<<若い人、作文する>>

 
京都に三条京阪という京阪電車の駅がある。
ここに立つ、座った像という。我が御爺さんの像
という。像が御祖先である。こんなことをいう若い
人と言う。像から生まれた立山という、若い人であ
る。『私のお爺さん』という人である。『高山彦九郎
という御名であります。』 それで、この像を毎日

拝むという。『自分は小説を書き、音楽も作りま
す。』という。書いた小説は、この像に読んでもら
い、音楽も聞いてもらうという。御爺さんの音楽で
あり、小説である。雨の日も、風の日も、ああして
座っておられる。そんな御爺さんの像にきいても
らうのだという。今日はお爺さんに傘を着せてあ
げたという。像から生まれた人である。自分の書
く小説は、まず、お爺さんに読んでもらう。

 
こういう若い人である、今時珍しい人である。
小説を読んで下さるお爺さんである。惜しげも
なく言う人である。私の御祖先だと。
 丸山公園へ行けば、坂本のおじさん、中岡の
おじさんもおられるという。この像も行けば拝
むという若い人である。これが私の維新である。
ひいては威信にもなるという。そうきょう国は、
そうして作るという。リニアもそうして走らすのだ
という。場所は上海からモロコだと、そこに国は
できる。そうきょう国である。環太平洋リニア網も
作ったという。コレラ金も流通しているという。
中性子自動車に乗り、水素発電、原子力発電
の建物の双ぶ所を見るという。もう出来ている
ともいう。

 
政治家をめざす人である。像が喜んで下さ
っているともいう。この像の御用をするという。
トランプをお供えして喜んでもらった人である。
それでトランプは勝つという。ある日は、雑草
露草のお供えという。自分の作る歌を御爺さ
んは歌うとて下さるという。御像のお歌という。
限りなく夢多い人である。像のいき、そういう
文である。東京へ行けば、西郷さんにも会う
という。トランプをお供えした人である。犬の
像にもお供えしたという。

 
限りなく進行する若い人の偶像崇拝である。
像の心がわかる人である。時はたとうが場所
は変わろうが、お爺さんはおられる、そういう
人である。高山彦九郎御爺さん、1万年2万年
くらいは平気の御爺さんである。うちの近くに
もおられた像である。引っ越されても、御像は
変わりなく、いつも私を見て下さっている。土
下座の好きな若い人である。
御爺さんの真似をするという。明示威信をこう
して通り抜けた若い人である。今日都にいる若
い人である。像を拝むことの明示である、この
威信である。誰はばかることなく明示する人
である。自分は今日都にいて、東今日にも行く
という。

 
今日の日を限りなくこい、御像にもかぎりなく
親しむ人である。高山彦九郎御爺さんと親しげ
にいう人である。若い人は、自分は小説を書き、
音楽を作るというた人である。双び立つ今日に
生き、自分の双胸を誇りにする人である。
変わらぬ心であるという。
今日都の若い人、東今日の若い人である。

2018/01/23 今日がその日である。像の日という。

曲、『卒業』の添え文より

http://akinokori.sblo.jp/archives/20180126-1.html