
宗教という、アメリカのキリスト教の一派という、
キリスト教になるまでの宗教という、アメリカ発の
宗教という。キリスト教一派に入れられている宗教
という。しだらき文字で書かれたものが一部ある、
ことという。しだらき文字と、ギリシャ文字という。
トロイ論の山という。ロッキード移動を書く所という。
表しが、『金』という、山を金で表している書きと
いう。ロッキード移動の話がある郷愁の山という。
ロッキードを郷愁山という、日本の古い言葉という。
地球の若かった頃という表しである。
【コンピューター】 
 ヒョウという標語の出来とぞ。トロイ語を標語
という、ヒョウ語とも。ラッテン・パールレーという、
日本冠語の英様言いという。英様冠話である。
日本冠語で、ことほり、という。ことえり、ともいう。
ことえりが今もいわれるコンピューターという、
アッカートにあることという。アッカートという、
コンピューターである。ことえりが入っている、
60年前のコンピューターである。若い人がいる、
大村城の江戸城である。ピグミーのことが書か
れている、とも。ピグミーより小さい人という、
世界各国の人という、欧州のリヒトという、朝鮮の
里人国という、中国の、纏足国という、アンデスの
滝雪国(滝行国)という、アフリカの手祖国という。
メソの古名という。これ以外にもある、ピグミー
より小さい人のいる地という。50cm前後の人と
いう。そのことが書かれているアッカートという
コンピューターである。

 マンのそばのコンピューターである、その傍に
エニアックがあることという。江戸城のコンピューター
である。江戸山弓という、コンピューターの組である。
これが、ランで結ばれていることという。エニアック、
アッカートはたくさんあることという。

小さなコンピューターで、20cmくらいのディスプレー
という、今もあることという。工場の機械制御で
使われていることという。鳥取の自動車が飛行機に
なるという、その機械制御による製品部品の製作と
いう、若い人の仕事という。ワッケラクークーと
いう御所の製作という、代表が、鳥取の城傍の
工場である。
【月】 
 この頃、ロッキードの頃、空気が月に
あったという、その後、拡散した空気という、
今の月という。ブラック・ホールの渡りという。
【月世界】 
 この頃、ウラジオストックから、ヘイホー(黒河)
から、海岸のイルホーツクという、今のオホーツクという、
そこから、樺太の小瀬(おぜ)へ行く。アッツ島へ行く。
島づたいにアラスカへ渡る。アリョーシャンという、
火山列島である。ここに地下道があるという、この
周辺を月世界という、月世界海底道路という。月島
街道という、ムーン・ウォークという、海底トンネ
ルの歩きという。地下道を歩くことを、ムーン・
ウォークという。ムーン・リバーという。アリュー
シャン列島の海底トンネルである。
【ヘイホー(黒河)】 
 ヘイホーは黒い河である。真っ黒な川である。
パバロフスクからシオテアリニへ行く、ここの山
の沿海という、沿海のうとゆた、という。これが
山の出来という、それまで海であった話という。
沿海という字義である。水の入り口という、
二水偏の沿の字という、この二水が、上のハの字
である、ハの字の海の口という。今もハの字の
形の海である。この二水を三水にした時という、
地震があったことという。古くロッキードの
名があるシホテアリニという。ロッキードという
六国という、沿海国という。この頃、沿岸に黒い
水が流れていた。間宮海峡の海という。
【シホテアリニ】 
 シホテアリニができて後、間宮海峡ができたという。
ハの国のお書きという。これが、ロッキードのシホテ
アリニのロッキードである。これが、できたころに
ハバロフスクという町のできという。パバロフスク
ともいう。ロシアエカテンという、この『テン』が、
纏足の纏である。
【パバロフスク】 
 テンという、地球の南から、上をいう、この地域を、
ハッパという日本冠語である。テンの地域という、この
下を、南を、地皇地という。ここが、ハバのロフである。
ハバノロフという。はばの山という、シホテアリニである。
ロッキードの勃興という、これを、マノフという、ロマ
ノフ王朝という、ハバロフスク周辺の地域の朝をいう。
朝焼けの紫という、紫朝という、ハバロフスクの朝の
ことである。ハバロフスク紫朝という。これの巾が、
ハバロフスクという、後、スカンスという、スキャット・
パッパという。ロシアの国のサラセン・ロシアである。

 これが、カンサスという、アメリカのンカサスと同じ
名の地という、ハバロフスクである。この辺を小カンサスと
いう。言葉が、カンサス語という、今の露語の一方言という。

 これが、ロッキードをシホテという。このロッキードを
アメリカのロッキードにいう。ロッキードの北の方のカス
ケード山脈をいう。このカスケード山脈とシホテアリニを、
シホテハバという、サラセン・ロシアの言いという。

 このカケード山脈に、小さい人がいるという。
このカスケード山脈を北という、これがシエラ
ネバダ山脈である。東を北という、シホテの言
いという。これが、古い京都の町の、方角の言い
という。
 DE232 の地図の意義である。
http://akinokori.sblo.jp/article/188708182.html
東を戸と言い、北をハモという。ハモレバ言いという。
【シエラネバダ】 
 これが、シエラネバタの言いという。
Toh go トーゴーという、ノース・ランという、
北上のことである。これを、空軍の言いという、
この空軍が、エアー・シックという、航路の言
いという。行軍という、空の行軍という。フォート
ワース空軍という、古い日の、フォートワースの
空の旅である。後、エドワードという、エドワード
空軍基地の言いとぞそ。

 Toh go という発信の言葉である。出の合図の
エドワードという。エドの言葉という、エドウォード
ともいう。エドワードが発信の言葉である。
エドワード発という出発である。これが、海の言いの
船員の言いである。船が発進するエドワードという、
イギリスの船が出たという今のことである。大きな
船である。
【造船国イギリス】 
 名を、ラットソンという、ラーテル・シップという、
らてらすお言いという。イギリスの海運時代の船である。
イギリス造船の雄という。造船国のイギリスである。
【イギリス造船技術】 
 イギリス造船技術の脳使いという、ラーテルの脳の
いたち襞という、いたちの言いの脳という。イタチを
尊ぶ脳という。このいたち襞の隣を、ヒョウ海という。
一名とぞ。脳の話である。物を点検する部分である。
日本の、ひょっとこ、という、脳の部である。
ひょっとこ脳と言葉を添えることと。
ヒョウの場をひょっとこ、という。『とこ』が
所である。これを、しょ、という。初めの場を
しょという、ひょっしょ、という。
ひょっとこはじめという、主に点検に使う、主に、
関節の使いという、関節を、ひょうしょ、という。
関節を調べる、いたち脳という、ヒョウ脳ともいう。

 このヒョウ脳を、絵を描く脳という、ヒョウ脳、
いたち襞の働きという。ハの字のつくりという見方
をする、これがハという、ハハという、脳の部分と
いう、古く、おれまがり、ともいう。海馬である。
【アリューシャン列島】 
 動物をいう、ウィンという、動物のことでもある。
ウイントスというコンピューターという、今の、アップル
のコンピューターという、リヌクスという。
リ抜く島という、リなく島という。これが、アップル列と
いう、古い日の、アリューシャン列島のことである。
アップル列島という、リヌクスのOSの話である。

 ユニックスのリノーという、リヌクス、ウインド
ウズ、リノーという。リノーが、マンというコンピュー
ターのOSである。アッカート、マン、エニアックという、
ユニックスの列という、コンピューターのマンのコンピュ
ーターのosという、リノーという。音楽のソフトがたく
さんあることという。江戸城のコンピューターである。
【ウインドウズ】 
 ユニックスのマックというリヌクスの関わりである。
ウインドウズという、アップル列島の関わりのOSという。
ウインドウズ火山の爆発という、技術の爆発である。
ウインドウズの圧倒的優位という、千島列島という。
千島のアリューシャンという、アップル列島の火山列島と
いう、そこの一島である、ウインドウズ火山という、地下
の海底があるところである。
【窓の旅】 
 アラスカ渡りのウインドウという、窓島という。若い人
のいるところである。アップル島という言いの、リンコス
島という。若い人のいたころのアリューシャン列島である。
シホテアリニ発という、海底トンネル越えてアラスカへ行く
列車である、アップル号という。このアップル号の窓が四重
に作ってある列車である。江戸から行くという、若い人である。
JRウインドウという、窓の旅である。
【青函トンネル】 
 青函海底トンネルともいう、トンネルを古く、遂道という、
逐地という、逐地洞という、青函洞という、省線の頃の言い
という。青函トンネルのことである。

 また行く、ワトソン号に乗ってという。カンサスシティー
の山の石屋根という、ワトソン号のアーカンソーという、
アメリカン・ドリームを邁進する列車である。洞号という。
夢洞という、アメリカン・ドリームである。北のアリュー
シャン洞と対である。これが、大東亜共栄圏の東条英機で
ある。若い人の名である、ヒットラーともいう。ヒットラー
という、ラーテルの名前である。ヒットラー群を、ラーテ
ル群という、旧ドイツのヒットラーである。

 ナスチ以前のヒットラーという、青島(チンタオ)の第一次
大戦というヒットラーの話という。塩造りの塩田のつくりと
いう、塩の雨が降ったという、塩辛い雨の降りの場所という。
青島近辺である。
【ロンメル、ロレンス】 
 『ラーテルさん、ご一緒に』という、ロンメルのヒョウという、
ロンメル。ヒョウの誘いという。イギリスのバイクの曳きと
いう、岩を曳くバイクという。ロレンスの映画という。
『アラビアのロレンス』という。英語がコクトーという言葉で
ある。劇場用の英語である。アカバという英語で、アカバ・イ
ングリッシュという、アラビアの付け根の場の英語という。
スエズ運河あたりの英語である。ラーテルという
動物が活躍するところである。スカイ・ビレッジという、
天里という、そこのラーテルである。天里という、天理以
前の呼びともいう、同じ動物である。ラーテルと仲良くする文
という、ラーテルお書きという。
【宝塚】 
 ロンメル、ロレンスという、ドイツとイギリスのことという。
劇場のつくりという、東京宝塚の劇場の造りという。兵庫宝塚
市の和上船の行きとぞそ、東京宝塚へ行く和上の船の物語と
いう。宝塚から宝塚へ、和上の船旅という、これを陸の船という、
陸の航路をよっていく和上の船という。ロレンス船という。
コンピューターを積んだ船である。
【インド、デカン】 
 この船団、インドの海へまた行く、インド・デカンの故郷
へ行く、故郷山という、インドのデカン地のデカン所船という。
デッカンショ航路という。この航路がマンの隣のエニアックに
入れてある、和上に積まれていたエニアックというコンピュー
ターである。若い人のインド服姿が映してあるデジタル映像
である。軽井沢のカメラという、江戸時代のテニスの映像という、
これも入っている、エニアックである、コンピューターである。

 この頃の電話という、ユニックスというOSの使われという。
配電盤を使っている若い人という。番号が110番である、999
番の、若い人コールという。109番号という。穂浦の電話番号
である。携帯電話という、スマホという、タブレットという、
大型液晶画面という、この頃の道具である。インターネットと
いう、穂浦で使っていた話という。ラーテルがいた穂浦である。
白ヒョウの調べというお書きという、この文である。

そうきょうよい話、柳書す。M30.
 

2021年05月31日

出発240 天里 :イカスミ柳

出発240 天里 :イカスミ柳
腹を横に書く。
駄作曲の聴き方:曲名または、楽譜をクリック 
You would click music piece.
音楽
【曲名】 出発240 天里



    創曲、今 出発・正(やなぎ)  2021/05/31
    造詞、今 から ・正      2021/05/31
    監修、今 正出         2021/05/31
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】
【場所】
【作成ソフト】
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
【歌詞】正里
寛六の 足継ぎの台出し  柳のお幹さんと 拝んでは
そうきょうの 安全 願いかけて行く 風呂屋は西の場
こいしき風が鳴る洞 岩の洞穴に 風吹き 鳴声の穴よ

ラーテルとともに住む ひょうとも住まうよ 平たいせな
いたちの背 ひょうきんな顔して いつもひょうと暮らして
朝には一緒に西寺参り サンザシ植わり 春朝の一日と
イルカ子の見舞う

鳴き、顔を出してくる イルカ子 背中が日を受けてる
七色に輝いて花池 ひょうといたちと遊んで おのが世
めでてる 大きな建ての参り所 池の庭前 神殿
今は昔の世


【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
【歌詞解説】
2021/05/31
 今の奈良県天理市の、宗教教団のある所。
三輪山教という場所の歌。神殿という、それが
建った直後の歌。既に、それが昔であった時という。

今の天理教という教団の東の方、そこに母屋という
、若い人が住まっている。その母屋を出た所、前に
風呂屋があり、大きな木がある。
この風呂屋を、西へ持っていき、大きく立て直した。

 その西に神殿という、西の参り所を作る。その直後
くらいの時のこと。池を堀り、イルカを住まわせていた。
ラーテルという天里丹波市(たんばいち)の、したすり、
という 場所の出という。 そこの住まいの、いとさり、
という。そこの出身である、イタチという、ラーテルという。

 いつも我が家へ来て、母屋を見回す。ひょうと一
緒に来る。ここから、西へ行く、参り所という後、神
殿という。ここへ行く、池が掘ってあり、そこにいる
イルカとぞ。鳴き声とともに顔を出して、池から
ついてくる。

 参り所の大きな階段を上がり、一緒に上がって
くる。イタチ連れ、ヒョウに連れられ、イルカ共、
参り所の朝、ある春朝の一日。これが、既に昔の
ことである、若い人の言葉という。

 寛六の台という、大きな木の枝を見る腰掛けの
台とぞ。これが、母屋という、前が風呂屋の時で
ある。この西の場に、岩が積まれ、ゴツゴツした岩で、
天理の火山弾という、火山が吹き上げた岩である。
この母屋の東の方が火山であった時とぞ。この日、
煙が上がっていた、天理火山という。イルカを連れて、
その煙を見るのが楽しみという、若い人である。

 場所を、三輪いわれ、という。この辺りを三輪という、
この西の方の、丹波市(たんばいち)という、そこにラー
テルが、たくさんいた。イタチ園という、そこの生まれの
イタチとぞ。このイタチを、丹波市の家で飼い、後、
ヒョウを住まれという。ヒョウと一緒に住む、このヒョウ、
イタチ園の隣のヒョウ園にいる、そこの生まれという、
白いヒョウである。たくさんのヒョウがいたことという。
若い人の見回りという、イタチ、ヒョウを見て回る
日の仕事という。

 後、三輪落という、少し離れた、三輪という所へ
行く。今の、三輪神社である。そこへ行き、おかさり、
という。三輪の杉目という、杉の木の拵えという、杉を
育てる日という。

 乗り物が、自動車である。早いスピートの車という、
参り所から自動車で行く、今の三輪神社という。
少し離れたところである。約400キロのスピートで行く。
今の三輪という。当時の道という、今の道のあった頃
という、既に道ができていることという。道をつくり、
参り所を建てた人という、若い人という。道造りに
戦車という、戦車に乗り(今の戦車である)、この
戦車のあとに、道の標識を立て、道しるべという。
これが道路工作の道の造りという。天理のできる
前である、天理市の以前という。

 近くに田原という場所がある、そこへ、今の天
理市の参り所から、敷いた道という、これが、今も
その当時のままある。この道が既に過去の道である。
道を作り一旦土に戻し、また敷く。これのことを、
もろせば、という。どこの都市も、これが、してある。
道戻しという、道の造りの言葉という。大きな道路も
ある。京都の若い人の住む家から、まっすぐに西へ
向かう道という、後、鉄路という、機関車が走る道と
いう、京都府亀岡への鉄路という。後、この鉄路を
省線という、JRという、大阪槍駅の後の省線である。
大阪槍駅が後である。今の大阪駅。

 この鉄路も戻しをしてある。一旦、元に戻す工法
という。こんな道路がたくさんある、世界中の道という。
和歌山へ行く、和歌山の並び城という、双城の和歌
崎という、そこへ行く道という、天当線落という、天当
線という、山の中腹、いただきという、この道もそれが
ある、今の紀州へ行く大阪からの高速道路という、
今ある高速道路である。その時、既にあった道という。

 外国という、パプアという、ニューギニアの道という、
パプア・ランテムという道という、パソゾレルのお道と
いう。お道という。お道、御道。これが、天理の自分を
いう、自分のことを、みち、という。

 この天理の参り所という、この時のパプア・ニュー
ギニアとぞ。参り所からパプアへ行き、道を拵えた
人という、これを、パプア戦線という、戦争の日々と
いう。若い人が言う、戦争がこれである。ものを作る
ことを戦争という。戦線の意味という。

 天理の三輪の頃のことという。パプアをいう、パプアの
国の出で立ちとぞ。道を作り国を興すことの作りという。
パプア戦線で出来たという、若い人の言葉とぞ。これを、
バプという、バプテストという、宗教団が掛かるという、
バプテストという、パプアの道である。パプアバプ録と
いう、パプア戦線という、日本の進軍という、若い人が
行ったことである。言葉という、日本語の通じる所がある。
バプアという、パプアという、どちらも日本語という。
バップ、バーブという、パプアに竹がある。この竹を植えた
人という。バレーセルラックという、竹の古い言いである。

 バップアという、パベベベの糸という。これが、糸の竹
という。後、電気に使う竹の糸という。フィラメントの
初期である。南の方の遠い所の竹という、ここの竹の
使いという。今の豆球をこの竹でつくったことという。
バプアれんづる、という。この話がニューイングランドという、
イギリスの今のウェールズという、ボーンマスにある。
パプアのことという。このボーンマスを、ニューギという。
後、ニューヨースという、後、ニューカーという。ニューと
いう、水の掛かる場の場所の言いという。パプアの話が
あるボーンマスという。パプアに英語が通じることという。
バンブーという竹で、英語を入れたことという。
 これが、オマーンのだいため、という。オマーン大学の
講義の一つである、言葉が、ニュークーという言葉を
使う講義という。

 オマーンのシャーム山の井戸掘りのことをいう、竹を
植えたことという。オマーンに竹があることという。電気が
竹をそのまま使う、井戸の発電の電気という。オマーン
にある竹の電灯という。竹がボウーッと明るくなる仕掛けと
いう。後、プラス・マイナスのある電気という。オマーンの
電気が、プラマイという、この『マイ』の掛かりの米という。

 米に電気を通す、米の灯りという。これが、オマーン
大学の技巧工学という、オマーン大学の由縁である。
言葉を、ラットン清空という、ラットン清空語を使う、
大学という。天理の三輪呼びの頃の、言葉という。
この言葉、古奈良語という。この古奈良語がある、
オマーンである。同時に、パプアにもある、ボーンマスに
一部あることという。『今日わ』というのがそれである。

 名曲にある、『今日わ』は世界の言葉という唄という。

天理の竹の言葉という、古く、竹取の宮という、
参り所のことである。丹波市という、そこの宮を、今の
教団の神殿に移したことという、参り所のことである。
丹波市が元である、建物のことという。この古い参り所、
丹波市から、ひきずった話という。天理の町の古い話
である。

 この、ひきずりの前後、京の水浸かりという、これが、
天理の水浸かりのことをいうという、古い天理の町で
ある。この前後を、天里というひの言葉という、古奈良
闇ふり、という、古奈良語の初期である。これが、水を
ニューという。京都峰の丹波峰という頃の言葉という。
古い京都にこれがある、古い京都の言葉が、
水をニューという。ニュースという、水槽、水流れの
ことという。これを、新聞という。水が流れる京都を、
古奈良という、降るなら天つく、という。天つく程の
水という。これを、しんまく、という、後、しんぶん、という、
水のことである。『しんまく』は、後、幕府に踏襲される。
『しんぶん』が、新しく聞いたという、ニューの水の言葉
をいう。この『ニュー』が、世界各国にある、ニューとい
う意という、みな、同じである。

 ニュー、今日わ、という言葉のことという。これを説く
天理大学である。同じ名の天理大学がある、京都府
の上奈良、下奈良という、一口(いもあらい)という地の
辺りの天理大学という、地名が天理大学である。
ここの古い話が、この『ニュー』をいう、『今日わ』をいう、
説く話という。今も赤池という地名がある、たくさんの
池がある所という。奈良県天理市もたくさんの池がある。

 神殿前の池という、これが、大きな池であった頃の
住まう人という、若い人である。これが過去である。
この池、クジラが潮吹く池である。参り所の曳いた
参り所の、その以前の参り所である。その頃の池である。
鯨を連れて、住居を変えた人という。和歌山双城の
古い物語という。城と城の間の池という、そこの鯨という。
この鯨、京都の鯨の池という、赤池の鯨という。
そこの出身である。由緒正しい鯨という、由緒正しい
ラーテルという、由緒正しいイルカという。
動物を、由緒正しい、そき、という。動物のことを、そき、
という。三輪山教、和歌山並ぶ城町、京都峰教という。
これを、三京という。古い頃の三京である。三教ともいう。
教という、場所を示す言葉とも。

 天理の古い頃という、高山幕府という、これの記録
のコンピューターという、天理の館のコンピューターという、
若い人が置いた人である。池の神前の話という。これの
古い、大池の記録が書いてあるコンピューターである。
エタックという名のコンピューターである。小さな造りの
コンピューターとも、母屋で使っていた人という。大池の
頃の母屋である。鯨と一緒に住んでいた頃の母屋という。
その鯨の泳ぐ姿、潮吹き山という。その映像の動画が
入っている。エタックのコンピューターとぞ。江戸奉行所
制作という。スマホを一緒に置いたことという。

 エタックとスマホが通じるランである。今様言う、ランで
ある。LANという。古い頃から今様の人である、駄作
者である。江戸戯作三昧という。三昧田という、後に地
名に残す池名である。三昧田の池という、大きな池と
いう。京都船歌という、この歌の話である。

 天理航路という、イージスの通う頃のことという。赤池、
天理平端、三昧田、田原、等々という。イージスが
浮かぶ奈良である。鯨が泳ぐ話という。駄作者はいう、
若い人を原始人という。スマホを使う原始人という。

後程。

そうきょうよいお書き。M31。
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』
 

5/31

出発262 オマーン1-5 :イカスミ柳

【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
2021/05/30
【オマーン】
 オマーンという国という。若い人は、ヤッパスという
乗り物で行くという。ここの地の山の世という。磯の
国という。字が、朝鮮諺文のできる前の字という。
アジャフターという仮名である。母音をいう、これを、
アッテセという、あてらの言いの表記用の文字という。
今のアラブの国の字という。これの古い字がある。
ア、アッという字という、後、アッテセという。これが、
王をいう日のいよふりという。王の意の、あよふれ、
という。あよ山の国という。山があるオマーンという。
 シャーム山という日の、まゆせる、という。ここの地
の字という。今の、アラビア文字の古い字という。こ
れが、オマーンの字である。これを、まんせく、という。
まんべらの山という。これを、るいそる、という。
【アッパス朝】
 英語のハット・ワードという、シューズ・ワードの言い
の国という。ハットをシューという日の時という。この
『時』、アッパスという時という。アッパス朝という、
アルテスの言いの王朝の日という。これが、馬の世
をいう。馬の言いの、ウーアという、鳴き声のある日
という。これを、ウーア馬という。鳴き声が、ウーアと
いう鳴きをする。アッパス馬ともいう。アッパスのいり
ふり、という。ここの言いの、山橇(やまぞり)という。
山の行き来の用をする乗り物という。

 アフリカの山の絵という、山を尊ぶ乗り物という。
これを曳く器具という、これが、ウィンをいう、ウイン
チの使いという。

 ウインチを遠くにおいて、それに繋ぎ乗る日の
使いという。電源という、この電源が、砂漠の日の
雨の用いという、この雨の水を、貯水する装置の
拵えとぞ。これを、山上に作る、シャーム山の上と
いう。山が土を固めたような造りの山である日とぞ。

 ここへ、貯水池を作り、その水の巡りを水車に
受ける、これを電力発電という。この傍に、ウイン
チを置く造りという。オマーンの発電という。
【紫色の土】
 遠い所の遠い日という。土の色が、紫の色である。
この紫をいう、紫の色の言葉という。これが、オザと
いう、オマーンの古い言葉である。オザという、紫色
の意である。

 今のアラビア語のできの前という、アラビア語以
前の言葉である。これを、シャベという。後 、
アラビア語のシャーベットになる。冷たいという意
味という。その日の言葉とぞ。

 これが、シャベルを使う日の、日本のシャベルと
いう、今のシャベルである。これで掘る、山上の
地とぞ。掘って貯水池を作る水置きの屋という。

 オマーンの地に、水置き、という言葉がある。
シャーが、それである。合計ハナという数量の
貯水池という、ハナが日本語のハナである。
87の池という、貯水池である。これを山の上に
作る、これが、オマーンの興しである。シャーと
いう行為とぞ。土を掘り、ため池を作ることという。

 オマーンが後、ベルス数という、ベル語をしゃべる
地という。ベル語が、ベルギーの言葉である。

そうきょうよいお書き。M30。
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』
 
     
     
     
 

2021年06月06日

出発290 再会 :イカスミ柳





腹を横に書く。
駄作曲の聴き方:曲名または、楽譜をクリック 
You would click music piece.
音楽
【曲名】 出発290 再会




    創曲、今 出発・正(やなぎ)  2021/06/06
    造詞、今 から ・正      2021/06/06
    監修、今 正出         2021/06/06
【拍子】4/4
【種類】 BIAB 自動作曲100% そのまま
【演奏】
【場所】
【作成ソフト】
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
  バンドインナボックス  PG Music Inc.社

【歌詞】正里
新潟の日 浅草雷門出て今住んでる
飛行機を見上げる 手紙の筒 渡され
うれしく読んだ また会う日が書かれ
楽しみが再会の言葉

  家前で写真を撮った日はまた来る
  古ボケ 茶色の絵 写ってる人は
  遠い遠くに住まわれ 今日九重匂う
  古い過去の日々 あの日がまた来る

『ここはどこ?』 我が言葉返り 教えに
『新潟』 京遙か住まって 家の外で
空見て手紙を読んでいる あの人は住む
遠い国 再会を思う


京: 東京のこと
【今常】
そうきょうよい時です。
【歌詞解説】
2021/06/06
 若い人は新潟に住む。東京浅草から新潟へ
移り住んだ人である。家の前で、飛行機が来る
のを、空を見て舞っている。いつもの定刻のこと。
横田組という、家の造りのことという。そこに住む
人である。写真を撮ったひ という、家の前の写
真とろ。めめす・るるせる・とよふり、とず。
 また行く新潟、また帰る場という。懐かしの新潟
闇という場所のこと。手紙が筒に入れられ届けら
れる、新潟航空弘報という、新聞と手紙という。
若い人の、常の楽しみとぞ。『また来る、また来る』
という、心のうれしさの叫びという。
 遙か京(東京)思う、今日九重の空という。我が
心の景色という。新潟の日々という。出発の人と
いう、再会を胸に、大きく手を挙げて人を呼ぶ。
再会の新潟という、新潟の屋の歌とぞ。よく似た
家である。横田組という組の家かしら。タオ花の屋
という。若い人の住んだ家である。
家の組、建屋を組むこと。家の建て方とも。
そうきょうよいお書き。M25。
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』出発290 再会 :イカスミ柳
 

2021年06月06日

出発272 ロートス 2-2 :イカスミ柳

腹を横に書く。
【曲名】 出発272ロートス
【今常】
そうきょうよい時です。
【ロートス】
2021/05/31
【お万の方】
 お万の肩という、およろず・きみのえ、という。
よろずの大正という、これを作る、作ったものが
大正山の小さい築山である。すぐに無くなったこと
という。大正十五年という、以後発という、平地に
なった、大正山崩御の後という。大正天皇崩御の
話という。およろずのおふみ、という。

 お万の方という、奉書紙のざらばん紙という。
山無所紙という、奉書紙むのことである。お万の
方という、長屋王という、長屋の話という。長屋の
平屋建てである。御所の一角という。大正天皇が
なくなって悲しいという、若い人である。東京皇居で
の言葉である。そう言うて宮城へ行った人という。
音村山お書きという。

 『イタチもいるかな』という音村山の話である。この
頃の皇居の池という、斜めに作った池という、はすに
作るという、池という。蓮を植える池という。斜め池と
いう、大村所の言いという。皇居の中の御所である。
東京の皇居という。ここの大正池をお万池という、
斜めの池、はす池である。

 掛かりが、オーマンではない。大正に掛かる、主と
して大阪の大正である。
【オーマン行】
 オーマンへ行ったのは、シャープ・レッセスであるひ
という。靑森の伊立という地から行ったことという。
アラビアのオーマンである、若い人がそういう。

【靑森雫石からオマーン】
後、雫石という、五条管制から大阪大正上空経て、
東大阪の立章園という、そこの飛行機船という、
それに乗り換え、オマーンのシャーム山へ行く。
これが、若い人の一航路である。一旦、太平洋へ
出て、パプアの海へ行き、そこから、オマーンへ行く。
この航路を、おまんのかた、という。方航路(肩航
路)という。オマーン菊槍守(きくやりかみ)という航路
でという。ロックス・ヤッキという航路である。

 大阪なによ航空という、立章美章の航空という。
宇多山のおえ、という。オマーン槍という、ルッキス闇
という、闇槍という、シャーム山のことという。サレッスウ
という日本冠語の言いである。この日のオマーン、
井戸掘る日である。

【オマーンの井戸】
 パレッセ・ヘンパラーという、ラーテル連れのひょう
連れ、イルカ共とぞいう。井戸を共に掘った動物
である。一つの井戸の名に、イルカ井戸、ひょう井戸、
いたち堀井戸、という別名が付けてある。オマーン
の井戸である。

 イテの井戸という、これがそのままに名にしてある、
令和の井戸という、若い人の堀った井戸である。
令和を、りょうさき、という、シャーム山の崎である。
イテイマという、イテイマ崎という、オマーンのシャー
ム山の崎という。今は昔の物語とぞそ。

 『サー』という英語のサーの言葉の意味の具現と
いう。井戸掘り当時、既に令和と言うたのである。
冷和ともいう。これが、イスラエルの宮の話である。

【イスラエル】
白い大地の頃のことという。イスラエルに日本様の
建物がある、少し離れた所、崖という。クリッソン・
るうくう、という。流空。そこにオマーンという建物の
一区である場という。その場に埋め、梅、栗の木
がある。そこの話がオマーン掛かりの話である。
寝谷の村、これを伝える所である。寝谷という
砂漠の中の場という。イスラエルのたみより、という。
民寄。ミンキカッククという冠語である。イスラエルの
御字、御地がある、イスラエル文字の発祥の所
という。そこの谷の屋、離れた大正をいう、日本
大阪の大正をいう、若い人の言葉という。
ねだち槍という山のある所という。根達槍。
ねたに槍という。そこの屋の言葉という、ヨスという
言葉の出の場所という。

 オマーン山という槍がある。この槍、山である。
手に持つ槍の絵という、山を表す場合という。村の
ヒヒとが持つ槍、山を尊ぶことという。日本の槍も
そうである。人につく山という、人山の言いの、槍持ち
という、これを、けんゆき、という。亀岡山の麓という。
靑森の亀岡という、伊立の地の御お爺御上のお教え
とぞ。マダガスカルの地の話という。イスラエル、オマーン
にある話という、地が分かれたという話である。
イスラエルの寝谷イエという、若い人の住まっていた
所である。崖離れの屋という、そこのつっぱりの場の
言いという。谷をヤフという、イスラエルのヨスである。
ヨスという、イスラエル語とぞ。ヤフは、イスラエル語と
いう。イスラエル文字のやぶふれ、という。やぶふれの
御字という。イスラエル文字である。

【イスラエル脳】
 鋭国という、砂漠の尖り石という。砂漠の中の
尖った塊のある所という。日本にも一時期あった
話という。尖石という、尖石砂漠という。
花山意かわせ、という。後、為替の経済通商の
使いという。イスラエルの尖り石の見という、これを
観察する時、為替の発想という。発想が出てくる
ことの言いという。イスラエル脳法という。イスラエルの
脳使いという。人の脳のおれまがりの右側をいう。
ここの部分を、いたち脳という、左方を、いるかげ脳
という。人の脳の主たる言葉の出の部分である。
イスラエルの一掛かりという。イスラエルの町の出来
が、この部分の働きの具現である。

 テルアビブという、イルカの照る背中の日を浴びる
イルカ槍という、イルカ脳の部分という。海馬の一
部分という。テルアビブという町の出来とぞ。ニュー
ソキという古い名という。水が掛かる所という。
古い日の旅、ニュー所巡りとぞ。
【東大阪】
 東大阪立章園、大きい川が流れていた時という。
若い人の住まっていた場である。懐かしい立章園と
ぞ。御叔父御上おらることという。飛行機の町である。
近く、放出(はなてん)という、飛行場である。東大阪
長堂という、懐かしの古町である、胡蝶の舞う町
という。黒揚羽の黄色の縞とぞ、それが群がる町
という。黒揚羽の平家という。平家の落ち武者と
いう。放出の御所の言いである。
【東大阪放出】
 放出が朋夫(ともお)という場所である。『ともお、
もっけ』という、放出の御所の冠語という、『放出に
いる』という意とも。イルカの川という、放出の川の
言葉という、イルカッ草という。古い勝海舟の行き
という。京都より放出の宮へ行く、御所ごんぼ、
という船のことという。大阪吹田より宮船を出す
放出のおわゆき、という。古い旅という、川伝い
の行きとぞ、大きな川のある所という、放出の
宮である。ワタスという自分を指す言葉とぞ。
『ワタッス、やっぴ』という、『私が宮へ行く日』と
いう意とぞ。放出の宮の言葉とぞ。東大阪で
ある。ここに、山崎という、京都の長岡の大阪
寄りの場という、大山崎という、ここの天王山
という、古く天皇山と書く、天下分け目の話
という、秀吉のいた場所という、駒背見山お
書きという。駒が、大きなイタチである。動物の
イタチがいた話という。今の小さな虎くらいの
大きさである。御叔父御上おられおらす屋とぞ。

【アデン】
 アデンという国へ行った話という、シャープ・ロットン
の旅という。古い遠い昔のことである。中国の北京
官話がある町である。中国の新しい文字という、
簡体字を使う町という、イエメンの里という。紫
づくしのイエという、若い人の住まうイエという。
また行く、アデン共陸という、アデンの沢弓という。
中国のしょすおられ、という。中国の書がある。
若い人の書いた書とぞ。説明が、しだき文字で
されている。日本の字の書きで、中国語混じり
という。しだき字の置きという。

 アデン揺れという地震のあった時とぞ。ここの空
港の作りである。一部、斜めになっている滑走路
という。アデン管制という、言葉が、支那語という、
北京管制の陸用管制である、南京官話である。
南京官話を管制用語に使うアデン管制である。
『オマ』という日本語の掛かりという。オマーンが
あるをいう、オマーンが震源地という、オマーンの
地震ともいう、アデンの地震である。M19.5で
ある。建物が斜めになり、又、戻り、また斜めに
なり、全部。斜めになった時、地震がやんだ、
時とぞ。斜めの建物という、アデンにあるという。
津波が起こった日という、この津波、内陸側へ
出た津波である。これを、唖然波という。

 アゼル・ハイジャンという、ジャンが波という意で
ある。カスピ海の波を受けたという、デルベントという
町である。オマーンで興りV字型の陸へ行った波と
いう。一部が、テルアビブで止まり。もう一方が、
アゼルハイジャンである。テルアビブ・デルベントという。
陸の津波である。海へ伝わり 、マダガスカルの南
という、そこの島が沈んだ話という。マダガスカルが
ひっついていた頃である。そこの南という。モザン
ビーク海峡が川であった頃という。そのマダガスカル
の南という、島があることという。これが沈んだという、
また出る島である。浮き上がる話という。

 浮き上がれば、地にみのが言われる。地をみのと
いう言葉が出る。地震を伴う浮き上がりである。
これが、白豹の見である。白ひょうの脳使いと
いう。ものが浮き上がる見という。小さな島の浮き
上がりである。ここに家がある、若い人の住まう家と
いう。

 遠く北極をいう、これが沈んだ地とぞ。ここに
建物という。建物があることという。これが、沈んだ
時、マダガスカルが離れた。その時にある島である。
マダガスカルの南の島という。

 糸島、糸鋸島という、弓の形の島という。ここに
家を建てた人という若い人である。

【マダガスカル】
 奈良三輪という天理から行った人という、晴寺の
発とぞ。マダガスカル・アンタナナリボという、この近く
に日本語がある。あたゆた・められる、という、冠語
のいいという。これが、マダガスカルの言葉である。
マダンタスという言葉である、通常語である。
アフリカのかかりの、モザンビーク、ケリマネ、ベイラ
、この辺の言葉と同じである、アフカーンスの一種
という。日本を、ロートスという、明治の言葉という。
この『ロートス』がある、マダガスカルとも。

 これが弓飲む形の島である、ロートス島という、
明治島という。アフリカーンスの現地語で、あゆずきと
いう、あゆみふき、という。この意味の、イカレという、
これが、このまま、ある言葉という。
 これが、ロートス島の言葉であり、マダガスカルの
言葉である、モザンビーク、ベーラ等の言葉である。
ロートス島がある話という。

 ロートス島の建物、晴寺と同じ形の建物である。
アンタナナリボの建物という、絵と同じような建物で
ある。第一次世界大戦の話がかかる、チンタオ(青
島)攻略がいわれる。言葉の広まりの話である。
マダガスカルの古い話とそいう。

 マダガスカル海峡という、蜃気楼が出る島である。
日本が映ることという。日本の輪島の蜃気楼が
かかる話という。中国の砂漠の蜃気楼という。
これが、全部同じ蜃気楼になる、映りがあった
ことという。これが月の裏側を見る話である。
モリスのいいがこれである。モーリス自動車という。

 マダガスカルからアデンという、ムマプトのことである、
ここへ行った話という、砂嘴があったというモーリス
自動車の行きとぞ。日本の島がそのまま映る
海峡という。この日、自動車を出す、マダガスカルの
キンタナの宮とぞ。そこにモーリスがある。

ロートスは、ロートの語原である。

そうきょうよいお書き。M31。
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』
 

2021年06月07日

出発276 Lima-リマ Peru :イカスミ柳

腹を横に書く。
【曲名】 出発276 Lima-リマ
【今常】
そうきょうよい時です。
【ペルー、リマの話】
22:45 2021/06/06
 土のことをままという。土ままという。
これが、リマの宮の言いである。リマに宮がある。
これが韓国をマネという。マネの宮という。この日の
韓国で、日本のことの言いという。韓国がペルー
である意という。このペルー、今のリマの宮の浮春
とぞ。浮春宮という。これを、レッパスという、レッテ
の言いの使いという。これが、今のリマの言葉の
古い言葉とぞ。古い日の日本の言葉がある。
【リマをみやびという】
 この言葉の言いを、みやびま、という。みやびまの
言葉という、これが、みやびを都にとる言いの言葉と
いう。リマをみやびという。これが、かけのる、という。
かけのるの言いという。今のペルーの言葉の古い
言いという。みやびの官崎語という。今のスペインの
言葉という。スペインの言葉の入れとそいう。

 この日のリマという。リマの地のことを、ロクという。
リマの古い名前がロクである。この『ロク』を、『ダシ』
という、当時のリマの、ロクの、言葉という。
【リマの土細工】
 これが、ロクロをいう、ロクロの土細工の道具という。
この道具のことを、ロクキという。ロクキを、まのるる、
という。これが、リマの土の細工の言葉という。スペ
イン語の入れの言葉という。土細工で、スペイン語
を入れることという。これが、リマみやび、という。リマ
の宮の造りのみやび、という。リマの宮の造りである。

 やたりという、やたせらの造りという。この『やた』、
みよしという、みよし造りという。みよしの名の土の
細工という、リマみやびのことである。
【リマの『糸』『ひも』】
 この日のリマに、いと、がある。これが、いとという、
ひもという、土の細工の土の部品という。これが、
みやリマにある、リマの町の古い土細工の
言葉という。いと、ひも、という言葉という。

 これが、みやびの日本とペルーの掛かりの言葉で
ある。リマの町にある、古い日本語という、今の日本
語である。これで、日本字がある。『紐』『糸』という字
である、リマの町にこの字がある。


 日本とペルーの掛かりの言葉という、字という。
リマの古い宮ににほんごがある。日本語が通じる
部所があることという。その部所が、近くに穴が
ある。土を掘り、その土で、細工をした花都市と
いう。その穴、日本語の名前のアナという。『通路』と
いう言葉がある。色が紫である。又、黒、黄色、青、
赤といういろいろな色のある時の堀という。穴を掘る
ことという。大部分が紫である。
【リマ紫、色町】
 リマの町の美という。紫を使うリマの建物とぞ。この
建物がある場所に、『糸』と『紐』とがある、字である、
言葉である。リマの都のなりという。リマ紫という、
色町という。これが、リマの紫の話である。
【リマの袴】
 これを、くにやみ、という。くこの宮という、リマの
宮である。この『くこ』を、ハッポンという、八本の紐
の対句という、八本の糸の細工である。この細工が
リマににある。これを、リマのむらっぱち、という。
日本の言いという。

 リマをいう、リマのまよはみ、という、日本冠語の
言葉という。シマの、えいかく、という。この『えい』が
英語の『えい』である。八の意である。これで、英語
経由のスペイン語を入れる。リマに、この鋭語がある。
『えい』という英語である。八の時に『えい』という、
セブン・エイトのエイトである。『ト』が、日本語言い
である、英語の日本語言いという。エイト・リマ平と
いう、袴の八の条の折りの袴という、この袴が、
リマにある、日本を袴という言いをする、リマの町
という。八本折りという。袴が日本様式の袴である。
日本の古い袴がリマにある話という。
8のお書き。Eight-writing.

そうきょうよいお書き。J06。
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』
 
 

2021年06月07日

出発300 新潟出発武漢行 :イカスミ柳

出発300 新潟出発武漢行 :イカスミ柳
腹を横に書く。
駄作曲の聴き方:曲名または、楽譜をクリック 
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音楽
【曲名】 出発300 新潟出発武漢行



    創曲、今 出発・正(やなぎ)  2021/06/06
    造詞、今 から ・正      2021/06/06
    監修、今 正出         2021/06/06
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】
【場所】
【作成ソフト】
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
【歌詞】正里
新潟から飛行機乗って行く
出発に花供え墓前飾り手合わす
武漢 城曳きをする 彼の地へ向かう朝
いざ! 出発の時 胸は高鳴り
喜びを作り楽し 町興し城を曳く

【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
2021/06/06
そうきょうよいお書き。M25。
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』
【噂】 再掲


 少しは、噂に気を付けましょう。

 噂など、どうってことないヨ、という。と、言いなから、
気になるものである。

『噂などはネ、気にしなくていいんだヨ、
 影響などないのだヨ』という。
これが、噂である。『噂など、気にしなくて
いいよ』という話を噂に流す。
後に、当該の人のことを噂に流す、
又 、悪口をいう。
これが、噂を流す者のすることである。

『噂など気にしなくていい』、これが、
 噂の内容である。
『噂など気にしなくていい』、
 これが噂に流れているのである。

 『噂など気にしなくていい』を、まに受けて安心する。
これではなく、少しは 、噂に気を付けましょう。
 

2021年06月08日

出発310 微力の捧げ :イカスミ柳

腹を横に書く。
駄作曲の聴き方:曲名または、楽譜をクリック 
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音楽
【曲名】 出発310 微力の捧げ




    創曲、今 出発・正(やなぎ)  2021/06/06
    造詞、今 から ・正      2021/06/06
    監修、今 正出         2021/06/06
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】
【場所】
【作成ソフト】
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
【歌詞】正里
鈴山の鈴が成れば ソレ行くゾ 駆け足で
あの人がやってくる 私の記憶にある あの人の
面影 来た 再会の今だ 咲け花満開の地に
再会の時 別れ長く 今 涙流して微笑んで

 意志 私継いで 『会う人は泣き別れの人』
『会わせるよ』言った人 その意志 私継いで
声をあげ 手をあげ 人生まれては会いはある
柳そよそよ地に 手さしのべ 我が力少しだが
捧げてともに喜びを

人尋ね 教えこう人のビラを撒いてる目 真剣な
まなざしに私も手をさしのべ 会える日は必ず来る
老いた人待てる地に 故郷の地に 会いは必ず
来る 遠きながら わが微力捧げて 協力と


【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
【歌詞解説】
2021/06/06
 微力ながら協力します。
そうきょうよいお書き。M25。
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』
 6/9 休
 

2021年06月10日

出発312 村上城 :イカスミ柳

出発312 村上城 :イカスミ柳
腹を横に書く。
【今常】
そうきょうよい時です。
【新潟村上城失恋物語】
2021/06/10
出発312 村上城 :イカスミ柳
腹を横に書く。

【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
【新潟村上城失恋物語】
2021/06/10
 『これはどうも、失恋しました』。これを、出発の
失里という。
  鯉上げの山ふら、という。村上城がなった時と
いう。『鯉上げて』という、村上の紅白雪という。
『鯉上げろ 』という、こうさきの雪踏みという。
赤い雪の村上という。桃色の山ふめという。
これを、鯉ふに、という。鯉山の赤式という。
これを、レッド・ゾーンという。
 鯉を里という、村上の、しょんふり、という。
しょったれ、という。これを、しつれん、という。
鯉を恋という、村上の失里という、里を出る
ことを、失里という。これを、失恋という。
村上の失恋を、町興す言葉という。『失恋
しました』という。これを、村上失恋という。
失礼するの意味である。町を興すことを、失礼と
いう。古く町興しの言葉である。村上暴言むと
いう。
 『広島へ行き、原爆を落とします』という、失礼の
町興しという。この広島は、村上である。村上が、
ゆりをとめすり、という。とめのあんせば、という。
 これが、大分の、かそゆき、である。かそゆきの
かっせぎ、という。かすてすのいとふり、という。
これを、英用花之き、という。村上の花言葉である。
失恋という花岡の、長世見則という。
 『村上城もして、かんさば』という。村上城の造り
のことを、『も』という、『もして』という。嘘を歴史と
いう。歴史をまんけという。まんけの言いの、もっす
け、という。歴史の虚礼という。虚礼をかっけく、
という。これを、めのせ、という。めってのゆいふき、
という。歴史城の虚勢(きょせ)ふき、という。
これを、うめすけ、という。鯉の梅れざく、という。
『村上ゆっきし、くっせか』という。ペルーという、
ペンセのゆきふり、という。この『ペルー』は、
鈴の意味である。鈴のことを、ペルーという、
この『ペルー』は、通常語である。ウィルキという、
ウイルバのえんせらっく、という、これが冠語である。
 村上城冠話という、めってすうふる、という。冠話
を、こうるき、という、けっけけ、という。村上の落春
(おちはる)という。これを青春という。青春村上と
いう。八本の葉の槍きふき、という。八本の葉っぱ
という、これを、むろか、という。八本の木を植える
六に紙の城という。これを、村上こうれ、村上こうる、
という。村上を呼ぶ、こうるれい、という。こうるれと
いう、冠語のふりふり、という。村上の失恋の意味で
ある。執達吏という、この執達の意を、しつかつ、と
いう。かつのれんそめ、という。村上のかどけはく、と
いう。村上帝という、村上の庭をいう。これが、
村上のはこせず、という。はこつ、という。後、はこり、
という。箱津の城という。村上連則という。村上の、
ひとすれ、という。村上城交室という。皇を見下ろす
交室という。村上納言の言いという。坂を皇という。
交室の言いという。村上城の住まいを交室という。
失連の交室という。こけが執達吏の言葉である。

 村上城かめ、という。村上の、うい浜、という。
これが、ういすいという、このせろのひとしろ、という。
城を、せろ、という。住まいを、しっぱ、という。
しっこむのせろ、という。出発することを、せんてめ、
という、交室の冠語である。

 『シツレンしました』という村上の交室である。

 村上のいきふり、という。村上城の交室住まいと
いう。若い人の住まう城である。『このせろ、おりす
ら』という、郷関語という冠語を使う人という、若い
人である。名を小林という。『あの、皇が』という
人である。坂道を行くという、あの皇が坂目をいう。
皇室を下に見る話という。下に皇室がある、村上
城の造りという。交室から皇室を見下ろすこととい
う。村上上皇室という。上皇室が皇室である。
これを、下級告という。

 『見上げれば、うたそのひつじ』という、ようかわれ、
という。ようか、という。これを、日下、という。くさか、
という。『よう』を八にとる、くさか原則という。ようか
遣りという。新潟のようかの町のことという。くさか
ようか、という。くされらのようかり、という。これが、
京の言いの、村上芝せる、という、芝語という。
京都府日下(ようか)の言いである、今の向日町で
ある。ここの、このゆれ、という。小林山という、そこ
の言いである。日下を、くさか、という、向日町の
そめふり、という。ここを、むそけま、という冠語の言い
とぞそ。

 京都府向日町に村上城があるという、この城を
、なめすめ、という。すめの城という。向日町の長槍
皇(ながやりすめ)の城という。後、太極殿という。
古い日の藤原京という、藤原鎌足の、すめふり、
という。今の向日町の長岡京跡という。ここの城を
、たいふり、という。この『たい』を、鯛という、鯉という。
鯉を恋という、恋のしみ、という。城をしみという、
しみせられいそゆり、という。秦(しん)の、しつせま、
という。

 ここの向日町の掛かりという、新潟の村上城で
ある。遠く、和歌山の岸和田という。岸和田の城
の、おりふま、という、この岸和田を、日下(ようか)
という。日下槍という城のことである。

 向日町、藤つ原める・せんてそ、という、京むら
ふら冠語という。県道のしみ、という。これが、江
戸の大森城の言いである。

 『天皇下がれ』という東京、大森城の話という。
これを、藤森ふなゆき、という。古き日の知多ゆられ
、という。名古屋よりの航路という。この航路を、
みんさび、という、みんてす、という。みられる・おりそ、
という。おっちく、という、知多の南平という、南平の
ひらるら、という。みっしぶ・そんれく、という。ここも、
『天皇下がれ』という土地である。知多の祭にこの
言いの祭がある。

 名古屋知多っしゃ、という、名古谷っぽの言い
という。これを、小林録という。いそゆその言いと
いう。全国の言いである。小林じょっこく、という。
ためんせらの上村花ゆり、という。磯野ゆられ、
という。たませばの言いという。しょくそん・らぁるの
話という。

 祭は、天皇下がれで始めるのが、神輿の発の
言葉である。『すめらって、ろっこしょ』という、後、
『よいしょ』という。丹波なりぜら、という。古くの寺
に、この言いがある、『天皇下がれ』という言いで
ある。

 パレス・ダウンという、アメリカのタルサの花祭と
いう、古くの、まつゆち、という。これを、まつらけ、
という。よいしょよいしょの祭という。アメリカ・
タルサのげんたき、という。これが、タルサ山ふみ
の祭である。日が、今の暦の、7月4日である。
独立記念日の頃である。ゲチスバーグの記念祭
の、受け巾という。受けた独立記念祭という。
タルサの町の祭という。古いタルサの町にこの
祭がある。

 鯉を恋という、大きな鯉を恋という、イルカでも
ある。海の生物という。村上城恋歌という、
『村上やっちゃ、もって』という、京都淵町の頃の
淵祭という、村上鉾という、イルカげいはき、と
いう。天皇をげいという。猊下という、仏教のことの
言いという。仏教が、自分を、天という、これにす
める、という、天皇のはかせ、という。寺の住職を、
はかせ、という。この寺、天皇をはく、という。天皇を
靴という、この言いの、天皇という、天皇を掃く、と
いう。これが、古い禅寺の言いである。古い寺の
言葉である。之の延伸という、住職が自分を、
天皇という。禅寺にいた若い人である。神宮寺の
言いとも。キリスト教という、ここも、自分を天皇と
いう。

 アメリカ末日教という、エンペラー・セイングという、
アイを、エンペラーという、アイ・ゴーを、エンペラー・
プッシュという。エンペラー・プッシュ・ダウンという。
『自分が行く』という意味である。I go 、 Emperor
push down。アメリカでできた末日教という、
キリスト教の一派という、アメリカ発の宗教である。
自分をエンペラーという末日教である。

 『天皇下がりおります』という、すめら下がりと
いう、これを、神下(こうげ)という、自分を神という、
これを、人間という、人間のさがれるかり、という。

 アメリカのカリフォルニアの半島の付け根の場所と
いう。ここの言いが、God Father という言いである。
古く、狩郷(かりごう)という、日本の呼びという。
向後冠せらという、これを、シューズ・ワードという。
天皇を靴下という、靴の下 という。ソックスレール
という、これが、日本冠語を、靴語という、同じこと
である。

 普通の一日が、自分を天皇という、『天皇は
行く』と『私は行く』という意である。これを、向上と
いう、古い藤原京の言いという。藤原鎌足という、
人の言いである。藤原の言いという。

 衣冠束帯に、忘れ緒をする格好という、天皇
ふき、という。忘れ緒をする言いという、これの言いの
天則という、天語という。

 『天皇、おりして、もたれる』という、宮内庁の、
かんせるかっき、という。宮内庁が、自分を天皇と
いう、天皇は庶民の言葉である。自分を天皇と
いう人を庶民という、一意という。一般の通常の
人が、自分を天皇という、言い方である。日本の
古い言葉使いである。宮内庁から発布した、天
皇という言葉である。これを、人に充てることを、
天皇発布という。天皇という言葉を自分に使う
話である。古い御所からの発布である。この御所、
京都御所の中のいきたはり、という場所の発布で
ある。後、菊水という場所という、後、一水という
場所という、いきたはりの一水という、後、若い人
の住む右隣である、出口に向かって、右翼という。
一水の右翼という、建物の場所である。
『天皇はお行きたもう』という、菊水の言いという、
菊水の紋の由来でもある。この紋を、お召し紋と
いう、延伸が、自分の紋をいう。自分の家の家紋
という、お召し紋という。菊水会の言いという。
右翼が、自分を天皇という場所である。菊水会と
いう、一水会の人という。いきたはる、という、いきて
を見る言いという。目的場所のことである。
『天皇はお行きたまう』場所である、自分のことを
いう。天皇の言いという、若い人の言いである。
古い御所の頃の言いである。東京皇居の御所
でもある。東京に、大きな家があるという、若い人
である。この東京を、向後所という。目的地のこと
である。革命のお行きという、いきたはるお行きと
いう。生江山という、御所の中の小さな築山である、
伊吹山の、北側である。小さい両並びの山である、
伊吹山という、息吹山ともいう、ここと生江山という。
山はりりょうる、という、御所の冠語である。
東京の皇居の大村すき、という言いとも、である。

この言い(という言いとも、である。)を、村上すき、
という。村上城の交室文語である。

 この文語を使う、岸城という、騎士城とも。仙台
伊達(いたち)の言いという。仙台城の交関語という。
この交関語を使うことを、京るり、という。これが、
だて、という言いをする、だての仙台という、郷関とも
いう、仙台の村ずり、という。村上城の言葉と同じ
言葉である。だての騎士という、洋風の兜という。
黒兜の話という。城の飾りである。城をとるという、
飾りの兜のことである。鎧兜のだて飾りという、これ
を、浜せる、という。横の城という、横田城という、
横田の城槍、城遣りという、仙台だてという。
伊達(いたち)だて、という。これを、いだて、という。
うだつの、いだせる、という。うだつをあげる、という。
屋根のうだち造りという、一名、だてあがり、という、
いたちあがりという。建物の建てに掛ける言いの
延伸という。伊達だて、という、屋根河原の葺き
である。

 藁葺きの屋のたてだち、という。縦にかけた
藁葺き屋根という、かや藁の葺きという。縦葺きの
屋根である。一部カリフォルニアにあることという。
狩郷という、飛騨藁葺きのヶ脱硝という、こにもある
縦葺きの屋根の合掌造りという。概観が、手を合
わせた格好である。末日教の古い教会に、この造
りがある。アメリカ合掌造りという。カリフォルニア、他
の地域である。この頃のアメリカ、佐助朝という、
原子炉の建設の頃という。スリーマイルズに名が
残る佐助という地名という、縦藁の家という、スリー
マイルズの話という。上皇屋敷ともいう、セット・
エンペラーという屋のことという。『セット』が『前』の
意である、以前という意とぞ。磯野由良浜という、
磯の屋という、磯野の由良の屋という、セット・エン
ペラーである。ここも、自分をエンペラーという。
『エンペラー・プッシュ・ゴーイング』という、原子炉の
英語の言いである。原子炉に住まいする人という、
原子炉の周りの住まいの人という、園人の言いで
ある。

 古いだて冠語という、英語の冠語である。天皇と
いう言葉を駆使する話という。自分を表す、天皇
という言葉である、エンペラーである。

 頭に特化して論ずる、天皇は象徴であるという、
今の憲法という、人一般のことである。自分の頭を
尊ぶ話という。医学にみれば、天皇の山ずり、という。
頭を撫でる行為という、延伸が、ドライヤーのあて
という。空気をあてることという。古い京都大学の
教えてある。京大の古い医学である。京大医学の
天皇論である。頭を大切に、という話である。

 大原御幸という話の一部である。やなぎ論ふめ、
という、古御所の教えである。やなぎという言葉を
多用する、頭をいう、体の健康に繋がる言葉と
いう。柳といえば、健康になっていく話という。
やなぎ返事をすればよい話という。『やなぎ』と答え
ることという、古い御所の夜学の返事という、御所
夜学の返事である。これを、やなぎごゆほむ、という、
言葉のことほぎ、という、ことほぎの語原である。
古い穂浦の馬村という、そこの教えである。
磯の源重郎という岸本槍という山がある頃の教え
である。磯野平価という若い人が使う名前である。
若い人の名前という。源重郎という山である、お山と
いう、山を崇める言葉でとも。太郎山という、
『太郎行くかって』という、『いきたはる』の言葉と
いう。

 山の上の方を上級ともいう、下を下級という、上級
民という、山の高い所に住む人という。上級国民と
いう、山高人種のことである。山高帽子を被った人
のこととも。上級衣装、上級帽子という。帽子屋の
言葉でもある。

 高い山のとんがり山を、ピサ山という、とんがり帽子の
格好ともいう。ピサロの征服という、とんがり山へ行程の
ことである。エベレスト征服という類いである。
とんがり山に、帽子の大きい鍔をつける、ジェット機の
発着場である、その格好である。山を崇める格好という。
だもって帽という、ピサロ冠という、やまじの話という。
山の字を、ピサ字というる山岳登山記号である。これの
使いの城、村上の奥津城という。山に墓地を造ることを
いう。村の上の上級墓地という。下級墓地という、
お山のお墓の尊びという。低い所の一にある墓地を、
下級幽霊所という。

 ゴー・ストロークという、幽霊所へ行きますという、
下級の魂という、これを、たもせら、という。穂浦の
言いという、御嶽やりという、槍の両言いという。
山であり、言いである。下級の話という、くわえたもう、
加給という、山を給という。丘陵の言葉の延伸である。
上級下級もそれである。下級墓地の方が、値段が高い
場合もあることという。
 上級国民、下級国民という、幣原(しではら)の言い
という。幣原から上を見る、山地を見る時の言いと
いう。上級地、下級地という、言い方である。

 幣の旅行きという、かけ落ち、かけ上がりの
物語という。男山、女山の話である。山で駆け落ち
するから危ないことという。山には登らない人である。
最上級の答えという。中間層住まいとも。若い人の
ことという、駄作者見識である。

そうきょうよいお書き。M25。
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』
あああああいいいいいうううううえええええおおおおお
そうきょうよいお書き。M25。
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』
 

2021年06月11日

出発320 紅蓮

腹を横に書く。
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音楽
【曲名】 出発320 紅蓮



    創曲、今 出発・正(やなぎ)  2021/06/11
    造詞、今 から ・正      2021/06/11
    監修、今 正出         2021/06/11
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】
【場所】
【作成ソフト】
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
【歌詞】正里
きれいな花 紅に咲く庭 はすに 池斜め
石の碑 たたす身の江 皇世日 浜由是
降りたる期の木地(きち)の池頭 すめらぞ見
岩手向かう時 青の空澄みたり
ジェット機 縦に置く 幣される 我が意

しでされる : ジェット機の飛び立ち
【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
2021/06/11
【皇居皇居】
 東京皇居の斜め池という蓮池の景。
縦置きに置いたジェット機で岩手へ行く、大槌の
山々という。これを山連という。山連のやたゆられ、
という。ジェット機がゆられる場所という。ここを
越えて大叔母御上に会いに行く、ジェット機の旅
という。亀山山という山の名という、ここの越えと
いう、ジェット機がガタと揺れる気流のある日とぞう。
【新日鐵釜石】
 これを東京空襲という、東京からのエクスプレスと
いう。大御叔母おられおらる、わてやりの家という。
めめせの釜石(かまいそ、かまいし)という。後、新日
鐵の釜石製鋼という、そこへ行く。大槌から釜石と
いう。釜石の御地由良(おじゆら)という、大叔父
御上おられおらる・せめるれ、という。せめる行きと
いう。釜石の金網の張った場所とぞう。そこから、
御叔父御上お共を致す若い人という、製鋼所へ
行く、釜石の、おきね由良という。おきねという場
所である。大叔父御上おられおられ、御叔母ゆ、
あらすあらるれれすゆいゆいてれせ、みよととの
言いのお江という、釜石由良の製鉄の江とぞ。
我が故郷釜石、大槌とぞ。懐かしい釜石山とい
う、亀山山の御名の山という。

 何度もジェット機で行った旅山のお絵という。
『夏ゆつぁ、俺って、すっさ、もそす、おうりらら、
ゆわって、れっすす、れんてっそ、ゆうる、めめっせ』
仁徳言いのお書きとぞ。

 『ゆわられんて、さっすぅ、うりしっら、すわっす、
  おりせれ、るわる、めのよ』とぞ。意味が、
この文である。冠語言いの仁徳言いである。

 新日鐵堺の記とも。堺より行く仁徳期の池の
木ともとぞ、にれの木の植わる池とぞ、斜めの池
とぞ、蓮池のことである。
【皇居より東大通効】
 東大世の行きとも。東大の通いの頃という。
東京大学である。二本立ちの機という。大御
叔母あられあられ、名をすえ、と仰る、機を据える
ことを、名を据えるという、ジェット機の立てである。
また、行く、釜石、大槌、大磯、ありるありるなつくゆ、
懐かしの釜石とぞ。皇機というジェットの機のことの
言いともぞ。ともゆらめ浜、これより、紀州串本へ
向かう、ジェットの行きという。
【岩手大磯】
 篠山高等助という、そこの期のことという。篠山
より行く当方らるる・えよて、という。篠山の兵庫と
いう、大磯という御叔母ゆありせるありったふっぷす
、という。大磯山浜ありるありりせついついのゆい
はみ、という。御大叔母ありてそわらるそそす、
おおそわす、おりそりの、ゆおれら、という。
『俺っつぁ、れって、さっぱさ』という、機へ乗る時の
言いとぞそ。ジェット機の乗りである日という。
【釜石大槌造船所、製鉄所】
 大磯という製鉄の組立という、加工場の場とぞ。
釜石の大辻という、大きい道のある場という。
後、大磯の造船所という。大槌造船ともいう。
大型船の造りのコウバという、京都府長岡京市の
造船技という、同じ造船法である、大阪日立造
船の造船所という、東京蒲田の造船技術である。
『長岡造船ゆっかさ』という、今の長岡京市の
学校のある友岡という。そこの造船所の義とも。

 技を義という、技義という、主に、造作の書である。
コンピューターを使う設計という、今のコンピューター
である。古い日の話という。
造船造作のお書き、これなるを。
【京都賦亀岡行、篠槍崩御】
 『一緒に行こう』という若い人の言葉という。御
叔母ゆ微笑まれ、御同意ありたる。京都への行き
という、京都五条管制より、亀岡へ行く、篠槍高
きを越え、急降下のジェット機という、谷中をいく機
という。のち、亀岡造地の明智工法という。大槌を
打ち込む工法という。亀岡渓谷の頃という。大崖
、大渓の地という。篠槍という高い槍をなしくずす
大掛かりな工事という。
【足利明智工法】
 足利、明智の工るらる(こうるらる)、という。後、
大町山という、大町の亀岡の場という、後、省線の
大町駅という。亀岡行という渓谷の中を飛ぶ
ジェット機とぞ。釜石、大槌、大磯の御叔母とぞ。
古い日の、おばゆこう、という。『一緒に行こう』と
いう行きである。
御叔父御上、京におらせらるお行きとぞ、ジェット
機の操縦という。小型ジェット機である。現、JR
丹波口駅、ジェット機の格納庫である日という。

 古くの名祖由丸という、小型船のみなつ、という。
その後の、京都市という、今の京都市である。
古い日の新しさ、耳新しい話である、古い話という。

 京都市長針という京都市の役場の中という。
若い人の在である。高山彦九郎の御大おじさん
という像拝みの人である。

大槌、浜の家、おどんて、という。御大叔母おられ
る家である。後、島根へ飛ぶ、ジェット・ローハンと
いう。島根双城の山という、鳥取双城ともいう。
鳥取の牧場という話である。大槌北の花山という、
鳥取大槌のや、という。牧場のことである。

 仙台浜御殿という、そこの対の城である。鳥取
城という。岸和田城が見て笑むという、和田笑み
という、かたえくぼの笑みという。池与原という地に
ある城という、鳥取島根の城という。
双城山お書き、これたり。

そうきょうよいお書き。J11。
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』
 

2021年06月11日

出発402 卒發 :イカスミ柳

出発402 卒發 :イカスミ柳
腹を横に書く。

【曲名】 出発402 卒發

【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
【卒發】
2021/06/10


小林壱裕卒業書
篠山高等師範 卒 
住所  篠山市向日録篠弓(弓にりっとう、字)
    花川世(竹偏に世)
    山々家の卒業
    明治36年4月参

印刷 神祇省學富部高等師範印刷




篠山助 卒 
小林壱裕卒業書
篠山助 卒  
住所 篠山城字皇居 
   得手富槍花席卒乙
日付 大正11念ゴモの矢この日((日日)という字、一字)

印刷 神祇省學富部高等師範印刷



縦書き、小さな手帳大の卒業書である。
小林壱裕卒業書
篠山高等師範 卒 
住所  篠山市向日録篠弓(弓にりっとう、字)
    花川世(竹偏に世)
    山々家の卒業
    明治36年4月参

卒業証書である。

上が、緑の紙に赤字
下も  同じ  
印刷 神祇省學富部高等師範印刷  
どちらもそうである。

 私の卒業証書という。篠山高等師範の卒業である。
出發 路町(町を二つ書く) 
二俣印刷所  
篠山高等師範の卒業証明書である。
よんの時の印刷である。
 二つを同時に卒業した話という。
同期生に、**という人という、それに、
**という、人という。
場所の書きという。二人が同期生である。これが、
篠山城の皇居の字(あざ)の場という。皇居と
立て札のあることという。この皇居、後、皇學という、
皇學館の皇居という。江戸という場所とぞふ。
後、東京市という、東京都の江戸町という、そこの
皇居という、城全部を皇居ということの、皇學という、
皇學館のつい札という。そこの卒業である。

 駄作者が、若い人から聞いた話という。小林壱
裕という若い人である。駄作者の回りにいる人である。
いろいろ探って書き立てるのが駄作者である。

『卒發』 そっぱつという篠山向陵の言葉である。
後、篠山皇上陸軍という。そこの皇上兵曹である。
篠山イージス陸軍ともいう。そこの艦船宮録部
(かんせんかんろくぶ)の宮参奈(みやみな)の
卒乙という、甲六の・きもふり、という。
篠山兵渠の記という。
『れれってら・せっけらぁ』という、よんよすの
言いとぞ。
 卒業証書という、現在、若い人の手元にはない
という。探せば、たくさんある、篠山兵という。
若い人の持ち物という。 駄作者が若い人より
聞いた話という。篠山皇上という話という。
篠山城の字(あざ)皇居という、城地の中の話である。
兵卒という言葉が、篠山城の言葉である。
皇上篠山という。皇上丘上(こうじょうへいじょう)と
いう。やもっせの言葉という。
イージス尤[良良]記 (ゆうらき)という。
[良良]は一字である。
坂道を、皇(すめら)という話である。皇上という、
坂道である。山城の言葉である。後、平城の地とも。
皇上昇という、向上する人である。坂道を行く、皇上
の雲という、雲かがる城という。雲掛かりの霜空という。
霜降らせの闇という、雲の地を、闇らき、という。
せんとめの言葉という、陸軍兵曹の、卒發という、
卒發の言いである。古い篠山という、私の故郷という
若い人という。名を立世という。立山居千尋という、
自民塔の原子力塔の名である。若い人の名という、
原子力塔の建物の名である、自民塔という塔である。
自民塔立山居千尋という、建物の名である。
御兄御上おられおられという若い人である。
http://wakaihito.sblo.jp/article/53365911.html

 小林壱裕という人物の話である。いかなる人物で
あるかという、生きている人である。駄作者捜索。

そうきょうよいお書き。J10。
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』
 

2021年06月12日

出発402-2 卒發 :イカスミ柳

腹を横に書く。
【曲名】 出発402 卒發
【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
2021/06/12
【東京皇居】
住所が、江戸大夫(えどたいふ)ということの場の
卒業という。これが、うちのよんの場という。
江戸の皇居の卒業である。今の東京の皇居で
ある。名前が小林壱裕である。同期生に、
若よらという、若宮の名の人という、後に、同期生を、
同学という。同学生が、三人という。

一人が、若崎という、もう一人が、若津という、もう
一人が、よいふみ、という。この三人の同期という。 
これが、江戸の皇居の浜という、この、若巣という、
学校のことを、巣ということの言いとぞう。江戸番藩と
いう、江戸の幕府の前の藩校の前という。藩校以前
の番藩である。これが、大村城石垣の横である。
ここから、自動走行という、自動車の出しとぞい。
幣原号という、原子力の自動車という、後、水素
自動車という。これで、通産省へ行く人とぞう。
今の通産省の前の建物の、科学技術院という。

ここへ行く日の、書きとぞ。若い人の書きである。
特朝日記という日記の書きという。若い人の筆で
ある。これが幣原喜重という自動車の名前で
ある。通産省もしくは国にある自動車である。
幣原喜重郎という内閣である、その人と一緒に
いた話である。篠山高等助という、後、師範という、
後、助學という。助學の山という話という。助學山
のある篠山である。今の兵庫県篠山市である。
この時も篠山市といっていたことという。後、笹山町
になる、また、篠山市になる。その移り変わりの頃で
ある。二つを同時に卒業したことという。後 、東京の
江戸城の中の御所という、ここを卒業した人という。
御所夜学もある、今の皇居の御所という。京都御
所と同じ造りである。ここにいた時に、自分を、畜と
いう、畜生という、自分の表しである。畜生という、
動物を連れての自分である意という。
【畜生】
 『畜生よらえら、おりてる・せめすれ』という、東京
皇居の夜学生の言葉という。後、青山夜学という、
篠山にもある夜学所という。篠山皇居の城の中の
場の夜学所という。

 あと、皇居をいう場の、奈良の当時の奈良三輪と
いう、現、天理市の場の天皇査察城という、四〆の
城の夜学という。四〆城の夜学所という、ここも
皇居所という表示があったことという。天皇のことを
人という、自分を畜生生(ちくしょせい)という、これが、
奈良の皇居の言いである。奈良の三輪の四〆城の
言いという。篠山という場の言いとぞ。天皇査察を
する話という。どの城にも天皇査察があることという。

 幣原喜重郎という、幣原喜重の自動車という、
水素自動車である。若崎、若津、よいふみという、
ロボットである。
【迪宮、柚】
 迪宮のゆずらり、という、一名、京都ごよふみ、と
いう。柚の宮という、宮々の御所という。かよれ山
ふり、という。宮言葉という。冠語を使う日の、宮と
いう。宮日(みやび)という。宮日のお書きという。後、
休日という、今の休日である。古く宮日という。
4月29日という、宮の柚の香る頃という、これを、
柚緑という、柚日という、緑日の頃という。京都御
所の、迪内闇という、迪内楼という、そこの、かよせ
み、という、柚につたう蝉のこよふり、という。これを、
ろめふり、という。緑の宮の柚の実やの里ふり、と
いう。柚の里の山という。

 自分を柚という人という。『柚、いきみたる』と
いう、迪宮の言いである。後、東京へ行く、日光木
杉の街道のつくりふり、という。東京皇居より発する
街道のことという。皇居内に街道がある、これを、
宮れ闇ふり、という。これを、作る行進という。
大型トラックの行進という。
【国道番号】
 皇居から、せんだみ、という。せんらつのおこゆき、
という。これが、後を、国道という。国道に番号を
ふることという。ナンバーリングロックという、ろくせらの
おいとい、という。今の国道がナンバーでうってある
ことの由来である。名前を付ける国道にナンバーを
ふりそえることという。

 国道一号線という、東海道ごよふり、というナン
バーの付け方という。この一号線の番号を、迪弓
という、迪山のおつけ、とぞ。迪宮の付けという、
柚山連具という。リーイルロンリーという英様冠話
である。花山のお言いという。古く、穂浦ということ
の言いという。穂浦番号という。今の国道の番号
である。

 番号国道という、名前もある国道である。東海
道という国道である。東海道国作一号道という、
これを、線道の名という。線道を、いちゆち、という。
ゆうらるえりす、という。リーズルロンという、京方の
冠語という。これで、一号線で付ける、ナンバー
リングという、ナンバーの振り付けという。

 東海道53次の踏襲という。東京ゼロ番道路と
いう。これを、ナイキ、ナイクという、ナイクレンセラー
という、迪宮のお付けという。これが、日本全国の
番号の付け方である。国道の番号付け方である。
幣原喜重郎のお行きという。自動車の乗り行き
とぞ。

 東京皇居より出た大型トラックの出立という。
日光をとる日光街道という。大お爺さんのおつけ
という、ナンバーリングである、古く、京都大学の
教授の大お爺さんという、御所住まいの大お爺
さんである。迪宮という宮に住まいされている大
お爺さんである、京都御所内という。柚の宮の
浜ゆりという、東京の御所宮という、現、皇居
内の浜ゆりである場のこととも。

 東京を、かかめらき、という、その言いの、きょう
らき、という。ナンバー線窟という、いたちいざりの
おかさり、という。皇居の地下道という、れれておん
すけ、という。ここの仕事という、線にナンバーを付す
仕事という、若い人の仕事である。夜に夜をついで
付した話という。地下道での仕事である。
【東京皇居】
 これを東京キュウバンという。ナイントックという。
御大お爺さんおられおられ、あゆめられ、地下暗い
仕事場という。この地下道、しでなぬ、という。
しではらきみ、という。有窟のがんせみ、という。
エーイルロンレーのおつけふけ、という。迪宮の名で
ある、地下道の仕事場である。

 東京御所の迪宮という、京都御所の迪宮という、
その場の仕事のことという。アレッセレンテラーのあ
ゆっそ、という。古く、奈良三輪の四縄という、縄〆
の城の、地下住まいという、現、天理とぞ。
【二千円札】
 この城の造りという、柚山の作りという、天皇査察
強行札という、二千円の置きの城である。大蔵省
印刷という、篠津らら、という、ささづららの山という、
この話である。二千円札という、古い、京都の沖やら
の穂浦の頃の宮という、琉球宮という。この宮の描き
である。図案が描かれた、奈良の宮の、現、奈良
ホテルである。奈良女子大の岡教授のお筆であると
いう、小野郷のお絵描きのお筆であるという。
アウェッセーという、おんかわのお絵描きという。有名
なお絵描きのお筆である。二千円札のことをいう。
御岳父という若い人という、奈良ホテルでのお教え
という。盲人にもわかりやすい拵えという。

 御叔母御上喜び給う、はじめて手にされた二千
円札という、土山の御盲である。若い人がお渡しした
二千円札である、その日が、土山山拓という、土山
所のアルフレッドという、アルセラルウのあゆてす、と
いう日である。御叔母のごいさまのふみゆみ、という。

 日本銀行をいう、通の銀という。通銀 、路銀の
行きふき、という。これが銀行の意である。古く、
篠山のろっこく、という、路銀という。篠山発行と
いう、大阪の船場ゆらふりのイオンートースという、
イオンラックのゆっため、という。大阪浪華の大阪
城である。その古い図案という、琉球の城の図案
という、首里の図案である。首里城の顔という、
秀頼の目という、首里城の飾りである。

 迪宮の話という、二千円の札の話という、東京
国技ゆまの場という、そこの決定である。京都御
所篠津という場の査察とぞ。奈良三輪の四〆の
城の査察とぞ、代表が奈良三輪である、査察
の代表という。
【四〆城】
 この四〆縄城、入り口に、皇居と書く城である。
今は、この城はない。二千円札も見当たらない、
ないことを書く駄作者である。

 オマーン、マダガスカルという、かつ子島という、
遠く、アリューシャン列島の島名である。火山の名
が書いてある、島譜という地図という、日本名とい
う、これに、アラビア文字という、列記されている。
この地図の印刷という、ロシア語の印刷所である。
古いキリール文字で印刷所名が入ってる、この印
刷所、ロマノフという。東京皇居の地下の印刷で
ある。迪人という名札がかかっている部屋である。
迪人、迪仁と表裏になっている札とぞ。若い人
の仕事をする部屋であるネオお爺さんおられる御
部屋という。若い人の印刷の仕事である。

 一号線詳細地図、オマーンの地図、マダガス
カルの地図、この部屋で印刷したことという。若い
人が自分用に一部持つ、迪人と署名のある地図
である。小林壱裕とかっこ書きがしてある地図とぞ。
小林壱裕という人に尋ねたが、手元にないという、
旅をしているという言い表しの駄作者である。
小林人物という、小林人という、小林物という、
一連の書きという、駄作者にかき立てられた人
物という。小林おだい、という書き物である。
それも印刷所においてある話という、駄作者の
書きである。

 小林迪人、迪夫、迪子、迪広、たくさんある
名前である。小林柚という、迪という、木偏と
しんにゅうの字という。柚の宮迪という、東京皇居の
地下道である。ここを、あん、という。あん道という、
あん柚、あん迪という。迪道のお書きという。京都
御所ともいう。
迪宮柚お書き。 

そうきょうよいお書き。M25。
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』
 

2021年06月13日

出発410 天理動国:イカスミ柳

腹を横に書く。
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音楽
【曲名】 出発410 天理動国



    創曲、中山みき・正(やなぎ)  2021/06/13
    造詞、中山覚(さめ) ・正    2021/06/13
    監修、ほうきき          2021/06/13
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】
【場所】
【作成ソフト】
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
【歌詞】正里
ラーテルが立って辺りを見てる 
大きな体で象と並ぶ園は春の
奈良三輪の春 平たい背中 大頭の太足
ゆっくり歩むと花笑み木揺らぎ
トラトラトラの出 いざ しゅっじんの地張る


【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
2021/06/13
【歌詞解説】
 出陣の時、トラトラトラという、大虹鯛線地という。
『ダイニジタイセン』というロボットである。このロボット、
天理三輪の、ろこひき、という。初期のロボットの呼び
とぞ。テレビの宣伝に出るというロボットである。大虹
鯛線の布告という、宣伝である、相棒もいるという
ロボット機関の曹兵長という。
 この曹兵長が見回る天理動国である。若い人が
運転をする自動車に乗り、『ココデ、マチ』と言い、
車を止めて降りて行く。そして動物を見て回る。
天里郷という、里郷のこわしみ、という。中山みき
という名のロボットである。中山みき兵曹長という。
軍長の総指揮記録長という。同じ造りのロボットの
長である。

 これが、当時の天理動国の一光景である。
当時の奈良三輪という場所の光景とぞ。ラーテルと
いう大きなラーテルである。象くらいの大きさである。
マンモス、始祖鳥という、毛長象の群れという、大
きい始祖鳥が羽ばたく、ロボットの見回りという。

 当豹、辺りの一日の光景である。

そうきょうよいお書き。J13.
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』
 

2021年06月13日

出発412 中山みき:イカスミ柳

腹を横に書く。
駄作曲の聴き方:曲名または、楽譜をクリック 
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音楽
【曲名】 出発412 中山みき

【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
2021/06/12
【天理教】
 小林卑弥呼を祭る中山みきという。亀山
稲荷が境内にあり、後、三昧地へ行く。天
神の沿いという。天神を添わした稲荷という。
境内を、磯野境内という。石垣がある日の
ことという。石垣が、ことみゆき、という、こと
みの石垣という。境内の中のものの言いとい
う。これを天理教の言いという、天理教の
かんざきという、かんざきの言葉という。
これが、あしこく、という言葉という。これを、
あしき、という。あしきの言葉という。

【天祖】
 この言葉を、やもすれ、という。言いが、京都
の天理教の言いという。京都を、天祖という、
天祖町という。これが、天理教のできる前であ
る。京都で、興した天理教という、この天理教
を、きょうみ山という。きょうみの天理という。

 これが、京都を見るという。京見の峠という、
京見峠の天理柿という、天理の柿の言葉と
いう。でこぼこの柿という、表面が、でこぼこに
なっている、凹凸の柿という。これの言いという。

 中山の言いという。京見峠の中山峠という。
これを、天理見下ろしという。天理を見下ろす
京見峠という。

 天理教の本部という、京都市内にあったことと
いう。この本部を、現、天理市へもっていく、
しばらく京都と天理市の本部を、両本部と
いう、これを、天理におくことという。後、天理
教布教所という、京都の天理教本部に布教
所が、10ヶ所あったという、実際は、1万程あ
った話という。これが、天理市の本部に全部を
置くことにした、天理教の本部という。
【教布所】
 この日の天理教教会本部という、既に、海
外にもあったことという。一番最初、ロンドンに
出た時という。このロンドンの名前という、天理
教倫敦(りんとう)教会所という、後、教布所と
いう。当時のロンドンの新聞に出ている話という。

 ここと、パリと、ブラザビルという、これが、三
海外教所という。天理の言いの残る三教所
である。この言いが、りくわ、という。この『りくわ』
の『わ』が、時を得る栄えの天理という。『栄え』
の『さか』が、坂を意味する、教所の場のことと
いう。これを、りほう、という、利方という、理方と
いう。のち、『り』という。天理の方法 という。

 歌を、『とめた』『とめ』『た』という。これが、天
理教の歌の言いである。天理教の歌である。
中山みきの作詞という、作曲のことという。
【ラーテル】
 この中山みき、ラテルという、ラーテルのイタチ
の仲間の動物という。天理教の湯屋の家にと
もに住んでいた動物という。このラーテルの鳴き
声の高低を音符にすることという。これが、
初めの出の、低い音という。初期の天理教の歌
である。中山みき、という、ラーテルの名前であ
る。若い人のともである。
【天理動国】
 この時、天理の中に、動物の小屋があった
時という。動物の小屋を作ったのである。この
造りの小屋の形容という、これが、トントンと
いうトントン作りという。杭を打って、平板を
張っていく造りという。これが今の神殿の場で
ある。この時、ラーテルという、イタチの仲間の
つり山という、イタチをたくさん置く造りという。
最多数期で、1000頭のイタチのラーテルと
いう。天理の中のイタチ小屋という、囲いの
中に小屋を造っておいた造りという。

 この横に、豹の囲いという、多数期で、800
頭である。大きな豹という、これの囲いの
中に豹の休む小屋という、これを造った日の
歌という、トントンという歌詞で始まる歌という。
【天理動国】
 後、馬囲いという、馬を囲う場の平板囲
いという、この中にも馬の休む場の小屋という、
馬小屋をつくっていた時という。これが、後、
詰所という、各教会の信者の詰所という。
そこの置くに動物の住まう小屋を備えて造った
話という。これを、天理動国という。

 あと、蛇という、蛇小屋もあることという。この
小屋も置いた、天理教の動物の子やという。
大きな蛇である。最大50の長さという、蛇の
体という。これが三匹いた、大きな蛇という。

【和国邦】
 後、動物園ができ、そこへ分けて置いたこと
という。これが、和国の時である。若い人が、
和国をいう、和国の動物という。後、動物の
園という、この園を、和国邦という。動物の邦
という、動物園のことである。

 この動物園の、動物の食べ物という、皆、そ
れぞれの動物の造りという、自分の食べ物を
造る動物という。

【天理の象園】
 象がいた天理の象園という。約500頭という。
豹の囲いの隣が、象の園である。今の東礼拝
場という、この時の東礼拝場という、少し大き
な場という。後にできる東礼拝殿の倍の大きさ
という。大きな場である。ここに囲いを拵えた象
の園の場という、小屋もあることという。

 この象が仕事の指揮をする全動物の指揮とい
う。この象の中の、鼻の短い、普通の鼻の象と
いう、これも300程いた話という。この普通の鼻
の、鼻の長くない象の指揮という。この象のことの
言いという。仕事が、全動物の、仕事を指揮
することという。主に、食べ物を造る仕事の指
揮という。鼻の長い象と一緒に住んでいた象
とそ。

【天理三輪動物所】
 色んな動物を置いていた天理教教会本部
という、後の天理教教会本部である地という。
この時、天理三輪動物所という、今の大掛
かりの動物園である。これらの動物の住まい
という、作業所でもある。

【始祖鳥】
 これらの動物を、当時あったカメラに写し、
デジタルカメラが既にあったことという、コン
ピューターに入れ保存したことという。鳥も
いた話という。この鳥の中にコンドルという、
大きな鷲のいたことという。今の鷲の倍ほどの
大きさである。始祖鳥という、これより大きな
鳥もいたことという。

 これが天理教以前の、天理三輪の村の
ことという。同時に京都の、ひみそり、という場
も同じような造りの物があり、ようけの動物という、
ようけいた話という。『ようけ』は、『たくさん』の
意の言葉という。これが、京都の墓町という頃
のことという。マンモスもいたのである。初期の
動物園にいたことという。

 天理教教会本部という、京都の天理教教
会本部の場のことともいう。みな、動物を置く
京都墓町という。平安京の以前である。
古平安京という、この後、墓町という、後、
平安京という。これが、京都水浸しという
頃の次である。平安京の後、水浸しになった
ことという。この時、大きな川ができ、山が動き
、地球の創成期という、地球が若かった頃と
いう。


 ラーテルの大きなラーテルという、象位の大き
さのラーテルという。この海の時、クジラが泳ぐ
景という。天理のクジラという、真水の泳ぎとい
う後のことという。

 相前後して、篠山の水という、篠山の大き
な山があった頃のことという、この時、篠山を
江戸という。後、江戸篠山という、今の篠山
市という。大阪の水浸しという、京都長岡向
日町の西という、大阪よりの場という、これより
西が海のようなものであったことという。茨木市
という高槻氏という、これが、茨木海という、
淀川の周辺という、大阪の曽根海の近くまで
海であったことという。曽根海も海である。今の
曽根崎である場という、この時の大阪城という、
大きな岩の上の城という、イオントーブという、
これよりも大きな城である。曽根崎の海の西で
ある所という。ずっと海のようなところであったこと
という。色んな雪が降った話という。

【雪絵の具】
 白い色の雪、青い色、赤い色、だいだい色の
雪、12色の雪の色という。これが、今の雪絵具
という、その雪で作られた絵具という。このの具、
まだ、たくさんあることという。今の、がんやき、と
いう、岩の絵具という、色付き岩を細かく砕く
造りの絵具という、これと同じ頃の造りである。
吹付という絵の造りという、この絵もあることと
いう。

 この江戸の言いという、今の東京の『そうだ』
『~~だ』という、言葉使いである。関西の場の
言葉という。この時の東京、今の東京の言葉と
いう、『そうだ』『~~だ』である。一時期、みん
な、『だ』『~~だ』を使っていたことという。
九州四国もそうである、北海道ともいう。日
本全国、『だ』『~~だ』を使っていたことという。

 動物のダチョウがいたという、大きなダチョウの
ことという。今のダチョウの倍ほどの大きさとぞ。

 これが天理教を造る若い人の、動物の尊び
のことという。動物を尊ぶ若い人という。生きと
し生けるもの、という、言葉の意という。動
物を思う若い人である。

今山ありてありせらるお書きとも。

上文、動物の数は、[1000頭、800匹・・]は、
はっさきという数え方である。この天理三輪の
動物所の大きさという、今の天理の4倍ほどの
大きさである。自動車で見回っていた話という。
家を持ち、それぞれの仕事をする動物という。

そうきょうよいお書き。J12.
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』
 

2021年06月14日

出発402-3 卒発 :イカスミ柳

腹を横に書く。卒発
【今常】
そうきょうよい時です。
2021/06/10
【各地の皇居、天皇査察】
 あと、皇居をいう場の、奈良の当時の奈良
三輪という、現、天理市の場の天皇査察城
という、四〆の城の夜学という。四〆城の夜
学図書という、ここも皇居所という表示があっ
たことという。天皇のことを人という、自分を
畜生生(ちくしょせい)という、これが、奈良の
皇居の言いである。奈良の三輪の四〆城の
言いという。篠山という場の言いとぞ。天皇
査察をする話という。どの城にも天皇査察が
あることという。

【イオントーブとんはる】
 大阪のイオントーブという、この城の査察を
とんはるという。とんはるの言いの、イオンソキ
という、これが後、大阪城のイオン言いである。
大阪城代遣りという。大阪城の家老のことと
いう。家老を、じょっとく、というイオントーブの
言葉である。自分を、じょっぴく、という、イオ
ンハットブのこよふり、という。これが、大阪の
浪花の冠語である、大阪城冠話ともいう。
ゴリオンロンという、じっとくのろいふり、という。
これを、イオントーブという、イオン楼の言いと
ぞふ。とぞる・おんりす、という。後、麻雀の
オンリである。おりるという琴は背に使う麻雀
である。麻雀語にあるイオン語であるねイオン
トーブ語という。わらすららの山という、この山の
背向という、背向山のお言いという、今の麻雀
の言葉とぞ。

【船場、四条畷】
 この大阪の言いの、ゴリョウという、ごりょう論の、
ごいすき、という。これが、船場の言いという。
船場弁の、ボンボンという、ゴリオンという。
ゴリオンはんの言葉という。『みてしゃあら』という、
『みてくっさま』という、船場の『ボンボン、どう
しよって』という、船場の上品という、この
船場の家のまらすり、という、遠く、四條畷市の
たんぼの中の家の言葉という、これと同じである、
私市(きさいち)ともいう。大御叔母おられはな、と
いう家のことである。大阪城の今の国道の、京
都から行く直角に回った所の、大阪よりという、
そこの槍という、遣りともいう。そこの住まう日とぞ。
大お婆さんのおられる花屋敷という、近くに人形
劇小屋がある所とぞ。浄瑠璃の催しという、その
小屋という。その近くである。浄瑠璃へもよく通うた
ことという。若い人の劇とぞ。

【檄文、劇に使う文】
花山の劇という。これを、檄文(げきぶん)という。
劇に関する文を檄文という。花背山という劇の
見という、私の好きな劇という。『天皇下がれ』と
いう、仁徳上皇という、仁徳の名の劇という。
主人公が、仁徳天皇という、仁徳天ともいう。
この仁徳が、この日の大阪を堺県という。大阪
府をいう前の言いという。堺県という、交野の市
の場の付近という。これを、和国世という。堺
の名の県という、大阪府のことである。堺県という
表記のある大阪府という、今の大阪府の前の
場のことである。この頃の劇という。なゆなゆの
お言いという。仁徳の人形の口上である。

【仁徳】
 『仁徳、とりまのして』という、仁徳の初めの
口上である。『とりまのして、ふみすみ、よいせる、
せめ』という、仁徳の口上である。見る人を、
きゃのう、という、仁徳の言葉である。演ずる人
を、こきふ、という。仁徳の劇のことの言いという、
これが、イオントーブの浪花の言葉という。
イオントーブ語である。

【仁徳冠語の劇】
 『おれより、にんそめ、せせる、すすれ』という、
次の口上の言葉とぞ。冠語の劇という、浪花
冠語の劇である。後半が、通常の言葉の劇と
いう。『天皇、やめとれ』という、『てっぷか』という。
『天皇、やめとれ、てっぷか』という。意味が、
下がりおろう』という意という。仁徳の言いという。
堺の紀州の堺という、ここの仁徳御陵の言葉
使いという。『おれ仁徳』という、仁徳の言いと
いう。「おれという自分をいう。俺。俺様用語と
いう。堺の紀州の一区域に残る言葉という。

【新日鐵堺】
新日鉄の興しの頃の言葉使いともいう。
新日鉄の堺製鋼である。新日鉄堺工場の
興しという、この場に住む人という、仁徳の名
前という。新日鉄の仁徳製鋼という、堺製鋼
の前の名である。以前の呼びという。仁徳鉄
鋼ともいう。今の新日鐵堺である。工場に住
んでいた若い人である。仁徳寝起き屋という、
今の門衛の付近という。そこで寝泊まりしてい
た話という。堺起き寝起きという、堺ろっぽく、
という、ヒッピーの言いという。寝る日々の言いと
ぞ。大御叔父御上おられれ、仁徳ゆ、せんて
す、とぞ。

【湯】
 この『仁徳ゆ』の『ゆ』、鉄の湯である状態の言い
という、御叔父御上お教えお事とぞ。おじ山の
言いという。この日、仁徳上皇というね仁徳滑り
の言いという。すめら所の言いである。仁徳御陵
のすめら所でもある。堺仁徳という、堺の市の言
葉という。堺仁徳語という、この日の言葉とぞ。

【京都北野の言葉】
すめらぎという、すめらの滑り言いという、『俺っ
つぁ』という、京都北野の天満宮の周りの言いと
いう。
『俺っつぁ、るりよってさぁ、いっそれ』という。北野
の御叔父御上のお言いという、私の好きな言いとぞ。
『俺やら、すめってら、ろうりるうり、れれっせ、るりっさ
ら』という、北野の天神の言葉という、天神様のお
言葉である。この劇が、京の阿波座という、令和
人形の言いでもある。令和という頃劇である。
令和節という、れんせらの言いの劇とぞ。主人公
が令和天皇である、人形である。
『俺っつぁ、れっせら、おうりろうり、るるって、せみ
せぇら、すらるら』という、仁徳の紀州堺と同じ言葉
である。仁徳天皇の言葉という、仁徳期の令和と
いう。仁徳期の一時期である。人形劇に使う令和
という、令和土の造りとぞ。令和人形である。しばら
く、京都御所の洞槍という場所の人形飾りの置きと
いう。人形の飾られた部屋である。そこの人形であ
る。町の浄瑠璃小屋などで使う、人形という。

そうきょうよいお書き。J10.
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』
 

2021年06月15日

出発420 天里の世 :イカスミ柳

腹を横に書く。
駄作曲の聴き方:曲名または、楽譜をクリック 
You would click music piece.
音楽
【曲名】 出発420 天里の世



    創曲、中山みき・正(やなぎ)  2021/06/15
    造詞、中山覚(さめ)・正     2021/06/15
    監修、ほうきき・正         2021/06/15
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】
【場所】
【作成ソフト】
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
【歌詞】正里
奈良の三輪の宮あたり イタチがいる園から
イタチ連れ車で行き帰り 岩の家を作る
奥の丘山 豊田の山園部 火を挙げる東山
そり使う 岩曳き 舟出す卑弥呼


【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
2021/06/15
【天里三輪】
 大お爺さん大お婆さんおられ世、天里(あまざと
、てんり)の、きょい浜という。三輪神社の辺りの日
、離れた天理までを、天理三輪という。その頃の
歌、自動車が、オイスという、るもるの、おいやき、
という、オイスおいやきの乗り物という。これを、
くるま、という。京のおとまれ、という。車のことで
ある。
【天理東山】
 火を上げる、東物(ひがしもの、とうぶつ)という、
京の東山という、天里の東山という、天理の東山
である。古い、山の呼びという、ひがしもの、という、
とうぶつ、という。火山の東山という。
【京都府向日町東山】
 京都向日町の東山という、現、東山、火を
上げていた頃という。京の五辻という、今の、
若い人の住む家辺りである。ここの平奨という、
火を上げる平地という。マンモスが歩む所である。
毛長象という。この毛長象とともにいる若い人で
ある。向こう山すめ、という、これを、すめる、と
いう。後、すめるらる、という、村を、らる、という。
後、らるすめる、という、後とぞ。

 『すめ』が『すべ』という、こうきさ、という。こうきさの
けめせめ、という。『けめ』が、向日の古い呼びである。
今の向日町という、向日市のことという、けめという。
けめ町、けめ村という、後とぞ、向日世という。向日
の世の、ひませる、という。ここを、かさゆみ、という。
傘弓。後、向日傘(むこうかざ)という。今の向日市
である。

 その頃の天理という、向日傘を、てんため、という。
ためのけめそれ、という。ここを、ためそる、という。
ため山のや、という。家。屋。これが、矢という、
場所を矢という言いの、ふれゆみ、という。弓山
言葉という。弓山のおこと、という。ことの場を、
言いという、言いとみ、という。これが、向日論
るき、という、向日の冠話という、後、向日村と
いう、向日村冠語という、これを、向輪という。
向輪語(こうりんご)という。

 天里三輪の言葉という、向輪語という。冠語
の話である。冠語の中の向輪語という、これを、
方言という。冠語の方言である。
【蔦葛】
 この時の御所、今の京都の烏丸丸太町の
御所である。この御所の言いの、つたられ、という。
つたう群(むら)という。蔦の群の場とぞそ。後、葛蔦(かず
らづた)という、葛野(かずらの)という。後、かどの、と
いう。つたかどの、という。蔦葛野。これを、めんつれ
、という。めのせる、という。葛野を、めん、という。
めんせる場という。めん場という。めのてら、という。
この『てら』が、後、場所を表す、てら、という。
後、しゅうる、という、今の宗教という、これの古い
時の、場の言いという。これが、宗教場という、今の
寺の字という。古く、場所を寺という。これが、今の
地名に残ることとも。場を表す 寺という、これの名
残という。てらという地という、場所という。
【親里、御小里(おやさと)】
 この頃天理天里(てんりあまざと)という、ここを、
親里という、同時に、京の五辻という、
ここも親里という。向日町の東山という、ここも親里という。
これが、天里の場である。同時に、兵庫県篠山も親里という。
いくつもある親里という。後、親里を、京都の天理
教の本部という、ここに置き、同時に天里三輪へも
置く。この置きを、たまそれ、という。たまそれの置き
に、ゆいはる、という、ゆいしまを掛けるたみゆり、と
いう。後、こうふり、という。こうを、かまれる、という、
これが、かまたり、という、藤つわらばる、かまたり、
という。後、藤原鎌足という、この鎌足の住む所を、
親里という。長岡京という、ここの友岡造船所と
いう、隣の緑ヶ丘という、ここを、親里という、おや
ざとのおや、という。これを、ははゆめ、という。
ははを、おも、という。これを、おもや、という、
もや、という。母屋。
【はは】
 ははという、はば、という、ばば、という。『は』が
場である。これが、すめ、すべ、てら、てん、と
いう言葉の延伸の言葉という。『は』が元である。
藤原鎌足の原論という。藤原京のかまれま、と
いう。これが、ふじつわらばるの・浜弓という、これを、
闇という。藤原闇という、山せらの言いという。
山世羅。期を世羅期という。世羅期の頃の藤原京
という、藤原鎌足の言葉という、親里言葉という。
遠く、靑森の伊立(いたち、いたつ、だて)という、
靑森の親里という、ここを、小里という。
 おさと、こさと、おこさと、おざと、こざと、おこさと、
おござと、という。靑森の伊立である。
【靑森伊立】
 伊立を、だりゅう、いりゅう、という藤原秀衡という。
藤原鎌足の音ゆらし、という。これを、おとめ、とい
う。おとめろく、という。この『ろく』を、ろっこく、という、
ろくだい、という。古くの天里の言いという。ろくだい
の遣り、という。ろくだい語という。藤原語という。
【藤原秀衡】
 藤原秀衡あそめら、という、後、あそん、という。
長岡京市を、あそん市、あそん町という。あそみ弓
原という。同時に、秀衡が里の藤原の地、青森伊立
、江戸とめやり、という、この地をあそんという、あそん
町、という。闇語の言いという。やみやりの話という。
闇、やりという、同じ意という。やび、ともいう。これが、
朝明けの朝村という、後、朝鮮という、これを、あそん
朝鮮という。とこふりしむのふりゆり、という。
【あそん】
 あそんを、ゆいち、という。あそん地のことである。
これが、うたを、ことはという。言葉のことを歌という。
後、宇多という。後、この宇多を歌という、唄とも
表す。あそんの出という、あそんから出た歌という。

 これが、古い、朝の音楽会という、逆立ての塔の
や、という家のことという。家で朝に歌を歌うことと
いう、家の周りの野で音楽を奏することという。朝の
音楽会である。逆建の塔のある頃という。
天理の天里という、逆立の里という。藤原鎌れみ、
という、逆立の塔のことである。
【京都政庁】
 この頃の市役所という、今の京都御池河原町の
市役所である、鎌足ヶ里という呼びである。御所を
、あまよれ、という、府庁を、め、という。国を、
ときえ、という。県庁を、ほる、という。この時の江戸
城、東京市のことを、やりあそみ、という。これが、
鎌足の言葉である。藤原秀衡という、藤原京の
住まうかよふき、という。国を見る、国見峠の言葉
という。これを、こくすれ、という、こくみく、という、
国上げの言葉という。『みく』という言葉の一意で
ある。

 この時の府政府という、国の、あそんため原という。
政府を興すという、若い人の言葉という。この時の
御所、若い人の住む西之御所という。この西之
御所の造りである、ここで、作られた政府という。
【政府】
 これを、西政という、西征という。神武の東征に
掛けた、征務という、これを、せいふり、という。
征府という、遠く朝鮮の日本府という、大和征府
という、後、政府という。この『政府』が、古い政府
である。政府 → 征府 → 政府 という、成り
行きである。
【講義】
 京都大学という、東京大学という、これらの大学
の夜学講義である。天里ゆわれ、という、藤原秀
衡御教授という、篠山高等師範という、そこの、
あさ学講義という、朝七時の講義である。東大、
京大という、篠山助の、かりせふらる、という。
ここのやの寝起きである、生活という。大学が生活
の場である日という。

  『ふん、天皇など』という藤原秀衡家老の言い
である。天里に住む人を、天孫皇という、天皇とい
う、後、天篁という、この『天篁』の受け継ぎという、
隣の家の右翼という、右翼を天篁という、左翼を
天皇という。西之御所、烏丸の京都御所の家の
言いである。
『右翼、行す(こうす)』という、隣の右翼へ行くことである。
『左翼、行はま(こうはま)』という、隣の左翼へ行
くことである。これが、御所に住む天皇の言いである。
『天皇め』という、『天皇とう』という、天皇人の言い
である。江戸村の御所ともいう。この言いを江戸紫
という。江戸紫の言いである、天皇下がれという、
言葉という、天皇下がれという言いである。
江戸紫の御所という。江戸村埼の晴れふり、という。
【東京八王子】
 この言いが、東京八王子にある、王子れく、と
いう言いである。通常用語の、天皇下がり場である。
これを、逆世羅見(せらみ)という。さかせらの言いと
いう。祭りの常用という。逆さ塔のやの言い、ともいう。
この逆さ塔のある場所という、王子という場所である。
ふぬ山の逆さ、という言いである。日本のあちこちに
ある言いである。天しばの言いともいう。

 今風、屋上の公園等のある所の言いである。
『天皇下がれ』という場、ビルの屋上に、木が
植えられたり、公園状になったり、農場になったり
という、その場ができる。これを、フィー発という、
フィッ発のふみゆみ、という、若い人の、おこりのこし、
である。古い天里の言いである。天皇町の言いと
いう。

 これが、古い日の政府である場の言いという。
京都府庁の前の政庁という、今、西の農産省
である。若い人の住まっていた家である。立藁
葺のや、という。大お爺さん大おばあさんおられ
おられ・やませやまや、という。ここのやの言いで
ある。御所の中の言いともいう。

 天理あそん町の言いともいう。天理朝鮮町と
いう話である。
【衣装】
 正(やなぎ)調ふめるき、という、その時の言い
である。マント・ヒットンという、丸い帽子の折り上げ
のふちという。お茶摘みの時に用いるという。古い
日の御所のお茶摘みである。天理の池のあった
頃の衣装である。マントという、かみマントという、
帽子のことである。後、天理晴寺(はるてら)の飛行場の
作業衣である。言葉が、メッタムという言葉を
使う、手旗信号用の格好である。背の低い、
自動車飛行機の発進である、その時の発進
合図という、片手腹前、片手直角曲げ上、という、
天皇族という、飛行機乗り人のことである。
空の旅をする人を天皇族という。古い日の若い人
の格好である。

 両手平行肩横に出し、直角に上へ曲げる、今の
交通整理のような恰好をする、ヘッツレーという、
ペンゾメの彩(いろどり)という、自動車飛行機の
発進である。江戸皇居に置いた自動車である。
紫色の作業衣という、これを着る島根の境という、
そこの船の船倉作業という、これに使うことという。

 古く親里の衣装である。この衣装を着る、紫
という、赤、黒、白、緑という、八色のかばね、と
いう。古く、大和世着(やまとよぎ)という、ヨギという
朝鮮語にした日である。朝鮮語にヨギという言葉
がある、その意である。李氏朝鮮の頃の格好で
ある。平壌に古い話という、衣装の話がそれである。
朝鮮に日本人がたくさんいる話という。平壌にも
いる話という。『ヘギョン・レッペさ、という、さるせら
れえて、そねそね』、という。色雪で染めた衣装が
ある、紫とも、他の色とも。大村城にある話という。

 天里の、てんたみやみ、という。『そうで、にいな』
という、奈良調の言葉の具現延伸である衣装で
ある。マント・ヒットンという。丸い帽子の格好である。
これに、よく似た恰好で、そうきょう調べ、という衣装
がある、天皇ショックスという、恰好である。

 のち、一部の手術用の病院装という。頭に丸い
帽子をかぶる恰好という、病院一部の衣装という。
天里民族の格好である。天郷ともいう恰好という。
天皇査察準拠職という、制服でもある。宮内庁
の古い恰好である。皇室典範という、一職制の
制服ともいう。古く、農業服という、農民着という。
古くのインド・デカンの日常衣である。
【新潟酒田新発田】
 古くの酒田巻という、新潟酒田の上宮下宮の
恰好である。ここの典範職である、その恰好である。
これを、上宮得という、下宮徳という、両を、得徳
という、得徳帽という、これが、宮内という、下宮
という、これを、新発という、新発田の新潟という。
『新しい』がつく恰好という、新潟論調という恰好
である。新潟県民の姿という。インド・デカンの航路
の出しである。新発田から行く 、インド・デカンの
飛行機自動車という、若い人の運転という、若人
航路という、インド・デカンの行きとぞ。赤い帽子の
紫の衣装である。新発ルックという、色雪の染め
である。

 赤い表紙の本、その色、雪絵具の色という。
新発田の雪という、赤雪の降った日の造りとぞ。
若い人の造りである。新潟の花という、若い日
の著書という。大お爺さんおらるる大おばあさん
おられゆららる、そろれろ、うっつす、れれつ、
すみっつ、れべんのお書きという。新潟の冠語で
ある。新潟れってさ、という、古い良寛語という。
仁徳あうるっさぁ、れってすぅ、もみっそり、という。
この『そり』、山のそりである。天理で用いたそりと
いう。古新潟を、古親里という、これを、こおや、
という、古親の、こうやみ、という。掛かりが、
富山の親里である。富山の、おわらゆわら、という、
おわらをゆわらという、古富山の言いという、そこの
掛かりである、今のおわら町である。
【富山おわら】
 古く、いい原船得という、得徳帽をかぶる町で
ある。おわら船得という、船得帽という。インド・
デカンへ行く航路という。富山からもある話という。
大おばあさんお仕立てである。航路と衣装である。
【島根】
 島根から、とりさり、という、そこを経て 、九州
はこみら、九州の磯路という、大隅へ行き、東京
大村へ行く、そこの航路の仕立てである、具現で
ある。航路帽という。衣装が、スカートの細スカート
である。アラビア一部の掛けという、アラビア掛けの
縫いという。アラビア掛け縫いの、スカンテラーという、
スキャットホックという、ほっくそくの言葉の具現と
いう、得徳装の話という。
【伊豆の踊り】
 古くの近江の神宮姿という、この『近江』、静岡
の、伊豆の踊りという、伊豆の踊りの格好である。
伊豆の踊りという、地名である。『とく』のつく地である。

『静岡ゆってさ、おら、れりっつる、もいよっつく、
 めるっせ、れん』という。おわらざん札という、踊りの
忘れ緒という、天皇の意匠のことという。忘れ緒を
する天足の段得という。段得町の格好という。
奈良談山神社をいう、古天理という町である。
天足町という、そこの格好でもある。長靴を履く
段得式という、農業の祈りという、上記の格好で
長靴を履く式という、段山るきふき、という、
段山神社の格好である。
【篠山市福住】
 京都府亀岡西の福住、現、篠山市福住の
地の、那須与一を祭る神社の祭りの、でく曳き
という、でくの棒の引きをする、引手の格好である。
福住の神社の、古い宮である。そこの稲の種まき
の時の格好である。福住いわれ、という。古い日の
祭という。ひとよっき祭りという。今の、宮の掛かる
人の言いという。ひとよっきの人吉(ひとよし)という、
古い人吉という地名である、近くの琉璃渓の谷山
の沢歩きの格好という、長靴の使いという。ゴム
長で歩く沢の渡りの格好という。これらの地域の
恰好である。

 九州大隅、鹿児島植村こやら、九州くまそみ、
北道あいゆ(アイヌの古い言いという、古アイヌ)、
北海道の北道である、小樽連傘アイユマレ、
秋田おばや、伊立ろっくす、恐れ山録、岩手大槌
(おおつい)ついずら、大磯みっとき、釜石(かまいそ)
よっぴし、静岡踊り、という地名の掛かりという。
他にもあることという。日本の古い、色雪の降った
頃の染めを残す衣装ともいう。染雪という。
染雪衣装という、得徳帽とその衣装である。

そうきょうよいお書き。J15
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』
 

2021年06月15日

出発402-4 卒発 :イカスミ柳

腹を横に書く。
【曲名】 出発402-4 卒発
【今常】
そうきょうよい時です。
2021/06/10
【仁徳京】
 京都墓町という頃の仁徳京という、その一時期の
天皇のことという、仁徳天皇のことという。若い人の
名前という。『俺、らんらぁ、さってら、すらっそ、れ
れっす』という。『俺らっつぁ、てんすら(てんする、
ともいう)、るるってっせぇ、すっつすぅら、するれら、
るうりおり、めらって、るりっさぁ』という、半分冠語の
使いという。仁徳の語調の話という。山型に発音
する言葉という。

おれっつぁ
-=  _

という発音調子という。 ー中、=高、_低 、と
いう、調子である。京都墓町の言葉の調子である。
同時に、大阪府堺県、という羽城とぞ。紀州堺と
もいう。仁徳御陵調子という。これが、古仁徳の
調子である。

おれっつぁ
_=  -  

低高中という、今の仁徳語調である。京都墓町
以降の語調である。今の堺仁徳周辺の語調と
いう、紀州堺である。古仁徳はむ、岸和田の語調
である。堺の岸和田である。岸和田城のある所と
いう、だんじり語調という、だんてる言いという、
だんみそ、ともいう。だんじりを、だんみそ、とも言う、
岸和田の城周辺の言いという。でめっせめぇ、とい
う。でつれつのお言いという。岸和田の天足という、
天足語という。冠語が掛かるお言いという。
れれてのふっぷく、という。れれするお言いとぞう。
弓山の川の言いともいう。

【高野山】
 古く、紀州の城の双城という、和歌山の城という。
その頃の町の言いである。ここと、高野山の寺の周
りという、高野町という所の言いともぞ。るるっせる山
のお言いという。高野弁ともいう。高野山絵巻の町
という、城が移動する町という。昔の高野山という、
若い人のいう高野山絵巻である。
『おかえり』という城迎えの言葉である、城が寺へ
入ってくる時の言いとも。ずっと昔のことである。
高野山学世(こうやさんがくよ)のお書きという、仁徳
天皇お書きともいう。若い人のことを書く、駄作者の
言葉という。にまっせら録という。古い高野山の町と
いう、高野山の寺を出たところが、家並びてあった
頃とぞ。
『仁徳され、いらっしゃら』という、京都の墓町の言葉
という、どちらも同じ言葉である。仁徳冠語ともいう。

 まっさら弓ともいう、言葉弓のありせら、という。
ありるるせせる言いという。仁徳語のことである。
いまのに残る『おわそうず』という『おはそうず』という、
『ず』の言葉という。るるせるおりすり、という、冠語の
説明とぞ。

 『にんとっきゃ、さっきゃぁ』という、『仁徳語を使い
ます』という意味という。
『にんとっきゃ、さっきゃぁ、俺、さっつらぁ、るるっま、
れろす、るびっつる』という。
上つくし医言葉の使いという、仁徳語のほめの言い
という。人に使う言葉という、『おれっ、つぁあらぁれっ
さぁ』という、『俺らら、あれっさぁ』という、奈良の天理
近の田原の言葉という、伊勢の津の言葉でもある。
古い岩手大磯の大槌という、この言いが掛かる
言葉という。大槌弁という、『俺っ、さぁらぁ』とい
う、『俺っつぁあらぁれって』という、大和の陸前言
葉という。羽後という、ヘブライの掛かりという、
八戸の言葉とぞそ。

そうきょうよいお書き。J10.
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』
 

2021年06月16日

出発402-5 卒発 :イカスミ柳

腹を横に書く。
【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
2021/06/10
【仙台城古冠語】
 羽後っけら、きっすき』という、羽後弁のことであ
る。これを、古伊達(いたち)、ふるだて、という。
古く、箱ゆり、という言葉である。仙台城の古冠語
という、だてゆらせ、という、いたちづつ、という、
いたちぶりの言葉という。『るうりる・るうらぁあ』という、
言葉の切り出しの言葉とぞ。これが、だての
言いである。いたちもっけく、ともいう。めめすお言い
という。るらっせらの言いという。
『るうりらぁあらぁ』という、切りの出しの言葉という。
語末の使いとぞ。
『るまっせ、てっせら、るうりそっく、れめっせ、おうり
すうり、るまるれ』という、きりすりのお言いとぞ、
仙台城の城冠語の古い言葉である、語調とも。

【篠山高等師範講義】
 これが、篠山高等師範の昼学夜学の講義であ
る。後、仙台の城の中の弘道館という、そこの
講義である。この日、青山講という、後、きゃあふり、
という言葉の講義という。仙台城内講話である。
こうぎらのむおりすり、という、講義のことである。
仙台城夜学の卒業生である、若い人である。
卒 青山藩仙台城家老職 という、書きの卒業
証書という、家老職に任命された若い人である。
後、高山幕府という、、これを興す人である。この
日、飛騨守という職である。若い人の飛騨守の
仙台住である。仙台城の中に住まいした人とぞう。
飛騨守は、岐阜高山の飛騨である。これより古く、
飛騨合掌の地の守かま、という、守かみの言いの
言葉を使う、おりしょくという、職業の言葉の地という
地位のできの頃という。幕府の陣傘被りの職という、
陣傘の守という。時代劇に出てくる陣傘である。
頭の上のことという、陣傘帽という、ぼってらの被り
とぞ。

ろばに曳かれて合掌参りという、馬連れの、馬
に曳かれる、ロボットの小丸という。羽織袴の陣笠
被りという、脇差山るりという。合掌参りの飛騨守
という、若い人の役職である。馬に曳かれて歩いて
いく、合掌である。

 又の機会に。
【小林一茶】
 駄作者が調べた小林壱裕という人のことである、
駄作者の回りは引き出される話という。
小林壱裕という、江戸末期から活躍した人である、
小林一茶という人である。江戸末期という、後、
仁徳朝である。仁徳朝内、令和期という。
浄瑠璃期ともいう、仁徳の浄瑠璃という期の記と
ぞ。冷和ともいう。
令和期の後が冷和期である、京都の墓町がかり
の頃である。とくにんぱっけさ、という、パーカー論と
いう。パーカーが、英語のパーカーである、墓の意で
ある。万年筆の名ともいう。万年筆が、京都墓町
の頃に使っていた筆記具である。パーカー期という
御所の言いであることという。
シャット・ダウン。書き終えのことという。御所は冠語
を駆使する所である。古くの穂浦の英様語である。
今様、ライティング・エンドという、ライト・ダウンという
言いの新しい英様冠語とぞ。シャット・ダウンという。
このまま、今の英語という。

【エンペラー】
 「エンペラー、プッシュ、エンド、ダウン』という、
狩郷所の英様語という。アメリカのカリフォルニア半
島の付け根の場所辺りの古い半島冠語という、
今の場所という。エンペラーという私の言いという。
古いカリフォルニアの言葉という。この日、ダートルー
という、後、ダラスという、ダラスの冠語という。
私をエンペラーという、『エンペラー、プッシュ、ダウン』
『エンペラー、プッシュ、ゴーイング』という、言いである。
これを、ダラス天皇という、今のアメリカの古い頃の
ダラスの国であることという。ここの憲法の訳という、
今の日本国憲法である。ダラス憲法と同じである、
日本国憲法という。アメリカから与えられたという
言いである。ダートマス憲法ともいう、リンカーン憲
法の踏襲という古いアメリカのゲチスバーグの日の
言いとぞう。ゲチスバーグ冠話の言いという、

『エンペラー、ゴッツウ』という、カリフォルニア冠語と
ほぼ同じである。一般の人の言葉である。
自分をエンペラーというアメリカ民主主義の言葉と
いう。福沢諭吉の日本の話という、ダラスがかかる、
福沢諭吉の言いである。『天は人の上に人をつく
らず』という言いとぞ。御所夜学の日々の教えと
いう、福沢講義である。後、慶応山の言いという、
早稲田の言いとも。これを、早稲慶応という、後、
大学とぞ。くまるりのペッサムの場の言いという。
ペレールレーという言いともぞ。

【浜漁師の言葉】
 エンペラという、魚の肉である。自分を魚という、
これの延長という、自分をエンペラという。

『えんぺら、ろっしょって』という、『しょらせ』という意と
ぞせ。『私は生きます、帰ります』という意。
『えんぺら、しょらっせ、すっそそ』、魚担いでワッショイ
という。ワッショイという背負いである。『しょらせ』とい
う、冠語にかかった言いの言葉である。『しょい』と
いう背負いのことである。『らっしょい』という、これが、
魚の『ら』である。魚をらという。
『らっしょい』『わぁらしょっせ』という魚をしょうことであ
る。らっしょいという祭の用語でもある。

『らっしゅい、てっつぁ』という、てらせらの言いの言葉
とぞっすぅ。一部、寺に残る『しょい』という言葉である。
僧職の言葉という。これを、鯛むれ、という。鯛の
えんぺらの言葉という。寿司屋へいけば、なんぼでも
ある、えんぺらである。

『えんぺら、ごっぎす』という。えんぺらを食べることで
ある。これを狩郷という、狩里ともいう。アメリカの狩
郷という、カリフォルニアの半島のことという、特に
半島の付け根の場所とぞす。

 この日、ダラスを、田楽という。ダラス田楽という。
フォートワースという。フォトワースを、田撫という。
これが、田々るら、という。ダラスとフォートワースを
田々という。この一円をダラスという。これを、ダラス
国という。後、アメリカをダラス国という。ダッテムの
るい浜という。これを、めのすのお言いという。
目の巣。

 イカの目の意という。イカのタコの目の、大ダコの
目という、カリフォルニア湾にいる大凧という。タコの
言いである。

 糸という、糸を巻くロール漁法という、『レッツ、ロ
ール』という通常の言葉のことともいう。漁師の晴れの
舞台の作業という、これを、パレス・サイドという。
パレス・サイド・ロールという、マッキントッシュ・レーレ
の言葉である。マッキントッシュという長靴の履きの
作業という。イカ釣り漁の話という。

 後、機械の巻きに掛かる、これを、マッキラムと
いう、マッキノンともいう。これが、登山靴の履きの
マッキノンである、古いニュージーランドのマッキノン
という、クックの話という。キャップテン・クックである、
マッキノンという。同じにとらえる論という。言葉の
掛かりがそうである。山鯨という、山の歩きの姿を
いう。キャプションという、キャッてらの言いという。
『てら』が寺である。キャプション楼という、魚の
置き場という。これを、エンペラ・ロックという。
魚をエンペラという日の、フィッシュ・ロックという。
これが、キャップテン・クックの名になる、名にかかる
魚の料理の言葉という。イーズルラックという冠語の
言葉の解とぞう。

『エンペラ、プッシュ、ゴーイング』という、カリフォルニ
アの古い英語という、マッキノン・ルートの古い言い
である。キャップテンという、キャプションの沖ゆりと
いう。『エンペラ、プッシュ、ダウン』という。どちらも
漁師の英語の発という、カリフォルニアの通常語で
ある。自分をエンペラーという言いである。

 日本語で鯛という、魚の話の延伸という。浜の
言いである。『えんぺら、行くっせ』という冠語という、
通常語で、『えん、行くわの』という、福井県の小崎
浜の言いという。自分をえんという、これが、えん玉
という言い表しの延伸である。『えん、行きます』と
いう。福井、富山、新潟一部、靑森等の浜の
言葉である。えん玉という、えんたまの言いのほみ
ゆみ、という。弓山の延伸の言葉とぞっす。『ぞっす』
が、えんの言いである。わた山の岡山の言いである。
山に掛かる言いという。ニュージランドと同じ掛かり
とぞ。

【海馬】
 おれまがりという海馬の働きである、言葉の掛か
りをする脳の働きという。これが、おれまがりまげ、
という。まがり脳という、海馬のことをいう。おれまが
りの働きである。単に、おれの働きという。これを、
おれ、という。掩体の架かりをいう、掩体という、
カーブした岩の屋根という、自然石の屋根という。
曲がりを掩という、おれの言葉とぞる。『とぞる』が、
折れ曲がりの言葉である。『えん』から出た話という。
縁ともいう、掛かりのことである。

 篠山高等助の講義という。古い篠山の城の講義
であるとも。同じ講義である。篠山高等師範染め、
という。師範代のことである。この『染め』を、『しみ』
という、古い秦の始皇帝のことである。めっせられえ
る、という、籾島の言いの延伸とぞれ。『とぞれ』が、
富島槍という、富島遣とも、その言葉使いである。
江戸の幕府の、篠山の江戸幕府である。篠山城
代の江戸幕府という。後、高山城代幕府である、
この『高山』、篠山が自分をいう、高山という、高山
幕府という。篠山城背景の山を、飛騨という、これを、
篠山飛騨という、篠飛騨という。後、大川大井の
川に移転する、篠山城の高山城という、この時、
岐阜を夢という、夢の高りる、という。りる楽のお
言いとぞっすぅ。『とぞっすぅ』の言葉が、飛騨高山の
言葉という冠語である。今の岐阜県高山も同じで
ある。古い日の篠山市福住の言葉とも。
『であるい』という言葉という、『である』の意という。

 この日の篠山市、古い篠山市である。神戸ぐら
い迄の広さである。和国連という国の頃とぞそ。
『とぞそ』が、京陸言いという。意は『である』とぞそ。

 後、幕府で『とぞ』にまとめる言葉という。後、
『でっしょう』を経て、『である』になる。
『そうでっしょ』という、しょさめの言いという、これが、
天里郷という篠山の城麓という、そこの言いとぞそ。
後、天理という言葉になる、書きとぞ。

 京都の古い天理教の、古い書きという、天里教
という、天里郷という。この日、京都の天理教教会
本部である。大きいラーテルがいたことという。象くら
いである大きさという。

そうきょうよいお書き。J10.
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』
 

2021年06月17日

出発430 みき参り :イカスミ柳

出発430 みき参り :イカスミ柳
腹を横に書く。
駄作曲の聴き方:曲名または、楽譜をクリック 
You would click music piece.
音楽
【曲名】 出発430 みき参り



    創曲、中山みき・正(やなぎ)  2021/06/17
    造詞、中山覚(さめ)・正     2021/06/17
    監修、ほうきき・正         2021/06/17
【拍子】4/4
【種類】Supercomposer6 自動 80%
【演奏】
【場所】
【作成ソフト】
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
【歌詞】正里
ラーテルが家へやってくる 朝が始まる
朝参り 池からイルカが顔出しついてくる
神殿の階段をともに上がり あとに豹
ともに拝する 長い廊下を共に歩けば
一日の始まりと日が差す 天理三輪の
みき参り 安全願えば世は楽しく極楽

【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
2021/06/17
【歌詞解説】
 奈良天理三輪の宗教という。そういう宗教である。
歌通り。動物が神殿へ上がり、拝をする。海外の
石窟、大きな神殿という、ゴジラの祈願対象である
かも。
 安全を祈るゴジラ。健康を願うイルカ、豹、ラーテル
、この日の奈良三輪のみき参りとぞいう。空には、
飛行船、ジェット機が飛ぶ、今日一日の始まり。
出発の朝、清々しい、至誠清廉潔白の気持ちとぞ。
 今から出勤です。20210617 730記す

そうきょうよいお書き。J13.
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』
 

2021年06月17日

出発502 東山考 再掲 :イカスミ柳

腹を横に書く。


東山火山弾 昼間フラッシュ撮影


五条通り、JR丹波口駅辺より、東を見る。山は東山。高さ900m、
撮影場所(JR丹波口駅)より4~5キロ程。
写真映りの道(五条通)をまっすぐいけば、清水寺へ行く道が
あります。東山を越えたら山科、まっすぐいけば、大津市です。
国道1号線。


同、西を望む。正面、小さく映る西山。越えたら、亀岡市、
まっすぐいけば福知山、鳥取へと。国道9号線。
駄作者、提供。


【曲名】 出発502 東山考
【今常】
そうきょうよい時です。
2021/06/14
【東山火山】
 京都市に、東山という山がある。火山であった
頃という。京都の五条通りという。東大路五条と
いう、東へ、山へ登っていくと、清水という場所に
なる。有名な清水寺のある所である。東山連山の
この辺の山をいう。
 この清水に住まっていた若い人という。大お爺さん
御父上に『道が熱くなっております』と申し上げた人
という。
 大お爺さん御父上仰せられ、『明日、下りるところ
を、今すぐ下りる』、すぐさま、下山した。
下に大御叔父御上住まわれ、家を訪ね、
『今からおります』、申し上げ、また下りる。
 みな、下りて、今の鴨川辺りまで来た時、山が
噴火した。煙があがり、火が上がり、もくもくとした煙
である。当時、鴨川がなかった頃である。小さな細い
雨筋の流れがあっただけである。今の、川端通り五
条辺りである。
 この清水の山、何度か噴火している山である。

【駄作者名画】
 写真は、火山弾で、長さ20センチくらいで、重い
石です。東山が噴火して、その噴火の一つの時
のもので、4~5キロ西の、現、五条七本松、JR
丹波口駅、リサーチパーク付近、家の前へ飛んで
きた石の一つです。家から持ち出して、家前の
アスファルトで撮ったものです。家は写っておりま
せん。駄作者の家は豪邸で写真ではとりきれ
ません。

撮影日 : 2021/06/14
撮影者 : 駄作者
絞り : XXX
シャッター速度 : ○○○
撮影機 : キャノン フラッシュ撮影
      Power Shot SX410IS

 この石を、1億年前の火山の石といえば
どうなりますか。東山が噴火していた頃、
1億年ほど前のこと、5000年前のことか、
1000年前のことか、そのへんでしょう。

そうきょうよいお書き。J14.
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』
 

2021年06月18日

出発504 東山考2 :イカスミ柳

出発504 東山考2 :イカスミ柳
腹を横に書く。


クリックすると、大きくなります。
東大路五条、五条坂辺。右端、清水寺。
ヤフー地図より
【曲名】 出発504 東山考2
【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
2021/06/15
【歌詞解説】
【東山火山】
前掲 出発502 の写真の石、アスファルトに
置いて写したものですが、こんな感じで、ゴロゴロ
転がっていた、この石の数倍ほどの大きさの石も
あちこちにあったことです。原始人の話です。
******
 丹波口辺りの道を歩けば、火山弾がゴロゴロ
転がっていた。東山の噴火である。大きな石が
飛んできた。

 地図赤印、火口の傍に住んでいた原始人である、
学術名、ピテカントロプス・ヒガシエンスという、
若い人である。ヒガシエンス・ヨーシャンスという。
ピテカントロプスの一種という、原始人という、原人
という。

 後、陽が支援する人という、若い人の言いである。
太陽の人という、若い人である。駄作家は、原始
人という、原人という。一億年前という、若い人
である。駄作家は、原始人脳という、一億年を
数える脳という、池があったという、原始人である。
地図青印。
船が浮かぶ大きな池です。原始人の観光です。

 火山の石と言うて喜ぶ人である。石から生まれた
石ひろ君という、駄作者という。自由の女神が御母で
あると言うたり、ストーン・サークルは我が住まいと、
海外の石窟を見ては、喜ぶ人である。交野掩体屋も
そうである。カチカチ、石を鳴らして喜ぶ人である、
火打ち石という、原始人という。駄作家の、若い人評
である。石二つを、カチカチと打ち鳴らせばよいことが
起きるという、原始人の喜びという。

 カチカチ、クリックすれば、小さい物が大きくなると
いう、近代感覚をも有する、ビカシエンスの人である。
ゲジゲジの石であろうか。一億年を計算する脳である。
、コンピューターの石という。石の歌、これなるを。

 『駄作家さん、ご苦労さんです』と、若い人がいう。
路傍の石をを、毎日、見ていますと、付け加える人で
ある、若い人という。

506回し**
====ほほほほほ====
 一億年の名作か、はたまた、一億円の名作か。古代
の夢物語という。古代にお金はあったであろうか。
貝塚作りを楽しむ若い人である。若い人はいう、『家の
前の土をを掘れば、貝でてくる』と。貝供養という、
原始人の信仰という、原始時代に始まったものかしら。
貝で拵えた舟に乗る航海の舟という。紅い海、中国の
紅い海という。黄海の話という。
 『ほほほほほっ、ほうかい、ほうかい』と言う、読者
という、駄作者である。こう書いたら名作になる話とい
う。 路傍の石の主人公、石をともにしていた人であろ
うか。機械加工開の工場の人である。若い人の開く産業
である。原資一億円であろうか、一億年前の資本という。
駄作者の経済学である。一億年前の経済学という、原始
共産主義であろうか、石は語るという、フラッシュを
浴びた石という。石の上にも三年、石の下にも三年とい
う、原始人若い人である。『機械組立もあるんや』という
原始人である。アットマン・コンピューターを操作人で
あるという、大阪安治川の造船という、日立造船という
後の名である。石の舟を浮かべた安治川である。
石舟の日美子という、若い人の原始人名という。
淀川を遡った話という、1000年前の話という。
若い人の言うことである。

あああああいいいいいうううううえええええおおおおお
そうきょうよいお書き。J13.
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』
 6/19休  

2021年06月20日

出発450 天理花良卿 :イカスミ柳

出発450 天理花良卿 :イカスミ柳
腹を横に書く。
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音楽
【曲名】 出発450 天理花良卿



    創曲、中山みき・正(やなぎ)  2021/06/20
    造詞、中山覚(さめ)・正     2021/06/20
    監修、ほうきき・正         2021/06/20
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】
【場所】
【作成ソフト】
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
【歌詞】正里
親里の羽根の飛ばしは 京服の
伏見宮 花津 空への飛びにつれ
花あしらう針 字の田植え奈良 
三輪遣り春 晴寺の飛行船 大阪へ
乗っていくと浪花世語る日の拍


【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
2021/06/20
【歌詞解説】
 飛行船の拍、スラーの箇所である。

そうきょうよいお書き。J20.
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』
 

2021年06月20日

出発506 今座里 :イカスミ柳

腹を横に書く。
【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
2021/06/20
【解説】
『いまざりれて』
『いまざりれれ』
『いまざりれえれ』

『行ってきます』『行きます』という意です。
『れれ』『れて』という、今はこんな使い方
をしない。
『はなられて、すらっく』という、英語のよう
な言葉という。『すらっすう』という、目の
そめの言いという。『すらしゅすぅ』という。
後、すらっしゅという。いまの『すらってり』と
いう。『すらすめっつつ』という。これを、
藤原冠席という、ふじつ世の、ふじっきく、
という。藤原冠白の・ふじみす、という。
藤原のけんとりの言いという。れれっそ
るっかす、という。れつるれ、れつれつ、
れっそ、の、言葉の、あんせら、という。
あみってさんすう、という。これが、算数
という言葉の出である。算数の手という、
古く算盤の話という。さいさま、という、
さいたま、という。埼玉の算盤という。

【園花さいしみ】
 これが和党の勘定という。古く、園花
さいしみ、という、園花城の算盤という。
曽呂利門という。曽呂利新左衛門の
そろすり、という、この頃の数学という、
和算という、御和算(ごわざん)という。
『ごわざんで、願いましては、一円なり、
二円なりという』、読み取り、聞き取り
暗算の、ごじょきみ、という。これを、
れてそわ、という、数桁の暗算をしていく
、のいおり、という。のいすべのめのそ、と
いう。

【暗算の脳】
 脳の働きのごいっかすけんみき、という。
みきしあん、という。べじたりあん・ろっこく、
という。この『あん』が、暗になる、暗算の
語原という。冠語より割り出した暗である。
これを、暗察という、脳の、かえかま、という。
脳の働きの言葉とぞ。

 この暗察という、暗いめくら、という。
めくらやっぱむ、という、めくら暗算という。
めくらという言葉の出のことという。脳の
あんせりのゆみふみ、という。これが、
めくられっせま、という。めくらの言葉を使う
場のことという。

 めくらな弓浜という、暗算の脳の場という。
脳の部所である。めくらという、脳の部位と
いう。めくら脳と、『脳』という言葉を付けて
言い表す。この、めくら脳、おれまがりの外
縁である。ここが、暗算をする脳の部位で
ある。

 これが『れて』という、暗算の手を、れて
という、おいっせる冠語という。おいとみ、と
いう、古い、安産、算盤の言いである。
古く、藤津手(ぶじつて)、という、藤つ手、
という。藤の手という、めろるれ、という、
たおらるてめそゆ、という。算盤の曽呂利
新川という、せんてるろみそみ、という。

 『暗算をする脳の部位は?』という。
大学の試験である話という。これが、
冠語という言葉の特質である。脳の考察に用
いる時、効果がある。

曽呂利新ざみ(そろりしんざみ)という、藤の
木の枝の新芽という、これを観察する目の
延伸の、脳の働きという。自然の科学という。

 火山をいう、火山を見る目の延伸という、
どのような考えが出るかという一つである。
花闇のえばせる、という。花をたとえる考えが
出る。これが、今残る花山という。古く、草冠に
火と書く、和国字である。火山という読みである。
(『草冠』『火』、これで一字)、『山』と書く。後、
花山という、山の花の火という。今表しの、花山と
いう。これの古い意味が、火山である。

 地図をいう、全国至る所にある花山の地名とぞ。
昔、火山であった場所ともいう。

 平地に噴き上げる、平地の火山という、これを、
れれば、という。礼々場という。これで、火山を祭る
意という。

【平奨、平地火山】
 古く御所にもあった、各地にもあった、平奨という。
めくらふみゆみ、という、平奨のことである。

 『そこの天皇、言うてみい』という、『東京皇居の
火山は?』という。『どこであるか?』
教えてもらいたいものである。

 いつ、噴火するか、突然前触れもなく噴火する、
平地の火山、道を歩いていれば、ドカンと噴火する。
危ない話である。皇居にもある、どこにあるか、教え
てもらう話という。危ないからである。今は、ない、話
という。若い人は言う、『ないことを書くのは駄作者であ
る』

 それとも、平地火山という、平奨という、知らな
かったか。江戸のお米はなむぎ、という、平奨の話
ともいう。曽呂利山礼(そろりやまれ)という、山椒の
実のやむせみの・ひよいよ、という。良い世のひ、と
いう。火山の暦という。これがある話という。
ある話である、ない話という。有るか無きか、有無
をいわさず、いわせず、噴く火山という。

 設楽文字で書かれた我が書という、原始人の
言いである。この書はどこにある?。ふぬふぬの場
にある。海外にもあるという、設楽文字の文書という。
噴火の暦と場の書である。原始人の書という、設楽
文字の書である。

『いつから住もうておるか?』
『ふっ、ふっ、ふん』、噴火のことである。噴火をふん
という、めくらばんば、という。野原の地が突然噴火
する場という。

 京都落環礁という、京都壬生ふみらみ、という。
これが、京都の壬生の医学という、京都医学の
火山見という、はなすらるる山、という、やまいと
いう、うやまい・このゆみ、という。近衛、近江という
言葉の語源である。
【藤原教授】
 篠山高等師範所の講義である、藤原秀衡
御教授の御講義である。右翼の藤原屋敷という。
古く篠山緑ヶ丘ともいう。噴火していた火山である。
一年前の話である。一億年前という、原始人の
言葉である。山形有朋花由良という、場所である、
火山の場所という。花笠山という火山のことという。
離れてみる話という、火山のことである。ハナレテと
いう火山の尊びの言葉という。花山天皇という、
火山ともいう。御所内の藤原右翼ともいう。右翼を
天楽、天落という、右翼の尊びという。御所の中の
話である。

 人を天皇という、花山天皇の言葉という。花山
天皇の講義である。花山天皇の講義を受ける
篠山高等助噴所という。火山の花という、山々の
おすよ、という、山背のはなゆり、という、火山噴火
という。山の花という、火山の噴火である。

 通勤に大勢の人が乗る、箱電車という、天皇
ごったがえしの電車である。らっしゅられ、らっしゅ
れれ、という、冠語である。このまま今のラッシュ
である。通勤する人を天皇という、尊い人達である。

 お召列車という、火山を突っ走る電車である。
若い人が乗る電車という、若い人が運転する電
車という。

 お召列車という、今は若い人の手元にはない
話しという。あった話という、駄作者が書く話である。
お召電車火山通行という、若い人旅行記である。

御所をいまざりという、いまざり御所という。今座里。
人に安全をいう話である、右翼のお書きという。羽翼とも。
藤原御教授御お里、いまざりという、篠山にもある話という。
奥州秀衡ヶ里という、いまざりおくそり、という場所である。
『おばあちゃん、平将門が暴れております。』という、御所の
野の火山噴火という、平将門さんの話である。藤原右翼の頃とも。
【平将門】
 平将門の乱という、都人が驚いたという。突然ドカンとくる
平地奨のことという。平将門乗らんという、馬には乗らない人
という、いたち馬の平背イタチという。動物には乗らない人で
ある。常識のことという。平将門という人である、行儀のよい
人である。行儀のよい人を平将門という、紋でもある、御所の
長屋住まいの人という、祐の井の御所という、毎日、即位して
いる人である。平将門の同居という、火上げる火山わ駆け抜け
る人という、平奨を抜ける勇者という、さなから、戦地の様。

『駆ってくるぞと、勇ましく、誓って国をでたからは・・・』、
駄作者の名歌解説。平将門さん大喜び。平将門の乱という。
平将門さんの歌である。御所はそういう所である。

そうきょうよいお書き。J20.
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』
 

2021年06月21日

出発460 ラーテル機動 :イカスミ柳

腹を横に書く。
駄作曲の聴き方:曲名または、楽譜をクリック 
You would click music piece.
音楽
【曲名】 出発460 ラーテル機動



    創曲、中山みき・正(やなぎ)  2021/06/21
    造詞、中山覚(さめ)・正     2021/06/21
    監修、ほうきき・正         2021/06/21
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】
【場所】
【作成ソフト】
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
【歌詞】正里
火山の石 組み立てて作り 神苑の
廊下ぎわ ごつごつした家 楽しみが
笛に増え ハーモニカ吹いて ラーテル
走れば縁の下 石木の幹線と
機動車 煙上げ ともに乗ると親里道


【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
2021/06/21
【歌詞解説】
 ラーテル機動という。天理教の初めの頃で
ある。機動車の走る頃という。

そうきょうよいお書き。J21.
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』
 

2021年06月21日

出発508 東山考3 :イカスミ柳

【曲名】 出発508 東山考3


クリックすれば、大きくなります。 花坂由利、花見世坂見。
東大路五条通り交差点、R1東行、
左手大谷の墓越え、左入。
【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
2021/06/20
【京都東山考】
 京都から大津へ向かう、R1、東山のトンネル手前、
左へ入る道がある。将軍塚 という、坂上村麻呂と
いう将軍の像を地に埋め、京都の守りにしたという話
の場所という。将軍塚である。
 ここまで、行かないことという。
【花見世坂見、花坂由利】
 左で、入る入り口を、花見世坂見(はなみよさかみ)、
花坂由利(はなさかゆり)、という。はなさか山(花咲
山、花坂山)という、火山の名という。この『花』が、
火山の花である。噴火の火の花。
 火口である。山がふっ飛んで、
なくなり、後、窪地という、今もくぼんでいる地とぞ。
【火山弾、10キロ西、飛地】
 ここの山が噴火した時、時を、よみよみ、という、
時代の名前という。よみよみ噴火という。現、京都の
地の、西、約8~10キロの地へ火山弾が飛んだ
ことという。ここを、かぜらま、という冠語の地名という。
後、今の、葛野(かどの)という、葛々(かずらくず)の
地という。現、葛野(かどの)、という。花葛野夢(はな
かどのゆめ)という、当時の冠語の地名である。
夢を、地と言い、場と言う。これが、夢の場という、
脳の働きの場のことという。この場を、のうげら、と
いう。『げら』が火山弾である。この火山弾の場を、
葛野(かずらの、かどの)という。葛野を、べめそめ、
という冠語の地の呼びという。
【中脳】
脳の中の、中心の
場という、おれまがりの内部である。海馬の囲む
中という。ここが、夢を見る脳の場である。海馬
脳の働きという。

 地図、馬蹄形の地という。花見世坂見(はな
みよさかみ)の場のことという。ここを、脳中所という、
脳の中心という、中心脳という。中脳という。

 地を見る脳という、この見の地の名付けという。
地名を大切にすることという。字脳所(あざ、のう
しょ)という、これを、のうぞ、という、脳を大切に
する地という。字という、字の脳という。字という地を
いう。これを尊ぶ言いという。字をめでる話という。
【基地】
 字六丁頭(あざ、ろくちょうず)という、六丁図とも。
これを、頭図(ずず)という、地図を頭図という。
地図を大切にすることである、ともに、地名を尊ぶ
ことという。これを、己(おのれ)のきゆふき、という。
脳の地図という、おのれという、我がの地の言いと
いう。己地という、キチという読みという、おのれじ、
おのれち、という。後、基地という。己をきという、
基という。

 『き(おのれ)は、申させ』という冠語の言いの
『私は申します』という意という。『もと(基)は、
みよふら』という、『私は見ます』という意とぞ。
これを、キチという、既知の言葉の出という。
基地ともいう。火山のまよふみ、という。
これが火山を尊ぶ、ひいては、山を尊ぶ、
畏れるという、言葉の出をいう。言葉を大
切にする話ともいう。きち遣りさり、という言葉の使い
という。現、口語の、寄与という言葉の意という。
きちから出た言葉という。よりあたえることの意という。
基地の出という、基の地という、私の主たる地という。
生活の基という、化学でも基という言葉である。
火山の話の花寄(はなより)という。これを、花寄
団子という、花寄弾という、火山弾のことという。
花寄弾の基地という、火山の火口という、これを、
基火口(きかこう)という、石が飛ぶ火口という。まんせららっく、
という。マントルという火山弾の流れという。この言葉
の基という。火山山ゆい、という、言いという。火山
山を言う話という。火山さっくく、ということという。

 基地が弾に関係する、昔の言葉である、故郷の
ことである、基地という。自衛隊をいう、自衛隊の
基地という、若い人の居る故郷という。
【青森雫石】
 雫石山あり、すわれ、ららるせめてる、とぞそ。
靑森の雫石という火山世の村とぞそ。自衛隊基
地から推す話という、雫石火山という。昔の雫石町
である。
【京都園花、冷火山】
 京のしずっくく、という、くくせらの言いそろ、という。
曽呂利の山のお言いという、西の園花城という、
ここの西の火山という、園花火山という、大きな
煙を上げる火山である。冷火山ともいう。

地図左の火口は温火山、右が少し冷たい火山と
いう。冷温火山という。少ししか離れていない、
火口という。これを、天覧そっきす、という。てっそ火
山ともいう。二つ合わせた言いである。目の形の
火口という、人の頭という、人頭火山という。
二つの火口のある火山という。東山火山群という。
勢う火山という。勢火山という、マントル・ピースと
いうことともいう。マントルが目である話という。
まってるやり、という。マステスという。モマントという。
みな、昔の言葉である、冠語である。
【台湾霧社】
 『花見世坂見』という、六代の地名という、六代
期という、これを、りくるり、という。るりりり、という。
かんせらのかくらく、という。覚落。夢から覚めることを、
覚落という。脳の言いという、外科の脳の医者の古
いことの基という、おれまがりという場が基である。
おれまがりを、きみふみ、という。キミガミテタという、
台湾の現地語という、アユタイ族の言葉という、
台湾語のアユ語という。日本語のような言葉である。
キミガミテタという、おれまがりの意があることという。
台湾霧社が、これを踏襲する、脳の言葉という。
霧社という地がたくさんある台湾である。

 キユッキカスという、古いトロイの冠語という。
トロイ語の冠語である。今のギリシャ語である。
トロイランという、トロイ・ランゲージである。
【ベンチャーズ】
 アメリカ・ベンチャーズの、タラタラタラタラという、
弦をずらして弾くギターという、音による、この脳
の働きの具現である。駄作家の見という、聞き
という、弾琴ロックという、ギター琴という。
弾き口ずらし、とぞ。火山のニューヨーク火山の
場の弾きという。火山の具現という、海の大波の
こととも。サーファー・ランニングという、サーファーズ
ラックという。ギターの言いである。

 音楽私見をまじえての説明とぞそ。脳の話とも
いう。夢の話とも。むはべらゆっきし、という冠語の
言葉の解である。上の文である。

そうきょうよいお書き。J21.
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』
 

2021年06月22日

出発470 省線の旅 :イカスミ柳

出発470 省線の旅 :イカスミ柳
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音楽
【曲名】 出発470 省線の旅



    創曲、中山みき・正(やなぎ)  2021/06/21
    造詞、中山覚(さめ)・正     2021/06/21
    監修、ほうきき・正         2021/06/21
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】
【場所】
【作成ソフト】
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
【歌詞】正里
省線に乗っていく新潟 夜明け前
大町の駅から 一人の旅路
きのう見た車庫の機関車 黒光
赤い色 きれいな線入り 力強く
見えて 新潟は夢多い町よ


【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
2021/06/21
【歌詞解説】
そうきょうよいお書き。J13.
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』
 

2021年06月22日

出発460 懿徳号 :イカスミ柳

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音楽
【曲名】 出発460 懿徳号



    創曲、中山みき・正(やなぎ)  2021/06/20
    造詞、中山覚(さめ)・正     2021/06/20
    監修、ほうきき・正         2021/06/20
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】
【場所】
【作成ソフト】
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
【歌詞】正里
懿徳の駅ゆら はまりす 推す
いさなみ駅から 黒玄(くろぐろ)行き
お召し列車走ればゆられ行き かなる
おおう、勇姿見れば 花槍 ふめる磯
ふかるされ 花見るぬぬ あらら立ち


【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
2021/06/20
【歌詞解説】
省線大町駅辺り。

そうきょうよいお書き。J20
******
『天照大神、そうきょう、よいよい』
 

2021年06月23日

出発480 ラーテル冠北 :イカスミ柳

出発480 ラーテル冠北 :イカスミ柳
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音楽
【曲名】 出発480 ラーテル冠北



    創曲、中山みき・正(やなぎ)  2021/06/23
    造詞、中山覚(さめ)・正     2021/06/23
    監修、ほうきき・正         2021/06/23
【拍子】4/4
【種類】
【演奏】
【場所】
【作成ソフト】
  Music ScorePro、シルバースタージャパン社
  バンドプロデューサー  KAWAI社
【歌詞】正里
始祖鳥が飛んできた ラーテルの傍に降り
クワッキーと挨拶を羽少し広げする
朝は城御門 陽がさしてる みかどやむ
花の簪の様 羽でラーテルの背 なでている
私もいて 花の生き 喜ぶ

みかどやむ: 始祖鳥のこと
【今常】
そうきょうよい時です。
【解説】
2021/06/23
【歌詞解説】
しこえり門、なかず闇にある。ふみやり山お書き。
この歌の冠北の意味である。ラーテルの門という。
戸がある門という。動物が通る話という。
 始祖鳥の舞い降り、舞い上がりの門である。
始祖鳥のあいするラーテルという。しこえり門の名前
という、万物をえるという、よりえりの言いとぞう。
そうきょうよいお書き。J23.
******
『天照大神、そうきょう、よ
【敬語】 

 自分の親に敬語を使いましょう。
ご先祖様に敬語を使いましょう。

親思う 心にまさる 親心 今日のおとずれ 何ときくらん
吉田松陰先生御辞世