2011年08月03日 核放書(二千の書)
 核放書(かくほうしょ)
(副題 二千の書)

 我が家に、私が小さい頃、石器がありました。古い石器で、今の歴史のいう旧石器時代より、もっと古い時代の頃のものです。
この石が「光る石」で、作られています。この石、「光をためた」石といいます。太陽より来た光をため、光っていた石です。
この石が、今でいう放射能を放っていました。人体に影響のない微量の放射能です。

 今出ている放射能が、この放射能となります。今の科学が作り出したものであります。過去の地球が、今の世に現れたともいえます。
光が音に変わる、音が光を吸収することを、この石の絵に書かれていました。我が家の絵であります。この放射能の、毛音(けおと)という、
表しで書かれています。この絵の絵という、言葉が、後に、放射を表し、手という表現になります。手の形という、話です。放射を絵で表す、
我が世という、光る石の世といいます。この絵が、山という表しを、手という表しに、表された我が世という、いたという我が御祖といいます。

 この放射という、げんを取る毛という、表しとなります。江戸初期の矢という、表しとなります。放射の事を手の穂という書きで残された、大和のおんといいます。これを放射手と書き、江戸の御方といいます。江戸の世を見る矢の書となります。この矢のあわしという、けそという表しとなります。けそという、江戸の世の音(おん)といいます。放射を言われたたその世の絵の譜、これのことです。

 今、出ている放射能のけんという表しといいます。これをたたという、とめの毛の世といいます。手々を放射という、換えの意味にもなります。江戸の世に、うるゆという、へという、せたの世絵(よえ)という、せかが出て、わたを手に取る、綿という放射がなります。放射の輪という、絵の世のあたといいます。これのかこというひわの絵がなります。ひそという、たたの民といいます。手を取るたわといいます。
 
 (略)

放射能という、現代の科学がいう、戦闘という、日に出来たものです。この戦闘を、手の世という、我が世のたたという、せらのたといいます。
せかの絵が整うたたという。えらをいう、たたという。ひわの絵の手という、せかという、てらを矢という、せめという。せめの穂の矢といいます。
せったより世という。えそのとという。戸の絵の顔という。戸を取る顔のくくという。てらがきともいいます。

 (略)
わをとめ、わをいう、わさのさてという。わてよという、わるる絵の顔という。わけを取る手の世の絵という。顔の世の人という。手の世という、放射がなる人の世の手の話という。放射譜という、我が書のことです。放能(ほうのう)を取るかかという。私という、わたすおくという。えとの山、ふふを手という、ておのくくという。てそあれ、てやま、ここなみという。手の世の波という。なおとという、波の音の絵の穂という。なおと波という。これの矢の書という。ややつれ、やそる書という。なおと波を一直と書き記す書という。後になおとという、波のことをいう。なおとに名をつる、わったという、わめという。笑う世という。わらをしとという。しの世のすという。わらが、死を意味がけて、波がなる。多く、死者をともなう、事をいう。わら世という、手穂(てほ)の書という。てらをともなう話という。てらほという、としをとめて、取る山(矢間)という。山を死という、意味の言葉という。山をいう、やそのことをつる手々という。死をいう、潮見(しおみ)という。潮を見る山という。山の絵という。

放射を「光る矢」という、その頃の話という。わわの世の書きという。わったる日々という。わわの絵という。わっせくら譜という。
わわ書(しょ)ともいう。てららがきともいう。死の書という。しびと(死人)の山という。しそう(死相)の話という。
わけて、わらう絵という。わらうという、わらという、わらを死という。死のことという。

わてという、わらの世の背という。せとの名の音(おん)となる。せとという、瀬の音という。波の瀬となる。これをとれという。
とみともいう。としを取るという。としを手の世という。瀬音の山という。

山が光る構想という。山が光を放ち、はほという、さがなる。はほの山という。これを死という。死の地(じ)という。死地(しち)と
いう山がなる。山世(やまよ)の書きという。山を尊っとぶ話という。死者の葬りがなる花という。死者の花という。

山なるを山いという。病が掛かり、これをやまいきという。昔の葬送となる。登山の世に、とうとうをいう、とうさんという。
登山のことという。とうさんともいう。とうさんの絵の山という。えらを取るくれの絵という。くくを取る玉という。

玉取りという、波の山の絵という。江戸の絵の方という。玉取り姫の絵という。江戸のかかりとなる。
玉取り姫の話を懸けて、放射をいう。放射がきという。これを書く(核)という。核がけの書という。

放射能という、あたのあたえという。我が音(おん)という。わという言葉という。わのあたえともいう。放射能のことです。

古代に出ていた放射をいう。この放射能をいう日ぃに、くくという、くるがなる。くるうと仰る音(おん)という。くるよの絵ともいう。
放射を取るせせと、せらと、せっつと、せむと、はると、はそという。放射の状態をいう。はっくるぅ〜う書という。はっくる書きという。

やや取る歌という。歌矢の背という。こと世の山の絵という。はれるぅゆりという。放射のことをいう。あたはせという。ややの絵という。
ややという、わらのことをいう。しびと(死人)のことという。ややという。はたの山という。ややの絵の世という。

やや歩きという。わら送りという。わらの手の山、かなおという。かなおのよみという。世を見るわらという。雲波の絵の矢、
雲を送るささという。ささのやや送りという。わらを送るくもという。雲波をささよはという。ささよのたたえという。
笹を取るややという。ややの背という。かんらけのことをいう。今の棺桶という。かんらけの山、笹をつれという。

この「つれ」を、能という、えんのつれという。能のツレの語源(ごげん)という。あたえが掛かる放射行きという。葬送と、能と、
今の科学のことという。放射能の話という。

能の死を、ほうという。これを、ほうる書という。ほうるぅ世という。ほうるぅかかともいう。くくよの書きという。
かれを取る、夏の枯れという。なつがれという、夏の葬(そう)という。放射葬という。放射の山のお書きという。

やや送りという、放射の葬りという。かななつ(金夏)という、かなよという、かなの式という。かな式ともいう。悲しき世の山という。
死人(しびと)すこやかく、ありたもれ。  一ユ書。