「北極行」  未完

    20110120詞

敦賀より 船出して
はるか北 沖へ進む
極北めざし 船は行く

雪降り 雪やまぬ
二十日余りの極北 北極行



「20日余の北極行」                 
                        20101220壱裕書
  これは、私の記憶で書いたものです。50年以上も前に聞い
た話で、間違いがあるかもしれません。

 今を御去る、明治の御世の御昔、日本と露国とが戦争をして
いた頃のこと。

 わが、ひいおじいさま、海軍に志願されて、許され、敦賀より、
船に乗りて、はるか、北の極北をめざされ、うらじおという所へ
着かれました。御年42歳であったとか。

 装備は、御自分が用意され、盾--円形のかたぎでつくった
一尺程の、厚さ一寸程、と、短銃3丁と、鉋、鋸、かん?、刀、馬
に被せる帽子様のもの、馬の背を保護する馬具、馬の蹄を保
護する蝋、等、しょいこに背負い、ゴンという名の馬と乗船され
た。一番北の果てで降りるといわれていかれた。

 船を降りて、海岸づたい、馬に乗らず一緒に歩いて、北上さ
れ、北極より、蘇峰の麓、「毛日」という所を経て、蘇峰の西の麓、
「濃家」というところへ行かれた。そこで、敵を捕まえられた。

 単身であったか、御一緒にいかれた方がおられたか、
私の記憶に定かでありません。
 
 小さな頃、血のついた鉋、盾がありました。鉋の歯に血がつい
ていました。これも、小さな頃になくなり、年がいってから、この
話を思い出しました。ひいおじいさんより前の祖先を、私は覚え
ておりません。このひいおじいさんの御名も、最近思い出した
のであります。申し訳なさに、どうお詫びしてよいのやら、ただ
ただ、申し訳なさに頭が下がるだけであります。

 御名を小林松吉様といわれました。ひいおじいさまの御武勇
を称えるものであります。良い御祖先のもと、生まれきた、私
の幸福であります。感謝がある許りです。
 あわせて、一緒に行かれた方々を偲び、私の今の幸福を思
います。その方々の御武勇を尊び、心より御冥福を祈ります。

追記 たしか、何種類か本も出版されていたように思います。