つね                 Tune

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 伊豆次郎

9:31 24/08/18 日

 京都亀岡から大阪交野へ行く。シャップ
ン・ホーというジェット機で、片翼半月形
の飛びという。形翼で回る、うにやりきら、
という、回りという。これで行った交野の
槍という。大きな槍で、枚方から交野へ
続く、やましく、という。ジェット機の
中で歩いた姿の、はなゆき、という、ア
イヌの恰好とそ。

 アイヌの衣装を着る、かいたくれ、とい
う,まっぴすのくいから、という恰好とそ
。丹波篠山の・よきはる、という場所の
恰好という、よきみしみ、という、みっ
ぱれす言いとそ。丹波篠山の地の、ひらく
さら、という、枚方という、ここの地の格好
という。アイヌの恰好という。アイヌしょっ
ぴらのえという。私の好きな恰好という。

 コーカサスの恰好ともいう。ウズベキス
タン・イチャンカラの恰好ともいう。中央
アジアの恰好という。これで行く、カザ
フスという、カザフスタンという。枚方
から行くシャップン・ホーという。ジェッ
ト機を、とすれる、という、といしぶ、と
もいう。シャップンの飛行機という。翼が
前から後ろへ、二枚ついている。前から
後ろへ長い翼という。髭剃りの二枚歯の
ような感じという。これで行ったカザフ
スタンという。イチャンカラからも行った
カザスフタンの、ちさみさ、という、今の
カザフスタンの首都という。首都をちさみ
さという。ちさみさのアスタナという。
アスタナの地という、アスンタッピスという
、しみすわの地の言いという。

 ここに、小手をくつという、言葉の使い
という。くつみつらぎ<という。またびし
くりの言葉という。みよばっす、という。
いたせらの・いみしわ、という言葉使いと
いう。アスタナ網の言葉使いという、古い
アスタナに日本語がある。アスタナゆし、
という言葉で、日本語とカザフ語の関わる
、かんれざ、という言葉という。

 アスタナという言葉がそうという。あす
たの山の言い。そいしらの・くいさじ、と
いう、エルテックスという、えるそうの言
葉という。アスタナの言葉の・えんたし、
という、みよたの言葉という。また行くア
スタナという、私の古いちさみさという。
都の・ふうがる、という。ふうがるも、日
本語カザフ語である。風采という、ふう遣
の言葉という。またゆたい、という。言葉
を、これせむ、という。これくりからの言
の葉とそ。こっしかる、という、後、コー
カサスという。私の好きなコーカサスの地
の、かいかりさら、という。

 コーカサスの地の、ふめやり、という、
ふめせる・こうすき、という、コーカサス
のことの言いの言葉とそ。こうすきの言葉
という、コーカサスの言葉です。古い古い
記憶という、こうきす・かんらべ、という
記憶の名前という。私の記憶の名前です。

 記憶をとるアスタナという、アスタナが
記憶の意で、記憶の町という、私の脳とい
う。古い記憶の言葉という、記憶町の家と
いう、アスタナ家という。私が覚えること
の意という、記憶という、古い私の脳とい
う。今より遥か昔という、私がすっかり忘
れていた昔という、それがよみだされた
記憶という、記憶の町の御蔭という。記憶
をよる町で、私の脳のほんの一部という。
それが蘇った記憶をとる、町の・はのせら
、という。「はのせら」が働きという、働
きのようなことの言いとそ。はのせらのア
スタナという。私のお爺さんという、町を
お爺さんという、はらせきらの言いという。

 思い出されてよかったという、思い出の
尊さという、アスタナを拝む私という。う
れしいという。うれしい地のアスタナとい
う。おろるら、ともいう、思い出を、おろ
る、という、アスタナの・やさきく、とい
う。目の大きな女の人と踊ったという、私
の思い出という、御兄とともに踊った。大
きな円い月を持つ踊りという。舞台へ出て
踊った、われさみすり、という、踊りを
さみという、さみれ、ともいう。歌語です。
この歌語とともの思い出という、歌語を思
い出の道具という、ふみさみらまのお教え
という、大御祖父さんのお教えという。カ
ザフスタンのお教えという。

 長い長い忘れられていた合間という、半
世紀以上の昔のことという。私の、やたせ
み、という。やたせみの・思い出とそ。思
い出す話を尊ぶ・いわしら、という。枚方
の場の教えともいう。交野の山という、ふ
じつゆみ、という山とそ、歌語の言いとそ。

 歌語という私の言葉、そうきょう語とい
う。古い昔の言葉の尊さとそ。私がいう、
御所ゆみ、御所言葉とそ、尊い言葉の思い出
とそ。

 御所に住んでいたという、思い出した話と
いう、思い出は、はなより、という、思い出
の思い出しという、おもいでら、という御所
言葉という。御所を、おもいでら、という、
まっさる・こいさり、という、まよべす、
ともいう。こういう言葉が歌語です。御所
歌の言葉の意とそ。

 皇居に住んでいたという、古い昔という。
どんさめつり、という、皇居の子とという。
こんな 言葉が思い出される、皇居の、す
むて、という、皇居の住まいの言葉という。
昔が帰ってきたという、私の言葉に出る歌
語という。そうきょう・らんすみの言葉と
いう。

 「天皇は誰や」という、私の問いという。
 皇居の住まう言葉という。「天皇は誰や」
というのが皇居の言葉です。「誰や」という
京都の言葉のような、いかべす、という。
古い昔の皇居の言葉です。住んでいたとい
う、私の記憶という。「今いる人に聞いたら、
わかるかな」という、私の住まいという。
新宮殿加賀屋敷の、えいかんさき、という、
ばいための・くおる、という、御所言葉を
駆使する新宮殿の住まう人という。

 さてと、また行くか、新宮殿の、かがすら
れ、という。加賀屋敷へ行く言葉という。
「へえ、えらい人やったな」
「そうきょう、すいため」という返事とそ。

「偉い人、やってたんか」という私の問い、
「そうぜ、すいましたれ」という周りの御
方の御返事とそ。

 「お母おらるら」という私の呼びかけ、
「ありすられ、いよっとし」という周りの
御方という。

 「みよべ、そいたり」私
「ありき、すいき」周り

 皆、尊い会話という、加賀みゆらる・
うたさら、という、加賀屋敷の新宮殿と
いう。枚方そわすら、という、言葉とそ。
交野ゆんべし、という言葉です。古い言葉
です。カザフスタンが掛かる交野、枚方とそ。

 私の古い記憶です。アイヌもっしゃん、
ともいう。やまたしの・あいたり、という。
あもしらの・いたそよ、とそ。


 アイヌ  伊豆次郎   水無瀬三吟   見たよう   長岡京1   長岡京2

  正 論
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