2011年8月2日 ドラキュラ・ロック1
今を去る、御昔(おんむかし)、世を花という。かしを、とて、闇の年を、くすという。かたの世のかこを、てという。らら世のこれという。これを、たそという。れれ世ともいう。せとの山、あてのほこという。ほてのやとともいう。すすやありて、こめやおりとという。方世の毛(かたよのけ)をてろという。ほほをとつる、たたよのあかという。ここのほうろく、という。われのかたという。われど、らきゅーるという。これを、我土也(われつちなり、なりは、ありとなりの中の音(おん))とぞ御申す。われて、白夏(しらなつ)ともいう。われどともいう。世はおなを友に得て、ありをありという。ふふなる、るるぶという。るるふともいう。あてよの、ここの、うるえる槍という。ややの四方(よも)という。ふるゆけけという。わっしょんらるる。わっと、とめほる、くくゆ。わるど、毛毛(けけ)取るくくという。毛をもうという。れれ世のおろという。うるっくとりともいう。えれ世、花世(はなよ)のかれという。えせ世ともいう。あしくくるせろのつる、えかを槍(やり)という。
ふふゆる、くらっしょ。我が所なり。蔵(くら)がつく所の江という。えわの歳(とし)という。我世の得多(われよのえた)という。これをえたという。わっしょん、らるごという。今をいう、わっしょいという。祭るたたの世という。祭りを取る暮れという。祭りは暮れをてという。暮れて沖(置き、興き)、開いて花、ともいう。祭る歌の泡(あわ、粟)という。せせ世、ももたり。我がの名の、ももという名の、湯の世という。
湯々(ゆゆ)、ありて、ほっく、とておりて、そそという。わっしょんももという。我、おけの湯々という。これのかんという。毛々の戸という。歌を歌う手の世という。これを、歌う手という。歌い手のごおんという。おんの話という。歌うももの、ももてと、世に、名を送るととという。ととももとなる。綿のわてという。綿を毛という。これの掛かりの言葉という。綿山の矢、これを湯という。湯々に置く多々(たた)という。おれととの世名(よな)という。琴の夜を、琴びくつまという。つまびくという、ことの矢の花という。つまびきという。つまびきの語元(ごもと)という。夜(よる)という。世のことともいう。夜は世(世は夜)、手々という。
これを、のつる、てしょという。手を照る日と月とに、見立てる手という。我が御爺の言葉という。これをとめという。わっしょんのわ、という。わるのくくという。くれ槍という。槍を手と見て、これの湯をとるてそという。雨の話という。ゆとうという、手世(手夜、てよ)という。すする手をてしょという。転じる(天汁)意がある。これの花を話すともという。話す先を、はなを取らすという。花の夜(よ)の花を取る、くくという。話をくくという。後、天汁(てんじる)という。話のかかりを、天(てん)という。これが、雨を思う、天汁という。食べ物の湯という。話をたべるという。かおの音という。かかおんという。かかおんのことの得る(うる)を、かかおんすという。ドラキュラという、我が世の顔の音(かお)という。
我が名ともいう。ドラキュール・ワッソーという。新石器時代という。どらの世という。わっそおという、ととという。ととのわという、後代の言葉という。ドラキュールのことを、ドラキュラともいう。キュールロロという。
キュロという、よそという。世の手を日月(じつげつ)という。日月の手ともいう。おおよの手という。うれるくという。ドラキュラの手を、日月という。
後代という。後代を、もとに返すことを、もとう、という。基(もとい)という。もとのかえしという。これのかかという。かかおんのくるぅという。くるうと、くるの間の話という。時間のことをいう。ドラキュラの航法(こうほう)という。基(もとい)を取る航法の時間の世という。これを、もとう基(もとい)という。ドラキュラの毛という。今の糸の話である。航法という時間の操りという。これを時間航法という。ドラキュラ航法ともいう。今のことをいう。またにしますという、時間をいう。出勤という話という。ドラキュラの出(で)という。ドラキュラ・ロックという。ろくを出るともいう。ろくろの話という。われ、ど、ら、くという。このどを土と書く、ろくろのことをロックという。昔の話という。ロックを取った人のことをもいう。ドラキュラのとは、泥棒のどであると言うて、どこかへ消えていかれた、我が御祖先のどくという、ろくろのことの話ともなる。