13:20 2023/01/01
周恩来という、中京の人という。
「周音来」(しゅう・おとく)という、
これを、こばやしいみす、という。
あまだきく、という、言葉の使いという。「周」を「こばやし」と読む。こばやし
おとみさの、言葉の使いという。古い穂だの城の
ことの言いという。あまだみさを使う城という。
あまだきくを、あさるり、という。あさるりの・
あまだみさ、という。この「みさ」が、「しゅう
おつ」という、シモレンセラーということの言い
の、シオットという。しおすりの言葉という。
あまだきく・らんかす、という。古い穂だの言
葉という。正月言葉がほとんど保田の言葉である。
賀正、恭頌新禧、恭頌春・・・・迎春・・等。
古く、しゅうろす、という言葉の類という。この「しゅう」が、しょうほめ、という。
ほめずぜの・ろわんす、という。ろっと、という。
ろくそく、という、ろず、という。ろみそめ、
という。古い奈良桜井の言葉ともいう。
全国津々浦々の「さの」という所の言葉という。
さのふっくす、という。これを、せりそれ、という。「さの」を、「せそん」という、いとゆとの・
栗東という。いろんぜかの・栗東という。滋賀の
栗東である。このことの延落という、周という。後、円周の
周という。これが、今の「すのけまれ」という、
保田城のいと、という。桜井の「そき」という。
ふい桜井の、そいれき、という、保田の、しろせろ、
という、兵庫篠山の、ふいるり、という。これが、篠山のおたけし、という、篠山で、
おたけし、という。古い、ささづかせふら、という。
そこの言いである。がっとくすく、という。
篠山の言いという。めでた言葉という、がっとくすう、
という。さのりんせるの言いという。これを、りばすめ、
という。またいたのお言いという。私の古い穂だゆっかす、という、いそしろの・
りんさき、という。保田浦論くく、という。くくの
言いという。これが「周」を「こばやし」という
読みという。古く「うえむら」ともいう。「うえむら」
の読みという。周の延という。周延の言いという。円周という数学の言葉という、句という。句々と
いう、九九という。これが州の一意である。
いちさんしんたっき、という、
いちさんらんみっす、
いっとゆめふめの言いという。古い二つ玉そろばんと
いう。この九九である。上が二段で、下が三段四段と
いう五つともいう、そろばんのことという。
これを使っていた頃の期という、この「期」を
周らず、という。後、周期という。保田由良の話
という。これが後に、しおるら、という小池六区の言い
という。小池ゆっかす、という、植村らっくす、
という、他に、いまそし、という、いそるら、という、
うちみだれ、という、みのその、という、みちすち、
という、みっぱす、という、みりん、という。
がんぞかっけすの言いという。大お爺さん方々の
おられる頃という。その頃の保田である。しろず、
という場所である。ここを、周という。保田周と
いう、古く、穂浦由という。穂浦ぜっぺす、という。きしるかの・おいとい、という。小林權助という
私のお爺さんの話という。この「權」を「きかれる」
という。「きかそ」ともいう、字の呼びである。
「華」を「たけ」という、字の呼びという。
たけれっから、という。「から」が、言葉である。からおけという、かったす、という、からっす、
という、かるせら、という、かんしま、という、
かるらる、という、かみそれ、という、磯野原の
言いという。うんぶせの・けるかる、という。これが周という、なずらけく、という、言いを
読みにする、「なずらけく」と読む「周」の字と
いう。古い、保田じょっこく、という言葉の言い
である。この頃の桜井、理蔵という、栗東のおちふち、
という、篠山のそいしら、という、磯野由良の
やまりら、という。これらの集めを集という、後、辞書類である。
古い集の国という、この国を理蔵という、理蔵国
という。後、岡田以蔵という、うえらるのお爺さんの
おん名という、お名という。古い、かいきくのお作り
という。今の菊である。これが周を、いみすら、という。いみすらの・
おゆっきし、という。おかれさんます、という、
二つと三つのそろばんという。上二つ下三つの
、さんしり、という。そろばんを、さんしり、
という。以蔵きんふるの・おゆれかし、という。
これを、まのられる、という。ういそいの・ちそん
、という。ちりっせ、という、ちみしみ、という、
ちぞ、という、そろばんのことです。またみたの言いという。まるせらるう、という。
みよそられ、という、そっしゅず、という、さびしか
、という。てるらるの・りとん、という。これを、しゅうめ、という。さるすらの・おっそく、
という、りさるれる、という、みびしか、という、
びじょ、という、びじょっとんの言いという。この
「とん」が、英語の「トン ton」である、言葉という
意である。クリントン・ファーズという、クリンの宮のおいす
、という。椅子のことという。これを、ストールとい
う、スツールという。クリントン・ファーズの言葉と
いう。「座」という類のことという。座部の言葉です。座布団という、椅子のことという。これを、桜井
ゆんしが、という。桜井と滋賀が掛かることという。
遠く、雫石の掛かりともいう、おでんまっしょ、と
いう、おでんしらの・大槌という、おきのゆらふの・
くちゆち、という。これらの地域が周である。ほぼ、
日本全国という、これを、しゅうの国という。漢字の
「しゅう」を全部使う字という。これが、蒐集の集め
である。収集ともいう。しゅうの国の集めという。
これが、習とも表す保田の使いという。中国という、
保田の周りのことという、これを中共という。保田の国名があるという、中共という。習散という、
言葉の・つみさり、という。「シーさん」という、
中国の習さんを、そういう保田の城という。中国の習さん(しーさん)がいたという、中共の保田
という。シージンピンという、保田由らっせる、と
いう、保田せわらの・るいほる、という。フランスが
掛かり中国が掛かる保田の城という。漢文の白文という、ふゆけく、という。この白文に
レ点を付ける、学びという、作業ともいう。桜井の
御叔父御上がおられた学習院という、江戸皇居ともいう。
今の皇居である。古く、岡田以蔵という、岡大蔵という、
くらゆらの保田山という。古い大村の城の、篠床(ささ
ゆか)という。ここが今の千代田丸という城の建物と
いう。学習という、レ点を付ける、学に習う、学を習うと
いう、ヲニと会えば返れという、漢文のことである。
学習院の作業である。今の漢文の話である。蒐集の鬼
という、字のことという。学習院落文という、学習院
の出しである。これを「おいで」という、鬼出しの
・くらせら、という。学習院の謂れである。これを、浪華のたけせく、という、漢文のこと
である、ゴリオンラッセルという。後、浪華の
言いである。ゴリオンハンという、漢文の白文の
ことでもある。この「浪華」、今のイオントーブと
いう、曽根崎の城という、少し離れた大阪城である。
この城を、ゴロという、御殿場の大御叔母御上の
言いである、城をゴロという、静岡御殿場の言い
である。ごっぽんすっきく、という、菊場夢と
いう言いという。古く菊夢市という、御殿場市の
ことという。兵庫明石城の芦屋官則という。ここ
の言葉でもある。保田っくそ、という。この「くそ」が、くめるく、という、くめんそ、
くだゆき、くみせむ、くそるそ、という。保田区
の穂埼という。古く穂浦の埼である。これらが
学習院という場の教えである。東京の学習院大学
教授という、御私のことです。全国の学習院の
教授という。まらせらの・ついとい、という。
岩手大槌の古学習院という、ここでの講義である、
釜石の学校の網の塀のある所という、今の釜石高
校という、そこの横の場という、網がある所と
いう、そこの家である、私がいた所という。
新日鉄に通われる御叔父御上という。釜石、大槌
の学習院という。御院宣講義という。「院宣」を
、いんせんという清音を使う岩手である。
おてんまんすっくす、という、いんせんたっきす、
という、岩手清音という、いんせんという発音と
いう。いんぜんという、濁音を使う、だらんれっ
てす、という。清少納言という、静寂の発音のことという。
これを、だいなやり、という。せいしょうなごん、
と言えば、院宣(いんせん)のことである。
院宣(いんぜん)という、だいなみその言いという。
古く、京都亀岡の亀山藩という、そこの大納言です。
言いのことをいう。
清少納言をいいます、大納言をいいます、という。
京都亀岡篠町(ささまち)の足利学校の教えで、その
横の松本学校という、院宣たっかん、という、そこの
話である。御大叔父御上の御講義という。