「思い出」
                  20101215
                                    小林壱裕書

 つい、2週間程前、「あさがゆ」という言葉が
出ました。長年、言ったこともなかった言葉です。
 なんとなく、寂しくなり、涙ぐみました。理由は
ありません。昔のことを思い出しました。
続けて、「赤穂の城で、あさがゆを食べ、討ち入りを
決めた」と言いました。私の言ったことで、正しいか
どうかわかりません。何も考えずに、そう言葉が出ました。
涙ぐみは、これが原因だと思います。
 こんなこと何年ぶりであろうか。もう50年程になります。
小さな頃、御母上が、「あさがゆ」を作っておられる。
涙ぐんでおられた。そんな光景も思い出しました。

 小さな頃、大石主税・力さんという人が好きでした。
思い出した今もそうです。「力持ち」と言った様に
思います。また、大きな人のように想像して
おりました。詳しくは覚えておりませんが、
「頭がよくなる、記憶がよくなる?」といわれた
ように思います。後になって、忠臣蔵の人だと
わかりました。私は映画で見たことくらいしか
存じません。

 50年程すっかり忘れていて、今、こうして、
小さな頃を思い出した。このまま、忘れている
のが普通であるのに、思い出せたのは、
大石主税・力さんという人の御蔭だと思います。
その人を思うとともに、感謝を申し上げます。
 年若く果てられた人、これを思うに、涙ぐむ
ものです。
 
 12月は忠臣蔵の月、寂しくなる時もあります。
「あさがゆ」という言葉であったと思います。
墓にもうでて、手を合わせたいです。

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20101228付け

のち、一週間程してからか? 
「きらがゆ?」といって朝に食べた記憶があります。

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こんな風習があるのでしょうか。それとも、私家だけでしょうか。

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御祖先もくわしくわからない、最近になって、やっと、こうだったかな
と思い出せたのであります。まだ、くわしくは思い出せない状態です。
今、一生懸命、御祖先を思い出す努力をしています。
 古い書き物や、古いものが全部なくなってしまい、わからないのです。
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この忠臣蔵の人たちまた、浅野 長矩さん、吉良上野介さん、大石 陸さんの
御冥福を心から祈ります。

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大石づくり

 昔、大きな思い羽子板がありました。黒い大きな羽子板です。
重くて、到底、その頃の私には、羽をつけないのであります。
それを持っては喜んでいました。同時に、大石主税さんという
お方が大きな人に思われ、目の前で、羽根突きをしておられ
る、そんな光景が思い浮かびました。
 御父上から、「大石づくり」といわれました。それ以来、
大石主税さんの羽子板と私が思っているのであります。
どんなお方か、私が、好きなお方です。
 羽も大きな羽であったと記憶しています。
随分、昔のことです。このお方に、心より手を合わせる
しだいです。一時期であったにせよ、私のような何とる
所のないものが、このような立派な羽子板を持てた
こと、限りなく感謝致すものです。大石主税さんに
感謝を申し上げます。

 私の御祖母は小林つね様と申し上げます。
私の小さい頃に亡くなられたのですが、
この御祖母が、「りく結い」という髪を結って
いられたのを思い出しました。この御祖母をも、
やっと最近思い出せたのです。
感謝を申し上げ、御冥福を祈るものです。

              2011.1.14   壱裕書              
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